進路にして退路(中1男子 VS 高3男子)

 さて。


 夏のイベントをいくつかこなして、なんだか自分が受験生ではないような錯覚に陥りそうになっていたので、テコ入れをした。


 正確には母親からテコ入れを指導された。


 塾の夏期講習。


 はっきり言って今更感はあるんだけれども、「勉強してるんだ!」という精神衛生上の安心感を得るためには有効かもしれない。


 ちなみに、文系科目に限っての話ではあるけれども、わたしの成績はそれなりにいい。

 少なくとも東京にある志望校の文学部の合格率は常に80%を超える模試の結果を残してきた。


 小説の投稿などしていてよくまあ勉強まで、とお思いになるかもしれないけれども、わたしの中では非常に合理的な説明がつく。


 わたしは、小説のネタを極めて現実的なものにしているからだ。


 国語に関しては言わずもがな。

 戦国武将小説を偏愛してきた効果で日本史もなかなかのものだ。


 そして意外に思われるかもしれないが、英語がずば抜けている。これはわたしが小説を描くときにとても大切にしている、『語感』に極めて関連がある。


 いわば、リズムだ。

 そして言語というものは何語であれ長い年月を経て合理的なものが残っている。


 日本語で小説を書くにあたって、語感というか語呂がいいという表現を常に追い求めていると、英語のテキストやエッセイや長文を読んでも、「あ、この流れなら『この音』じゃないと絶対にはまらない」という感覚で解答欄に答えを書いて、まず間違ったことはない。


 もっと言おうか。


 ピアノの音が「ここにはこの音だろう」というのと同じ感覚で英語や国語については解答できてしまうのだ。


 更に脱線すると、以前読んだSNS上のエッセイで、いわゆるリーマンショックの要因のひとつであった個人投資家の破綻の中で、投資する際の理論に、「楽譜」を使用していたという不可思議なものがあった。

 結果的にはそんなぶっ飛んだ理論のせいで全世界の経済が深甚なダメージを受けたというオチのエッセイだったのだけれども、わたしはその理論を否定仕切れない。


 だって、現にわたしがそうだから。

 模試の解答も、小説を書くときの言葉の選び方も、語呂、語感、音、音符。

 こういったものの影響を間違いなく受けているから。


 そして、夏期講習初日。


嶺紗れいさ

「・・・南条?」


 しまった。

 同じ市内に居住する以上、しかも同学年である以上こういうことが極めて高い確率で起こる可能性を想定して置かなかった自分の思慮の浅さを無能だと自分で罵った。

 わたしのそんな内面の自己卑下などにはまったく構わずに南条は語りかけてくる。


「いやあ。ラッキーだわ。嶺紗は頭いいからな。分かんない所教えてね」

「いやだ」


 自分でも驚いた。

 『えー』でも、『いやよ』でもなく、


 この男とだけはわたしは接点を持ちたくない。持たざるを得ない時にはそれを最小限に抑え込みたい。


 でも、同じ講習の、しかも席次まで隣同士と定められているその状況下、わたしは男性講師に訴えかけてみた。


「すみません。席を替えていただけませんか?」


 間髪入れずに、


「どうして?」


 と講師から訊かれた。


「左隣の男が、嫌いだからです」


 和んだ笑いか、あるいは失笑かが起こるだろうと期待していたら、そのいずれでもなく、代わりに教室の空気が凍りついた。


「ごめんなさい。ここは塾で、集う目的は志望校の合格、だだそれのみです。目的本位に徹してください」


 わたしの問いかけに対して何の解答にもなっていないけれども、要はめんどくさいこと持ち出すな、ということだろう。


 とりあえずこの場は諦めた。


「なあ、嶺紗。ちょっとカフェでも寄ってかないか」

「いやだ」


 夕方から始まった講習が全部終わったので、わたしは南条に対して反応する時間すらもったいなく感じて、たった3文字で全否定を繰り返す。


「じゃあ、明日の帰りは?」

「いやだ」

「そう言うなよ」

「いやだ」

「ふう。機嫌直せよ」

「いやだ」


 塾のビルを出る。

 小さな地方都市ではあるけれども、街の灯りはそれなりに明るさを持っている。わたしの家路とは異なるけれども、その明るさの中を選んで歩いた。


 なぜならば南条が付いてくるから。

 暗闇には絶対に入り込みたくない。


「嶺紗。無理だって。俺は嶺紗の家だって知ってるし、嶺紗のお母さんも見知ってるしな」


 わたしは歩きながらスマホを取り出した。


 そして、南条に告げた。


を呼ぶ」

「彼? あの小学生か?」

「小学生じゃない」

「ふ。また蹴り倒してやるさ」

「無理ね」

「なに?」

「無理だ、って言った。お前はに絶対勝てない」

「この間は勝ったけど?」

「バカか」


 そのままわたしは恵当に電話する。


『嶺紗? どうしたの?』

「恵当、助けて。南条がついてくる」

『・・・分かった。今すぐ行く。どこ?』

「塾の前の通り」


 わたしは南条を街中の段差かなにかのように淡白な視線で見遣る。


「おい。あいつが来たって何ができる」

「お前をぶちのめすわ」


 3分としない内に恵当が自転車を凄まじいスピードで走らせてきた。ママチャリだけど、この間のロードレーサーに勝ってるんじゃないかっていう勢いで。


「恵当」

「ごめん、遅くなって」


 そんなわけない。最短・最速の愛情。

 恵当はそのまま南条に冷たすぎる声と表情で告げる。


「嶺紗が嫌がってる。帰ってください」

「カフェでも寄らないかと言っただけだ。どのみち夏期講習で毎日一緒だからな」

「・・・なら、行きますか?」

「なに!?」

「恵当?」

「嶺紗が逃げる言われはないです。南条さん。あなたを説き伏せる」

「やってみろよ」


 まさかこういう組み合わせでコーヒーを飲むことになろうとは


 あ、恵当はココアね。


 海外資本のカフェで丸テーブルに、二等辺三角形の位置関係で座る。

 頂点は南条。底辺のわたしと恵当はぴったりとくっつくぐらいの距離で、極めて尖った二等辺三角形の形状だ。


「嶺紗は聞いてくれてるだけでいいから」


 恵当が前置きした。

 つまりは恵当と南条の一騎打ちだ。

 南条が口火を切った。


「嶺紗とキスしたと言ったろ。どんな風にやったか教えてやろうか」


 卑怯者め。

 恵当じゃなく、わたしに挑んでくるなんて。

 でも、わたしは全く心配してない。

 恵当の三国志フリークは伊達じゃない。ううん、三国志を描いた数々の作家たちがすごい。

 恵当はその魂を存分に吸収してる。

 それにこの間のバドミントンのデビュー戦。

 恵当はまさしく、武士、だった。


「僕も、キスした」

「何!?」

「あなたが強引にしたキスより何倍も優しく、暖かいキスだったはずです。嶺紗にとっても僕にとっても」


 恵当は間合いの取り方もすごい。

 このタイミングでココアにピッチャーの生クリームを流し込む。

 そしてマドラーではなく、カップをくるっ、と揺すって半混ぜの状態にして、それから言葉を続けた。


「南条さん。比べる自信があるなら、存分にのたまってください」


 どっちが年上かわからない。

 恵当は完全に南条を圧倒している。


「中学生がキスなんてしてもいいと思ってるのか?」

「南条さん。そのあなたは中学生の時に嶺紗にキスしたんでしょう? 嶺紗はその時、何歳?」

「あ・・・く・・・」

「何歳!?」

「じゅ、14・・・」

「南条さんの幼稚さゆえの過ちか、それとも自分が人間であるという自覚なき獣慾じゅうよくか」


 恵当はココアのカップを口につけ、でも一口も飲まずに言葉を紡ぐ。


「今、嶺紗は18歳です。結婚もできる自己を持った大人だ」


 恵当。嬉しい。


「あなたとはまったく違う。僕と嶺紗のキスは、精神のそれだ」


 ようやく恵当がココアを飲んだ。

 それも、一息に、全部。


「南条さん。反論がなければ、帰ってください」


 次の日、南条は夏期講習に現れなかった。


 それから、二度と。


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