第10話

 海ノ国は、サンゴ礁沖島の島が連なってできた場所に見える。その実態は、太古の昔に巨大なルケンクロがこの地に落ち、長い年月をかけて海風に浸食された姿だ。

 海ノ国の民たちは、そのルーツを空に飛ぶルケンクロに持つ。そのような歴史上の事実から、もともと地上に住んでいた他の民族から追害の対象ともなった。

 竜艦の背に作られた甲板から、陽介は第二の故郷ともいえるその場所を見つめる。玉音放送があった数日後にこの地に召喚された自分にとって、ここがかけがえのない場所になろうとは思いもよらなかった。

 翼を広げた竜の形をした島が、眼前に迫る。周囲には小型の竜艦が飛び回り、あたりを警戒していた。漆黒の竜艦は朝陽に白く光り、その威容を露わにしている。

「大丈夫だよ。ニグラはちゃんと修理できるって」

 シンの声が聴こえる。ニグラとはこの竜艦の名前のことだ。

 彼女へと眼をやると、シンは安堵した表情を浮かべ欄干から身を乗り出していた。彼女の金の眼が茶色い輝きを放って黒い竜艦を映しこんでいく。

 この世界に来た戦闘機たちは、不思議と竜の言葉が分かる。それは人間に改造された竜たちも同じらしく、シンは彼らとの会話を何よりの楽しみとしていた。

 この国の文字を教えてくれたのも彼らだという。シンが声を発するたび、側にいる竜艦たちが楽しげに鳴き声を発してみせる。その声は、ときおりどこか悲しげで、シンの顔を曇らせた。

「うん……悲しんでくれるんだね……」

 悲しそうにシンが呟く。彼女は金の眼を曇らせ、咲夜の片腕にぎゅっと抱きついてきた。

「義姉さまのことをみんな怒ってる……。嫌がる子を殺したから……」

「竜兵のことか……」

 昨晩、咲夜が仕留めた竜兵の姿が陽介の脳裏をよぎっていた。竜兵とは、海の民が操る漆黒の竜のことだ。捕縛したルケンクロの竜の中でも、闘争心の強い竜を海の民は竜兵へと変化させる。

 陽介も詳しくはしらないが、竜たちの脳に特殊な施術を施すことにより彼らを意のままに操ることができるのだそうだ。竜艦には彼らを操る音波を流す機能がある。人の耳には聴こえないそれは本来、ルケンクロとその末裔である竜たちの間で取り交わされる会話手段を応用したものだ。

 竜たちの感知する音域は人のそれよりも広く、数キロ先の仲間の声まで聴き分けることができるという。竜たちは自分の所属するルケンクロと人間には聴こえない音域で会話をし、常にルケンクロの言葉に耳を傾けているのだという。

 兵器にされながらも竜たちは仲間の死を悼んでいる。シンが顔を俯かせ、ぎゅっと陽介の腕を抱きしめてくる。

 陽介は優しく微笑んで、そんなシンの頭をなでていた。

「優しいな。お前は……」

「義姉さまたちの壊れる声がずっと、聴こえてた……」

 そっと眼を瞑り、シンは陽介の腕に額を押しつけてくる。少女の姿になったシンは、眠りながらよく泣いている。眠りながら、やめてと何度も叫ぶことすらある。

 夢を見ているのだ。特攻にいき、壊れた祖国の戦闘機姉妹たちの夢を。

 何度、彼女に乗り特攻に行く人々を見送っただろうか。何度、彼女を使い敵機を撃墜しただろうか。

 そのたびにこの小さな少女は、涙を流していたのだろう。自分たち飛行機乗りの代わりに。

「壊すために作られたお前たちがこんなに優しいのに、俺たち人間は残酷だな」

「不思議なの。姉さまたちはいつも嬉しそうに壊れに行く。それいいんだって悲しげに囁くのに……。ちっとも恐がってないの。みんな大切な人と一緒だから、大丈夫だって……。そうやって消えていった」

「シンは恐くないか? 俺といて」

「陽介は優しいから、恐くないよ……」

 陽介の腕に顔をすりつけ、愛機である少女はそう答えていた。そっとシンは眼を開け、金の眼で陽介を見あげる。

「義姉さまを堕とすの?」

「そうなるだろうな。いずれ」

「そう……」

 陽介の言葉に、シンは弱々しく微笑んでみせる。

「みんなもういないだろうから、私が最後の一機になっちゃうのかな」

 ——プロペラを外せ。

 シンの言葉を聞いて、陽介はそう言われたことを思い出していた。玉音放送があったその日、動揺する陽介たちに司令官は厳かに伝えたのだ。 

 愛機のプロペラを外す。それは、敵である米兵に頭を下げることを意味していた。愛機に乗り込み反発する一部のものを宥めるため、源田司令官は航空部隊のある横須賀まで行き、事の真相を確かめてくれた。 

 だれよりも悔しかったのは、隊を率いていた彼だったろう。自分たちは負けを認めたくないがゆえに、上官に噛みつくことしかできなかった。

 恐らく日本が保有していた武器は、銃剣の一つに至るまで米国の思いのままになる。激戦を生き延びた戦艦も、戦闘機たちも、日本軍がどうなったかすら、陽介には想像もつかない。

「俺は逃げてきたのかな? この世界に。あいつのいなくなった世界に、何の価値も見いだせなかったから……」

 守りたいと思っていた戦友が祖国のために身を捧げたあの日、陽介の中で何かが変わってしまっていた。

 続けられる特攻。必死の防衛線。それでもなお敵の勢いは衰えることなく、本土は新型爆弾により焼き尽くされ、女子供までもが戦場に駆り出されようとしていた。

 その矢先の、無条件降伏。

 あの放送を聴いて、日本国民は何を思ったのだろうか。

「陽介は、逃げたりなんてしてない」

 そっと陽介の腕を離し、シンは言葉を紡ぐ。陽介の顔を見あげ、彼女は陽介の手を握りしめてみせた。

「だって、陽介はシンジュリノのために戦ってる」

 愛しい人の名をシンが紡いでくれる。

 シンジュリノは、海ノ国を治める長の娘であり、眼下の島を作り上げるルケンクロの巫女だ。彼女と彼女の司るルケンクロの導きを受けて、陽介はこの世界に呼ばれた。

 陽介が呼ばれた目的は、近隣諸国にその領土を脅かされつつある海ノ国を守ること。海ノ国の領土は海中に没したルケンクロそのものだ。その大きさは長大であり、沖縄本島ほどの大きさを有していると陽介は推測している。

 しかも、島となったルケンクロは今なお生き続け海ノ国の民を導き続けているのだ。その巨大さと神聖さゆえに、海ノ国の民とそのルケンクロをこの世界の最高神とそのみ使いだと讃える民族すらある。

 ゆえに海ノ国はあまたの国家を導く指導者的位置にあり、あまたの国にその座を狙われる国でもある。敵対する国の中には、海中に没した海ノ国のルケンクロを竜艦にしようとする場所まで存在するのだ。

 この世界にやってきて戸惑うことしかできなかった陽介に、彼女はそっと寄り添ってくれた。そして、その身を祖国のために陽介に捧げたのだ。

 そこに夫婦の情があるのか陽介にはわからない。ただ、マレビトである自分に身を捧げようとする彼女の姿は、特攻に身を捧げた戦友を思わせた。

 そんな彼女の思いを、陽介は受け止めようと決意したのだ。

 守っていた祖国は、もうどこにもない。ならば、愛する人がいるこの場所を第二の祖国にしようと陽介は決めた。

 竜艦は高度をさげ、島の湾岸につくられた港へと旋回しながら近づいていく。浅瀬に着水した竜艦は水しぶきを上げながら港へと入っていく。

 着水と共に港は慌ただしい人々の声に包まれた。それもそのはずで、国の力の象徴ともいえる竜艦が一部とはいえ損傷を追っているのだ。竜艦のもつ治癒能力でいくらか穴は塞がっているが、脇腹に穿たれた傷は痛々しい。

 慌ただしいのはそれだけではない。国の長の娘であり、海ノ国の巫女でもあるシンジュリノの姿が港にはある。

 褐色の体を紺青の法衣に身を包んだ彼女は、アップにした銀色の髪をゆらしながら竜兵に乗って港へと降り立つ陽介のもとへと駆けつける。竜兵が地面に着地するやいなや、陽介と共に乗っていたシンが、シンジュリノへと駆け寄っていた。

「シンジュリノっ!」

 シンが彼女へと抱きつく。そんなシンの肩にシンジュリノは優しく手を乗せ、微笑んでみせた。

「お帰りなさい。シン」

「ただいまっ!」

 顔をあげ、シンはシンジュリカに微笑んでみせる。シンジュリノは緑の眼が曇る。そっと彼女はシンの頬に手を添え、訪ねていた。

「何か、辛いことがあった?」

 シンジュリノの言葉にシンは眼を伏せる。そっとシンジュリノの胸に顔を埋め、シンは彼女を強く抱きしめた。

「義姉さまを壊さなきゃいけない……」

「あなたと同じ鉄の竜にあったのね。あなたの姉妹に……」

「うん……」

 頷いてシンは黙る。そんなシンの頭をシンジュリノは優しくなでてやる。

「いつも、すまないな……」

 そんな二人に近づいた陽介は、シンジュリノに声をかけていた。夫である彼に、シンジュリノは優しい眼差しを向ける。その眼差しに誘われるように、陽介は彼女のもとへと駆け寄っていた。そんな陽介へと振り向き、シンは慌ててシンジュリノから離れる。

「会いたかった」

 愛しい人を胸の中に抱く。陽介はあたたかなシンジュリカのぬくもりを体いっぱいに感じていた。

 特攻でかけがえのない戦友を亡くし、その戦友が守ろうとした祖国すら敵国に敗れた。自分は、なんのために戦っていたのだろうか。何もかも失い自失していたとき、陽介はこの世界に呼ばれたのだ。

 始めは戸惑いしか抱くことができなかった。次に抱いたのは怒りだ。祖国から引き離され、自分を戦いの道に引きずり込もうとする海ノ国に対する怒り。

 最後に抱いたのは、シンジュリノに対する共感だったのかもしれない。

 その時の気持ちを、陽介はうまく口にすることができない。戦うことを迫るこの国の人々と違い、シンジュリノは陽介に戦うことを強いることはしなかった。

 ただ一言、自分の妻として捧げられた女性はいったのだ。ごめんなさいと。

 彼女が謝ることではないのに。

 そして彼女は、自分の身を引き換えにこの国を救ってほしいと陽介に懇願した。

 ふざけるなと思った。何もできない非力な女を供物に捧げ、国の危機すらも違う世界の自分に丸投げしようとしているこの国に腹が立った。

 そして、そんな国ですら愛そうとする彼女の献身さがどうしようもなく愛おしかった。

 陽介は思ったのだ。

 誰のためでもない。彼女自身のために戦おうと。 

 そのためなら、命同然に思っていた戦友を屠ることすら厭わない。

「ヨウスケ……嫌なことがありましたか」

 シンジュリノが顔を覗き込んでくる。彼女の新緑の眼は不安げにゆらめいていた。

「自分の命より大切な奴が生きてたんだ」

 そっとシンジュリノを抱きしめ、咲夜のことを思い出す。去り際に殺すと言った自分に、咲夜は真摯な眼差しを向けてきた。

 彼はきっと自分を倒しにやってくる。いや、陽介が咲夜に戦いを挑みにいくのだ。腕の中にいる愛しい人を守るために。

「そいつと戦う。考えるだけでわくわくするよ、シンジュリノ」

「でも、あなたは悲しそうよ」 

 そっとシンジュリノの両手が陽介の頬を包み込む。陽介はそんなシンジュリノに微笑んでみせた。

「俺が、あいつを殺すんだ。生きててほしいと願ったあいつを。凄く矛盾してるよな」

「でも、あなたは行くのね……」

「あぁ、男としてけじめをつける。それがあいつのためでもあり、俺のためでもあるから」

「帰ってきてね。絶対に……」

 愛しい人は優しく陽介に微笑みかけてくれる。そんな彼女を陽介は優しく抱きしめていた。

「陽介……」

 シンがそんな自分たちに声をかけてくる。彼女はぷっくりと頬を膨らませ、自分を睨みつけているではないか。

「陽介ばっかり、ずるい……」

「いらっしゃい。シン」

 そっと陽介を離しシンジュリノがシンに声をかける。シンは顔を輝かせ、彼女の懐へと跳び込んでいた。

「シンジュリノっ!」

 ぎゅっとシンジュリノに抱きつき、シンは弾んだ声をはっする。シンジュリノはそんなシンを抱き寄せ、そっと囁く。

「静かに、赤ちゃんが驚くわ……」

 片手でシンを抱き寄せたまま、彼女は腹部に手を添えていた。そこには陽介と彼女の大切な子が宿っているのだ。

「シンジュリノ……」

 愛しい彼女にふれたくて、陽介はシンジュリノを後ろから抱きしめる。そっと両手を彼女の腹部に回すと、腹の膨らみが少し大きくなっていることに気がついた。

「生きてるんだな。こいつ」

「生きてますよ……。あなたの子ですもの」

 シンジュリノの肩に顔を埋め、そっと目を瞑る。彼女の鼓動がかすかに聞こえてきて、陽介は顔を綻ばせていた。

 新しい命を懸命に守る女性の鼓動。飛行機乗りである自分よりも、その鼓動が強く感じられるのは気のせいだろうか。

「帰ってくるよ、この子のもとに。お前のもとに」

「ええ、絶対に帰ってきてください……」

 そっとシンジュリノの腹の上で、陽介は両指を組む。シンジュリノは愛おしそうに、そんな陽介の手に触れた。

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