第9話 アレシス・クレディント 

 第一印象は、とても良い心根の青年というだけだった。


 この国では元々の役職に加え、いずれ召喚されるだろう聖女を守るための三騎士が代々選出される。勿論聖女の召喚は国の大事が起こった場合に限定されるので、聖女を迎えないまま代が変わるのも珍しいことではなかった。

 聖女を迎えずとも三騎士に選ばれると言う事は騎士の中でも群を抜いて優秀と国から認められるかなり名誉なことであり、アレシスはクレディント家への恩を返すために三騎士の中でも一位である金を目指した。

 とある事情でこの国に流れ、もう故郷の土を踏むことは無いだろうと覚悟を決めながらも喪失感と寂しさの中にいた七才のアレシスに手を差し伸べてくれたのがクレディントの両親だ。

 元々高位の貴族ではあったが、だからこそ自分を迎え入れてくれたこの家の人間として常に誇らしくいようとアレシスは決しておごらず、真摯に周りと接して研鑽につとめてきた。その中で唯一目を背け取りこぼしてしまったのが、フィレトという義弟のことだった。

 彼はアレシスが十才の時にある領土の貴族の家から養子に出されてきた。その時の事情を詳しくは知らないが、まだ六つだった少年は心も身体も傷ついていて、自分が護らなければと思ったのをよく覚えている。

 そこから数年、ずっとフィレトと過ごしてきたのにある時を境に彼はアレシスに強いライバル心を向けるようになった。兄上と呼んでいても、家族の前でもどこかぎこちない。それをどうにかしようとは思っていても、具体案を見つけられず――いや、目を背けてきてしまっていた。


『沙亜羅!!』


 そんな自分が現実を見るきっかけになったのが――央だった。

 彼が聖女だと分かる前から、どこか気になる人物だとは思っていた。異世界の衣装は勿論だが、他の二人と同じ黒い髪に少女と同じ茶の目の色。顔立ちは個人的に可愛らしいと思ったが、当人は自分を囲む二人の容姿のせいか平凡だと笑っていた。でもなんだか目を惹かれ、実は内心でアレシスは困惑していた。

 それはダアンも同じだったようで、彼は仕えることになる聖女と同じように彼のこともこっそりと気にかけていた。巻き込まれていたと言っていたが、あの兄も関係者じゃないのかとアレシスに小声で相談にくるほどに。

 それだけ、あの時点で音霧央は異質だったのだ。

 フィレトが過剰に彼に絡んだのは、彼があまりにもすべてを把握してしまっていたからだけではなくその不思議な空気が気になってしまったからだろう。でも、フィレトの視線はどちらかといえば妹である沙亜羅に注がれていた気もするが。

 とはいえ、アレシス達が仕えるのは聖女である沙亜羅だ。勿論他の二人は守る必要はあるが、彼女以外にあまり目を向けるのもよくない。儀式が行われる時も、フィレトとダアンに周りの守備を固めるよう頼み一人で沙亜羅の傍についていたときもアレシスは実はそうして自分を律していた。

 沙亜羅という少女は常に落ち着き払っており、聖女としての純白の衣装に袖を通して天幕の中でも静かに座っていた。しかしその手が震えていたことに気付き、一度声をかけた。


『……貴方も、私が本当に聖女だと思いますか?』


 そう彼女に問われた時――ある可能性が頭にちらついた。そんなアレシスと同じだったのか、沙亜羅は立ち上がり何か言いかけ……あの事件が起きた。


『――っ』


 神というものが目に見えるなら、あれなのだと思った。

 風に揺れる白銀の髪、血のように鮮やかで深い紅い瞳。金色にも銀にも見える魔力の輝きを身に纏ってその場に立つ美しい人間の姿にアレシスは生まれて初めて何かに心から見惚れた。自分の傷を癒し、魔族を傷つけることなくその強大な魔力で送り返し、それでもどこまでも妹を守ることを忘れなかった姿に心をうたれた。

 金色の花びらの中、天から差す光の下で佇む姿にこの人こそ自分が仕える神の使いなのだと思った。

 同時に兄としてどこまでも妹の身を案じて考え動く姿に憧れも感じた。聖女としての提案も、確かにあれしか手はなかったが相当無茶なものだ。

 妹を庇護下に置くために、敢えて聖女と言う立場に置く。それだけ自分たちを信頼してくれてるということだが、本来自分が受ける感謝や称賛を身内とはいえ他の人間に向けさせるなんて普通の人間ならば無理だろう。

 彼は自分の欲よりも何よりも、妹のために動いていた。

 自己犠牲の部分も皆無ではないが、なるべく当人を傷つけないよう自分も大切にする方針でも頭を働かせており、あの大鑑定士であり魔術師のノアにも気に入られていた。本来王都には長く滞在しない主義の彼がこの城に暫くとどまることを決めてくれたのは央たちの存在が大きい。

 それほどの人間を、自分は守れるだろうか。

 あのような理想の兄に、どうしたら自分はなれるのか。

 自分はフィレトに、どう接していたかったのか。

 それらはあの央との会話ですべて気付かされることになった。


「……本当に、不思議で、お優しい方だ」


 央を送り届けた後、宿舎への道を歩きながらアレシスはそっと己の右手を見つめる。安全のためと手を引いただけなのに相当目を丸くして驚いていた姿がかわいらしかったなどと、彼に伝えたら怒られてしまうだろうか。

 あの優しくもどこかズレつつ、しかし誰よりもこの世界の事柄に詳しい少年をアレシスは今日が初対面だというのにひどく気に入っていた。

 友人、主、弟、どういう好意かは自分でもよくわからないが彼なら信頼に値するし、仕えるべき相手だと思えた。ダアンと……特にフィレトは発狂寸前まで混乱するだろうが、彼ならきっとあの二人も聖女と認めて仕えてくれるだろう。時間がかかろうとも確実にその日はくるのだと確信できるくらい、音霧央という少年への忠誠心が芽生えていた。

 ……彼の苦難はこれからだろう。

 聖女として座に置かれるのは沙亜羅だが、彼はこれから聖女としての力の使い方やこの国について学ばなくてはならない。魔族にも本当の聖女は彼だと情報が回っているだろう。近隣の国との協力も強固にし、この世界に広がりつつある瘴気の浄化へと糸口を探すためにはいずれ周りの領地への探索も必要になる。そのための修行もノアは厳しく行うだろう。

 何故か央には特別に甘いが、そこは現王の家庭教師をしていた時と同じように厳しい筈だ。それでも、彼には愛する妹がいる。心から支えているのだろう糸という幼馴染も傍にいる。彼らのようにとまでおこがましい考えは抱かないが、これから少しでもあの少年の力になれることがあれば全力を尽くしたいと思う。

 出逢ったばかりであったが、それがアレシスの本心だった。


「……聖女は異界より舞い降り、使命を終えて運命を選ぶ、か」


 この国の聖女のシステム起源になったという伝承の一節をふと思い出す。

 書物などの記録によれば、最初の聖女が現れたのは今から千年も前のこと。

 その頃この大陸は戦乱の最中であり、各国が領土を巡って毎日のように戦に明け暮れていたという。人の心は荒み、今はもう見なくなった人身売買などの犯罪が当たり前のように行われていた。

 そんな中現れたのが異界から訪れた聖女であり、彼女はその浄化の力と人望高い性格と魂からたくさんの人々に慕われ、平和を心から願うものを国家関係なく集めて纏め上げた。そして戦乱の原因だったらしいとある国の王に巣食う悪しきものを浄化しこの大陸に平和をもたらした。

 その少女の傍に仕えていた一人の黒髪の青年が、三騎士の起源だという。

 物語では聖女を慕い彼女を守った誠実な青年と伝えられていてそれが真実だとは思うが、アレシスが以前伝説について学んでいたころはいくつか全く違う事柄が書かれていたりした。元貧民街の出だとか、口が悪かったとか、元犯罪者で聖女を初対面で売ろうとしたとか、すぐに彼女を小突く癖があったとか。千年も昔にいた人間の話なので真実かどうかは定かではない。物語の通りでも、美談に書き換えられていても、確認する術はもうないがその書物だけどうにも真実味を感じるほど愚痴にまみれていたのは覚えている。

 そして共通するのが、とても綺麗な赤い眼でいつも聖女を愛おしそうに見つめていて、戦いが終わるころには誰も叶わないほどの強大な魔力を持っていたということ。

 どんな時も聖女を支え、叱咤し、どこまでも共にした。何度も苦難に見舞われ、それでも彼女を守り続けるその騎士の物語に幼いアレシスは憧れていた。

 だが実はこの一番最初の聖女の伝説の終幕はほんのりと苦い。

 騎士と聖女は惹かれ合うも、聖女は天に――つまり元の世界に戻る運命を選んだ。

 聖女と別れた騎士はその後数十年平和が訪れつつも再興に向けて動き出した各国を巡り発展の手助けに奔走して――それから急に姿を消したという。

 彼がその後どんな人生を送り、どのようにして死んだのか誰も知らない。亡骸も墓も見つかっていない。それはどの書物でも同じだった。


「……聖女は、いずれ元の場所に」


 恐らく、央たちの目標もそこだろう。彼らはこの世界の問題に巻き込まれて呼ばれただけだ。生まれ育った国へ帰りたいと思うのは当たり前だろう。


「そう、彼らは私とは違う。歓迎される場所が……待つ人がいてくれる故郷がある」


 ならば、アレシス達はそのために、この世界の為に戦おう。そして守ろう。


 胸の奥の小さな痛みに気付かないふりをして、金色の騎士は朝焼けに染まり始めた空を見上げて静かにほほ笑んだ。


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