第28話 飾り職

怖くなったんです。完成させるのが。


彼女をひと目見た時から、私は恋に落ちました。


そう、月並みな言い方ですが、まさに「落ち」たんです。突き落とされるように、すとん、と。


それからは、何が無くても、それこそ飲まず食わずでも、ずっと続けていた細工物が、手に付かなくなりました。寝ても覚めても、目の前に彼女がちらつくのです。彼女の物憂げな微笑が、何処を見るとも知れぬ瞳が、ガラスの破片にぶつかって反射する陽光じみて、ちらちら、ちらちら。


職人は、手先はもちろんですが、目と集中力がなくちゃできません。3つのうち2つまでやられた私は、もう何も手に付きませんでした。


そして、不意に知らされたのです。彼女は、明日、街をつと。


街の衆は、その話で持ちきりでした。


ああ、考えてみれば当然のことだったのです。彼女は旅芸人一座の、プリマドンナ。劇団が街を去れば、彼女も去る。そんな当たり前のことに、しかし、私は天地が崩れ去ったような衝撃を受けました。


そこからは、もう何処をどう歩いて辿りついたのやら、さっぱり覚えていません。気づけば、港のすぐそば、花問屋はなとんやの前にいました。


そんなところまで行くのは、珍しい花の細工を注文する酔狂なお客様から発注があった時くらいなものでした。珍奇な花の細工を実物と一緒に届けろ、金は出すから。そんな注文を、時折なさる方でしたね。


とはいえ、いつもいつもそんな注文があるわけじゃありません。久しぶりに店の前に立った私を見つけた花問屋の主は、驚いたような、いぶかしいような、変な顔をしてましたっけ。私も相当、切羽詰まった顔をしていたのでしょう。


怪訝な顔をしている主人を見るなり、思いもよらなかった言葉が口から飛び出しました。「バラを、ありったけくれ」「緋色のバラを、かき集めてくれ」「頼む、今夜中なんだ、道具も家も全部あんたにやる、だからバラをくれ」と。


いまでも、不思議です。私は元々、バラは好きませんでした。好きな人に送るなら、もっと優しい、柔らかい、風情のあるものを送ろうと思っていたんです。でもその時は、バラ、それも燃えるような緋色のバラを、彼女の周りに敷き詰める、そのことばかりを思っていました。


どうしてかこうしてか、ありったけのバラをもらい受けて、手押し車で何往復も、彼女の泊まっている部屋の前の広場と、問屋を往復しました。月明かりが石畳に青い影を落としていました。


そして、明くる朝。彼女が窓を開けた時、炎のようなバラが広場全体に敷き詰められていました。


そして・・・・・・私は、彼女の心臓に狙いを定めて、窓の下で待っていました。彼女が一番早起きで、毎朝誰も起きていないうちに朝日を眺めるのが習慣なのは、知っていましたから。拳銃が、汗でぬるぬるしたことを覚えています。


彼女がその美しい瞳を地平線に向けて、曙の光を楽しんでいる時に、彼女を撃ち落とす。そして、彼女をバラの焔で弔う。それが、私の最高傑作になるはずでした。


でも。怖くなったんです。完成させるのが。


だって、そうでしょう?最高傑作を作ったら、それ以上はどこにも行けない。だから、やめてしまいました。


え?その後ですか?


彼女は別の街へ去り、女優と飾り職わたしの恋はそれで終わりです。

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