第24話

 再度筋肉連中の席へ戻り息を吸い込む。憂鬱の限りだがやらねばならぬ。俺は大変申し訳なさそうにしながらも胸を張り、注文の不足を訴えんと口を開いた。


「申し訳ありませんお客様。ご注文したお品物とお伺いした数が合っておりませんので、今一度ご確認していただきたく……」


 一斉に集中する眼光。針のむしろである。殺伐とした空気に呑まれ、謝りたくもないのについ「すみません」と頭を下げてしまった。負け犬根性が身に付いてしまっているようで、嫌な気持ちだ。


「すみませんじゃないよ。注文が足りないとかガタガタ言うな。そっちの失態じゃないのか」


「……」


 威圧的な声。塞ぎ込んでいるところにお怒りの言葉を頂戴し更に萎縮してしまう。覚悟していたとはいえいざ矢面に立たされると中々胆力が試されるもので、低く唸るような異議申し立てに俺は竦んでしまったのだった。


「とにかく払えん。確証がなけりゃ払えん。そっちがぼろうとしてるかもしれんのだ。証拠がなきゃ金は出さんぞ」


 さて困った。納得はいかぬが言い分としてはもっともである。確かに、客観的に見ればこちらの過失ではないとは言い切れないし、考えてもみたら、そもそも故意ではなく本当に食べたものを失念しているかもしれない。そうなればもう水掛け論。埒がない。残された道は交渉、説得の領域。俺には荷が重い仕事であり、そもそも左様な権限を持っていない。

 であればここは責任者頼り。白井さんに対応願う以外に術はないだろう。俺は振り返りカウンターを見つめる。


「……」


「……」


 長卓に置かれる白井さんの右拳には控え目に親指が立てられていた。意味するところは「お前に任せた」である。何という無責任かと嘆きたくなったがそうもいかない。事は現在進行で深刻化しているのだから俺が何とかせねばならぬだろう。

 もっとも、白井さんのあの様子は半分面白がっているに違いなく、ともすればこれ以上問題が大きくなればさすがに対処してくれるだろうから、俺はままよと半ば開き直りに近いヤケクソを発揮すればいいだけだ。後の事など知るかの精神は時に慎重さに勝るメンタリティである。


「そう申されましても、こちらは確かに最初のご注文の際にお品をお伺いしたわけでありまして、間違いはございません。お支払い頂かなければ困ります」


 自棄となれば自然、舌が回る。雄弁な者はきっと日頃からこうした心境にいるのだろう。向こう見ずな事だ。


「その最初の注文が間違っていたかもしれないだろう」


 食い下がる筋肉。さもありなん。もし故意に数を誤魔化しているのであれば今更吐いた唾を呑むわけにはいかないし、勘違いであればそもそもこちらの論が言い掛かりに聞こえるのだ。いずれも反意するしかない。討論口論の火蓋は既に切られている。逃げ場はない。


「いえ。こちらは間違っておりません。最初に確認いたしました」


「だから証拠がないだろう。この店は頼んだ覚えのない料理の代金を客から取るのか」


「いえ。こちらは間違っておりません。具体的にはオムレツとローストビーフと白身魚のポワレが一品ずつ不足しております。お支払い願いたく……」


「だから証拠を見せろと言っているんだ」


 先程から喋っている筋肉が卓を叩き立ち上がった。

 この時俺はこの筋肉が誤魔化しているなと確信する。証拠を出せの一点張りだが、ここまでこの筋肉は食べていないとは言っていないし、よく見れば周りに座す仲間の筋肉達の様子がおかしい。一緒になって怒るでも諭すわけでもなくニヤニヤと笑っているのだ。これは見世物を前にした反応。きっとこの筋肉は、いつもこんな風にして提供された品物の一部を無銭飲食しているのだろうと察する。

 許せない話である。飲食店の敵ではないか。こいつは度し難い悪党だ。斯様な人間相手に退いてなるものか。

 俺は更なる決意を胸に断固戦い抜く覚悟を固める。ならず者に臆しては男が廃る。徹底抗戦である。


「証拠証拠というならばお客様がご注文なされていないという証拠をご提示いただきたい」


 最強の意趣返し。禁断のカウンター。悪魔の証明を要求。

 論法としては最低だが、なぁに構うものか。責任をとるのは白井さんだ。俺は知らん。後は野となれ山となれだと、失うもののない精神的地の利を生かす。この捨て身の弁にはさしもの筋肉も臆する。どうやらこの男、窮鼠に噛まれた事はないようで、立ちながらもその巨体をどうしたものかと考えあぐね暗中にあるようだ。


「藤田さん。諦めなよ。今日は大人しく払った方がいい」


 そう横槍を入れてきたのは彼の女であった。

 しかしこれは助かった。毅然と言ったはいいものの、反論されたらどうしようかと思っていたところ。こちらに二の矢はなかったのだ。

 そんはものだから、食って掛かる筋肉を苦笑いを浮かべ制する女な姿はまるでメシアであった。


「じょ、冗談じゃないよ花ちゃん。俺は……」


「……」


「わ、分かった……」


 一睨みで筋肉の肩が縮んでいく。花ちゃんなどという可愛らしい呼び名に反し、何という眼力であろうか。伊達に土建稼業に従ずる女ではない。その胆力は並の男以上である事は想像に容易い。そうでなければ、きっと力仕事は勤まらぬ。


「というわけだ。悪いね兄さん。こっちの勘違いって事で、一つ済ませてくれないかい」


 軽快に響く女の一声。実にさっぱりしている。気持ちがいい。仁ではないか。


「とんでもございませ。お支払いいただけるなら、こちらとしても……」


「そうかい。ありがとうよ。じゃあ、会計頼むわ」


「かしこまりした」


 一件落着。長く続いた争いの幕はデウスエクスマキナによる一石により幕を閉じた。にこやかな筋肉達に混じり、先に舌戦を交わしていた筋肉も渋々と財布を出している。戦いは終わったのだ。これでようやく会計である。俺は帰り支度を始めた筋肉達をレジに案内し、お見送りをするのであった。



「ご馳走さん」


「はい。ありがとうございます」.


「また来るよ」


「……お待ちしております」


 一人一人律儀に挨拶をしていく筋肉。根は良いのかもしれないと、つい絆されてしまう。



「……見直したよ。兄ちゃん」


「……え」


「じゃあな」


 金のやり取りをした際、花ちゃんと呼ばれる女はそう言って去って行った。


 見直した。


 その言葉の意味するところを、俺は掴めなかった。

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