第22話

 一美いちみはどのような反応を示すだろうか。ギターに読書。モテるだろうと思い始めたものだが、実際に女に話すのは初めてである(先生である揚羽あげはと売り子である揖良ゆうらは除いていいだろう)。存外効果なく。反対に古臭いとか、暗いとか言われないだろうか。憂苦にふさぐ。


「そうなんですか。凄いです。センスありますね」


 だがそれは杞憂であった。思いの外の好感触。よもや感性まで賞賛されるとは至極である。どうやらハウツー本に記してある内容は正しかったようだ。これならば揚羽と揖良にも、それぞれに「本を読んでいる」「ギターを弾いている」と喧伝しても良いやもしれない。


「あ、いや、そんな事は……」


 とはいえここで「そうなんです俺はセンスがあるんです」と胸を張るのも傲慢だと感じ、努めて謙虚を装い慎ましい様子を演じた。態度の大きな男は嫌われるらしいので、この選択は恐らく正しいだろう。


「あ、ご謙遜までされて。凄いです。さすがです……そうだ。ギターがあるなら、今度お店で何か弾いてくださいよ。聴いてみたいなぁ村瀬さんの弾き語りなんか」


 思わぬ落とし穴であった。

 ギターを持ってきて弾き語る事などできるはずがなかろう。なにせ俺はギターを持っていない。存在しない弦など弾きようがないではないか。


「ま、まだやり始めたばかりで下手だから、上達したら、考えます」


 ギターを習っているのに肝心のギターを所有していないと知れたらそれこそ幻滅されそうなので俺はまた嘘を吐いた。

 これは方便だと言い聞かせるも良心の呵責に苛まれるのだが、せっかく好い印象を持たれたのにここで一美の失望を買うわけにはいかない。であればこの虚偽は必須の嘘であり、胸の鈍痛はあり必要な痛みである。いや、始めたばかりで下手というのは本当であるわけだから、そこまで思い悩む事もないだろう。ともかく俺は一美の前で「ギターを持ってないので弾けません」とは言えなかった。これを虚栄というのだと、知らないわけではない。


「そうなんですか……あ、それなら、クリスマスまでに何か一曲、弾けるよう練習してくれませんか。実は、白井さんがお店でクリスマスパーティーをやりたいって、この前に仰っていたんですよ」


「そうなんですか。へぇ……」


 それは初耳であった。よもや白井さんが左様な計画を立てているとは思わなかったが、良い機会だなと思った。

 これで俺の目的は、チャリングクロスにて行われるクリスマスパーティーまでにギターを購入し、適当に盛り上がり格好のつく曲を習得する事となったのである。モテるため。ヤるためと、無闇闇雲に励むよりは、明確な目標があった方が余程修練に身が入るだろうし、金も貯められるというもの。それに、不自然なく一美にギターを披露できる場が用意されたのだ。格好をつけるのにまたとない好機。否が応でも意識は高くなるだろう。


「分かりました。頑張りますね」


 肯定し笑顔を見せる。自身の姿を見る事はできぬが、一連の動作所作はきっと爽やかに違いないだろう。そうでなければ一美が「約束ですよ」と眉を下げるわけがない。彼女の美しい白い歯は俺の決意を強固にし自信を持たせてくれる。クリスマスまでに一曲披露できるくらいに腕前が磨かれ、そしてギターをきっと買えると確信できるのである。そして俺はクリスマスに一美とねんごろになれるような気がするのだ。


 もし一美と男女の仲となったら、心ゆくまで二人で出かけよう。そしたらまた二人でこの公園の今いるベンチに座り、手と唇を重ねるのだ。揚羽と揖良も、機会があれば抱いてしまおう。一度くらいならそんな望みもあるかもしれない。そう。俺はこれからモテて、ヤるのだ。そうなる運命なのだ。


 一美の微笑は根拠のない自惚れを促進させ不貞さえも肯定させる不思議な効力を持っていた。俺はこの時、三人の美人とヤレるのが当然であると信じて疑っていなかった。


「なら、指切りしましょう」


 不埒な妄想に励む俺とは対照的に、一美は一途に純真な約定を交わそうと小指を差し出した。まるで子供が親にお土産を買ってきてねというような他愛なさを見て俺は背徳的な劣情を抱き、この場で、目の前に並ぶみのり二つを掴み顔を埋め舌を這わせたい衝動に駆られたのだが篤と堪えて、一美と互いに小指を絡ませた。伝わる一美の血脈と暖かさ。

 この人肌が一美の温度なのかと思うと神秘に触れたような気がして頭の中が黄金の幸福に染まり、また、これ以上の進展を意識外が求め勃起してしまうのであった。俺はやはり男なのだなと、つくづくと思い知る。


「指切りげんまん。以下略」


「村瀬さん。横着なさりますね」



 手順の省略はひとえに下半身の窮屈が原因であった。前屈みでの拳万はことの外身体を痛めたし、なにより純粋に満ちた一美に対して申し訳なく思ったのだ。


「そろそろ、他のところに行きますか。身体も冷えてきましたし、カフェにでも入って、お茶でも」


 俺は罪悪感から逃れるために話しを変え、岸を移そうと提案した。場所が違ったところで心は俺の中にあるわけだから、根本の解決にはならないのだが。


「やだ。なんだか、ナンパをしている人みたいですよ」


 そんな俺に対し一美は軽く息を吐く。小馬鹿にしているようにも感じたが、彼女に対しての美愛意識により悪い印象は受けず、返って悪戯な機微がより愛おしく映るくらいであった。


「でも、悪くはないですね。実は、行ってみたいお店がありまして。付き合っていただけると……あ……」


 一美の前向きな言葉の途中、水を差すようなスマートフォンに着信が鳴った。相手が誰であるかは、なんとなく想像ができる。


「ちょっと、電話に……あら、白井さんからですね。出てみます……もしもし……はい……はい……大丈夫です……あぁ、それはそれは……はい……分かりました……はい……それでは……」


 予想通り、電話をかけてきたのはやはり白井さんで、二人が何を話したのかというのも、おおよそ察しがついてしまった。


「残念。団体さんがいらっしゃったそうです」


「そうですか」


 控えみに笑う一美を前にして露骨に落胆するわけにもいかなかった。しかし、その悔しさたるや筆舌に尽し難く。下手をすれば血涙が流々となりかねぬ程に、俺の心中は穏やかではなく荒れに荒れていた。


「好事魔多し。ですかね」


 俺は断腸の思いでベンチを立ち、穏やかに惜しむ言葉を落とした。本来であれば唾でも吐き捨ててやりたいところだが、一美の前なので我慢せざるを得なかった。


「あら村瀬さん。私と一緒にいる時間は、好事だったんですね。嬉しいです」


「え、あ、その……」


「冗談です。さぁ、行きましょう」


「……はい」


 思わぬ一刺しに動揺してしまった。うだつの上がらなさが露呈してしまい恥と照れがちょっとした愛悪を生んだが、胸の内は隠しておく事にする。


 こうして束の間の至福は終わり、俺は一美とともにチャリングクロスへと踵を返したのだった。秋晴れは愛も変わらず気持ちが良かったが、俺の気持ちは消化不良のようにもやとしていた。

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