第23話

 一美と店に戻った途端。俺はあまりの光景に言葉を失ってしまった。なぜかといえば、タンクトップを着用したたくましい肉体を持つ面々が客席にずらりと並んでいたからである。一瞬仕込みかとも思ったが、それにしては役者めいていないのでその線はないだろうという結論を出さざるを得なかった。


「ごめん二人とも急ぎで」


 一人汗をかく白井さんは叫ぶようにそう言いながらキッチンを右往左往としていた。伝票を見るととても尋常ではないオーダーの数。サラダ八つ。季節のポタージュ八つ。カツサンド四つ。チーズドリア四つ。カツレツ四つ。白身魚のポワレ四つ。オムレツ八つ。ローストビーフ八つ。シュリンプフリッター四つ。ピザ四枚。スパゲティカルボナーラ。スパゲティペペロンチーノ。スパゲティジュノベーゼはそれぞれ一つずつだが、各欄に大皿とカッコ書きがしてある。

 洋食ばかりの字面は一見洒落ているがその量たるや野蛮の一言に尽きる。考えただけで胃もたれが起こりかねないハイカロリーなガテン系の食事はもはや戦前夜の様相。頭数は八人。八人でこれを平らげるのかと思うとゾッとしない。

 いったい何がどうしてこうなったのかと客席に陣取る八人の会話に聞き耳を立てれば、どうやら区画工事でやって来た連中らしく、「美味そうな飯屋がある」と言う事でご来店されたとの事であった。賛辞はありがたいがここはカフェであり腹を満たすために押し掛けられるのはいい迷惑である。


「シンちゃんとりあえずサラダ持っていって。村瀬君は揚げ場とシンちゃんのサポートよろしく」


 白井さんの言葉に俺と一美は同時に頷きそれぞれ仕事に就いた。ホールとキッチン双方を預かれとは無茶を言うものだと思ったが、他に人がいない以上はやらねばならない。茶を挽く日もあればこんな日もあるかと諦めるしかなかろう。

 腹を決めた俺は心を無にし揚げ鍋に粉をつけた豚肉や海老を投げ入れ、完成した料理を一美と共に運び、時にはホールにも目を光らせ任を全うせんとしゃかりきとなった。不思議な話で、何故かこういう日に限って客が万来となり瞬く間に椅子が埋まってしまう。店内は大繁盛。白井さんは嬉しい悲鳴を上げ、俺と一美は思考と感情を放棄し反射とルーティンのみで動き、ご新規対応。上げ膳据え膳と遮二無二動き回った。そうしてなんとか例の筋肉集団のオーダーを全て運び終えキッチンが落ち着いた頃、ホールに専念していた俺は気が付く。その筋肉集団の中に、スポーツジムで会ったあの雄の風格を持つ筋骨逞しい女の姿がある事を。


 瞬間。

 過ぎる二択。

 話しかけるべきか否か。


 峠を超えたと思っていたがこれは急変。看過できぬ事態となってしまった。

 客として足を運んできている以上は客として接するのが鉄則。例え気心知れた竹馬の友がフラと来ようとも万事礼節を尽くすのが給仕の矜持。気軽に私語などするべきではない。それをジムでたった一度きり出会った、しかも鍛錬の邪魔をしてしまった相手に対し、「いやどうもお世話になっております」などと軽率に声をかけようものならばそれは大変な過ちである。それにもしかしたら、彼女は当時の事など失念している可能性もあるわけだから不用意な行動は避けるべきだろう。

 だがしかし、稀にだがその逆も、知った顔を見かけたら話をした方がいいという事も、往々にしてある。それは何故か。自身の存在が他人に焼き付いていないと気が済まない人間がたまにいるからである。

 コンビニなどでやたらと馴れ馴れしく店員とレジ越しの世間話に興じる手合いなどがその最たる例ではなかろうか。そうした連中はこちらが知らない。覚えていないというような反応を示すと酷く厄介な難癖を付けてくるので始末に困る。それ故、接客においては早々にその兆候の有無を判断し然るべき対応を取らねば要らぬ問題が生じるわけであるが、今まさに、俺はその決断をしなければならない立場となってしまったのであった。

 相手方はまだ気付いていないのか、そもそも記憶にないからか、当たり前に料理を口に運び機嫌よく皿を空けている。しかし、もし俺と目が合い何らかのリアクションがあったならばその時にはすでに遅い。先手を取りイニシアチブを握らねばお客様と給仕という関係上こちらが圧倒的に不利なのだ。少なくとも奴らが食事を終え、会計をするまでには腹を決めねばならぬ。過剰接客を是とするか否とするか。難問だ、これは。



「兄ちゃん。お勘定」



 間も無くその時がきてしまった。判断材料のなさが悔やまれる。無策のまま突貫するのはあまりにリスキー。だが、しかし、呼ばれた以上は行かねばならない。


「はい。ただいま」


 俺はレジスターに頼まれた料理を打ち込み合計金額を計算(追加でピザ二枚にビールまで注文があった)しながら考えた。あの女をどうするか。話しをすべきか否か。出した結論は……



 無視しよう。



 触らぬ神に祟りなし。俺は知らぬ存ぜぬと静観を決め込む誓いを立て、何食わぬ顔を作り計四万六百円のレシートを客席まで持っていった。


「お会計を失礼させていただきます」


 接近する件の女。塩梅はどうだろうか……

 恐る恐るレシートを出しチラと覗く。すると、どうやら彼女は俺に興味がないようで、頬杖をつき豪快に欠伸をしていた。

 俺は「よし」と心中で叫び、自身の判断を正しかったと肯定し、その場で勝鬨を上げたい気持ちを抑えた。これで全てが終わると、終わったら今日は祝杯だと、貧乏なくせに、そんな事を考えていたのだ。

 だが、一難去ってまた一難。レシートを渡し立ち去ろうとした瞬間。筋肉の内の一人から、聞きたくない言葉を投げられたのであった。


「じゃあ、支払いは別々でよろしく」


 支払いは別々。即ち、一人一人が頼んだものを順に会計してくれという、大変面倒な決済処理をしろとの要望であった。

 はっきりいってこれは困る。作業が多くなればその分間違いをする機会が増加するのだ。ただでさえ神経を使うレジ業務をより注意深く行わねばならない。それに初手で一括注文されているのだから、各々のお客様から何々分を支払う旨を宣告していただく必要がある。これがどういう事かというと、意地の悪い考えを持てばちょろまかす事もでき得るのである。

 手癖、流れで処理すれば痛い目を見る。油断などできようはずもない。然らば。


「かしこまりました。それでは、お一人ずつから順にご注文をお伺いして、レシートをお渡しいたします」


 先の注文を取り消し、それらを再度、個別の注文があった事にするのだ。

 俺はテーブルを回り、誰が何を頼んだのか注文を聞きいた後レジに立ち、一枚ずつレシートを出した(ピザとスパゲティとシュリンプフリッターは割り勘にするから別会計でまとめてくれと仰せつかった)。面倒であるが確実な方法であり最善である。


 そうして改めて合計額を出し、取り消しをしたレシートと見比べると、やはりというか、まさかというか、金額に差異が生じたのであった。恐らく誰かが数を誤魔化したのだろう。

 これまでの疲労と、筋肉連中に意見しなければならないという恐怖から、もうこれでいいのではないかと不正を通してしまいたい気持ちになるが、見つけてしまった以上、無視はできない。


 嫌な仕事だ……


 俺は注文した料理と金額が合わぬ旨を伝えてくると白井さんに報告した。「俺が行こうか」という返答を期待したが、得られたのは残念ながらサムズアップのみであった。悲しいかなホール業務。俺はきっと自分が浮かない顔をしているのだろうなと辟易しながら、例の集団の中に飛び込むために「よし」と小さく意気地を震わせたのだった。

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