第17話

 狩村は大袈裟に笑いながら「しばらくね」と俺の肩を無闇に叩いた。その際彼女の控えめな乳房が控えめに揺れたのだが劣情は抱かず俺の心は平静を保っており抱きたいと思えなかった事から、やはり今も昔も狩村は狩村だなと妙に納得をしたのであった。


「どう。元気してた。私は元気なんだけれど」


 脈絡が掴めそうで掴めない言葉である。もし包み隠さず返事ができるのであれば、お前の気分体調など知った事ではないとあしらいたいところであるが、そうもいかない。


「まぁ、元気です。狩村さんもご壮健でなにより……」


 仮にも級友であった人間との再会において取りつく島もないのは人情味に欠けるというもので、また、生来の小心からいらぬ配慮も見せてしまう質なものだから、俺は口角を引き上げ話しを合わせる他ないのであった。


「元気でよかった。でも、ちょっと顔色を悪くしていらっしゃる」


「あぁ、最近、食が細いもので……」


「あら。悩みがあるのかしら。それは大変。実は。私今占い師やってるの。これも何かの縁でしょうし、是非あなたの運勢を見せていただきたいわ」


 なるほど理解した。馴れ馴れしく近寄ってきたのはそういうわけか。あろうことか狩村は、級友相手にセールスをかけてきたのだ。

 なんとさもしい人間であろうか。如何に困窮しているとはいえ昔よしみの相手にインチキ半分の商売を持ちかけるとは。斯様な事なら愛想など不要であった。己の人の良さが悔やまれる。


「間に合ってます」


 返答は当然拒否。拒絶。飲みたい酒も食べたい肴も振り切って直帰を敢行しているのだ。なけなしの金を堯薄の痴人にたかられるわけにはいかない。


「そんなつれない。いいじゃない。ちょっとだけ。ちょっとだけだから。お値段の方も、少し勉強させてもらうから」


「必要ありません。さようなら」


「まぁまぁ。そう言わずに。こっちへ来て。悪いようにはしないから」


「いや、結構です」


「いいじゃない。分かった。本当なら三千なんだけど、特別に二千五百円で見てあげるから」


 俺の手を引く狩村の力は強い。小さく華奢な身体であるが金が関わるとどこからか活が湧いてくるようで容易に引き剥がせず、綱引きの要領で往来で硬直している。そういえばこの狩村、中学時代によく給食のおかずを寄越せと誰彼構わず言って醜い食い意地を見せていた。その時は単に卑しいだけかと思っていたが、どうやら食に限らず銭にも執着を見せる生粋の欲深であるらしい。俺に向ける視線が餌を前にした獣と同じだ。まるで我欲の権化である。何ともはや救い難い。


「お金がないんですよ。二千五百円も。残念ですが。本当に」


 このままでは強制占術を行使されかねないと、ついに俺は晒したくもない懐事情を口にし、千円しか入っていない財布を見せておどけてみせた。

 この千円が俺の自由に使える全財産であり、ここからコーヒー代や間食代も賄わなければならないのだから実質的に無一文と言っても過言ではない。占い代など払えるものか。


「そう……残念……」


「はい。残念ですが……」


「分かった。特別サービスで、千円で占っちゃうわ」


 お前は馬鹿か。

 そんな言葉が喉から出かかる。

 何が分かったというのか。全然分かっていないではないか。「貴様に払う金はない」と正直に述べねばいけないのか。こちらの意も汲めぬとは嘆かわしい。


「いや、本当に、ちょっと、やめていただきたい」


「これだけ譲歩してまだ駄目なの。村瀬君は守銭奴なのかしら。そんなんじゃ、女の子にモテないよ」


 モテるために無駄金を使いたくないのだとこの業突く張りに言ってやりたがったが我慢した。弱味を見せたらそこにつけ込んでくるに決まっているからだ。


「よし。なら出血大サービス。本当に大特価。特別の特別。スペシャルセールスで、貴方だけ、五百円で見てあげようじゃない。


「五百円……」


「そう。五百円」


 定価から九割近く価格が下がった商品に果たして価値はあるのだろうか。そんな疑問が頭を過ぎったが、それよりも狩村の執念に圧倒され、つい考える素ぶりなんかを見せてしまったのがいけなかった。気後れし力が抜けてしまった俺は、「さぁさぁ」と腕を引っ張られるままに安い椅子に落とされ彼女の対面に座しまったのだ。五百円の損失が確定である。


「じゃあ、恋愛運を占ったげる」


「金運にしてほしいんですが」


「占うまでもないわ。最悪よ」


「あ、はい……」


 まさに今金をドブに捨てたわけなので狩村の言の通りなのだが釈然としない。


「それじゃあ、幾つか質問するから答えてね。まずは……」


 それから俺は生年月日やら血液型などを聞かれた。

 その中で好みの女のタイプはと問われた際には胸が豊満な女と答え白眼視されたのだが、恐らく、それは彼女自身の貧相な乳房を気にしているからだろう。コンプレックスとは悲しいものである。


「……はい。出ました。村瀬君の恋愛運」


「あ、はい。どうでしたか」


「悪くはないです」


「……」


「……」


「それで、具体的にはどう悪くないんですか」


「五百円ではここまで」


「……」


 これは詐欺ではないか。具体性のない助言など子供でもできよう。如何にプライスカットの限りを尽くしたとはいえあんまりである。


「もうちょっと、教えてくれてもいいのではないでしょうか」


 これでは五百円丸損であり到底納得がいかない。不満を募らせた俺は食い下がり更なる結果の提示を求めた。

 別に占いを信じているわけでもないのだから聞かなくとも全く問題はないのだが、損をしたという事実は到底許しがたく許容できない。嘘でもいいから、助言や吉報でも耳に入れなくては我慢ならない。


「見かけによらず欲張りだね村瀬君……まぁいいわ。昔のよしみですもの。そこの缶コーヒーを買ってくれたら、少しだけ話してあげる」


 さらに強請るか。だが致し方ない。そもそも三千円が五百円まで下がったのだ。缶コーヒーくらいは恵んでやってもよかろう。

 俺はこの時そんな事を思っていたが、考えても見れば押し売りである。コーヒーなど買ってやる義理は本来ない。しかし俺は正常な判断ができず、沼にはまってしまったように金を吐き出し缶コーヒーを二つも買ってしまったのだった。


「どうも。それじゃあ教えてあげるけど、村瀬君。案外近い日近いところで出会いがあるよ」


「……不明瞭ですね」


「缶コーヒー一杯分だと、これくらい」


「なるほど」


 俺はまったく無愛想に頷いていつも飲む缶コーヒーをすすった。内心憤りを感じてはいたが、笑顔を作り、椅子から立った。


「ありがとうございました。それじゃあ」


「ありがとう。今度は正規料金でお願いね」


「考えておきます」


 思わぬ寄り道と出費を挟み、ようやく帰宅した俺は食事も摂らずすぐに寝てしまった。随分と疲れてしまったのはジムのトレーニングのせいか、級友の悪徳商法によるものなのかは定かではない。

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