質素にして豊か(夏休み、2人のイベント)

 わたしは受験生であるという制約を受ける。

 なのでいくら夏とはいえ海や山へ彼氏と出かけるなんて突拍子もない行動は取れない。


 けれども、わたしが志望する大学の文学部へ進学し、20歳で文壇デビューという野望のためには今投稿している『恋愛小説』でもってなんとしてもコンテストのグランプリを獲得したい。


 そして、その恋愛小説を書くためにわたしの彼氏となってくれた中1で12歳の恵当けいとに少しでも彼女として報いたい。


 ということで、夏の小規模なイベントを注入してみた。


「はい。では今日のレッスンはここまで」

嶺紗れいさ先生、ありがとうございました」

「じゃあ、行くよ」

「うん」


 8月に入った土曜の午後。

 わたしは祖母のピアノ教室で恵当へ先般の合唱コンクールでわたしが弾いた曲のレッスンを終わらせるとそのまま県内唯一の国立大学のキャンパスへと向かった。

 立ち向かうのは、


『小論文、一本勝負! 集え、市井しせいの論客たち!』


 なる大学主催のイベントだ。


 個人・もしくはグループでの参加が可能で、その場で論文のテーマが示される。それを制限時間1時間で2,000文字以内の小論文として書き上げるのだ。


 地域のアカデミアとしてのポジション確立とついでに学生の獲得も目論んでいるのだろう。まあ、月並みなアイディアとわたしも最初は思ったのだけれども、全く違った。


『書いたその場で全て読み、結果発表します!』


 わたしは、おおっ! と思った。

 参加者は50グループと地方都市の地方大学のイベントとしては異例の盛況だろう。

 50もの論文をその場でどうやって読むのかと疑義が湧いたが、学生20人がアルバイトで下読みをするのだという。ボランティアでないところが面白い。

 そして下読みで論文を絞り込み、次に教授や准教授が超スピードで選考会議を行い、その場でグランプリを発表するんだそうだ。


「嶺紗。なんだか小説の選考みたいだね」

「うん。それにこれなら受験の小論文対策になるから。恵当とデートしてても後ろめたさがない」

「これがデートなんて僕らって変かもね」


 当然ながら投稿している恋愛小説に、このエピソードもねじ込ませてもらう。


「みなさん、かくも大勢の方々にご参加いただき感謝いたします。わたしは選考委員長の文学部、滝田でございます」


 お。聞いたことある。

 近代文学における暴力の描写についての有名な論文があって新書で出てるけど、そのレビューは中学の時に読んだよ。

 それだけじゃなくって、小説家としても活動してて、地元新聞に今長編を連載してる、はずだ。はずだ、というのはわたしは読んだことないから。


 キャンパス内の大講堂。

 なんか、受験もこんな会場でやるんだろうな。緊張感が増してくるな。


 50グループで一般の方も、中・高生なんかも大人数でわいわい参加してるから全部で100人ほどいる。


 滝田教授がテーマを発表する。

 演壇のスクリーンにプロジェクターで映し出された。


『虐待は根絶できるか?』


 おおー、と会場からさわめきが起きる。滝田教授は続ける。


「DV、虐待が深甚な問題として社会に存在しています。われわれに一体何ができるのか。そもそも虐待を根絶する術はあるのか? 対症療法的にでもできることはあるのか?」


 皆、真剣に聞き入っている。

 恵当も、わたしも。


「制限時間はグループでの議論、執筆合わせて1時間。1時間で2,000文字を書き切ってください!では 始めてください!」


ひとりで参加のひとは思索にふける哲学者のように思考の深度を増している。

 グループ参加のひとたちは、机の前後で向き合ったり額を寄せ合ったりしながら激論を交わしている。


「根絶は無理だよな」

「そうかな。わたしはそう思わないけどな」

「施策から考えたらどうだろう」

「はっ! そもそも政治家がセクハラやパワハラまがいのことやってるのに、そんなの無理だよ!」


 わたしと恵当は静かに話し合う。


「恵当。わたしは虐待は根絶できると思う。それを広めるのが小説を書く人間としての責任だとすら思ってるよ」

「僕も根絶できると思う。ううん。根絶しなくちゃいけないんだよ」

「じゃあ根絶できるっていう前提で。論旨は・・・」

「手法は・・・」


 わたしと恵当はそれこそおでこをこすり合せるぐらいに親密にわたし愛用のタブレットPCを覗き込む。タイプするのはわたし。そして恵当はわたしが書くと同時に語彙や表現、論旨がズレないようにアドバイスをしてくれる。


「恵当。なんか、ピアノみたいにノッてきちゃった。もっとタイピングのスピード上げていい?」

「もちろん。最速で打ってみて!」


 恵当の言葉でわたしのココロが瀧のように、ざっ、と流れた。


 合唱コンクールの時のピアノように、書きたくてたまらない気持ちをタブレットPCのキーボードに染み込ませて書く。


「できた」

「うん。いいよ、嶺紗。ステキだよ」


 恵当の言葉に勇気をもらい、グループウェアのフォルダに、論文ファイルを貼り付けた。


 稿された論文を瞬時に読み始めるアルバイトの学生たち。金銭の対価を得ている彼女・彼らは、真剣な眼差しで読み進める。


 わたしは詮無いことを考える。


 もし、これがコンテストの下読みだったならば。


 ううん。下読みの前の『読者選考』であったとしたら。


 コンテストでの下読みが『仕事』としてどれくらいの報酬を得て行うものなのかは分からないけれども、読者選考と下読みが決定的に違うのは、ボランティアかどうかということだろう。


 更に言うと、読者選考においては、時間的制約を受けない人たちも相当多いと考えられる。


 なんらかの事情で仕事や学校といった生活パターンを送っていない人たちだ。


 実は虐待だってそういうパターンを取りうると思う。

 本当は学校に行きたいけれども親のDVで自宅に監禁され、暴力を受け続ける、そういう信じられないような状況の子たちが現実に、いる。


 では、そうでない別の事情で、引きこもっている子たちは、苦しみから解放されているのか・・・?


「け、恵当!」

「え」

「書き直していいかなっ!?」


 口を半開きにして固まった表情をする恵当。

 きっとわたしが気づいたことの意味なんて分からないよね・・・


「いいよ」

「え」

「だって、嶺紗が書いたんだから」

「共著、だよ」

「ならば、僕も書き直したい。嶺紗の仕草を見たら、絶対書き直した方がいいんだ、って直感した」


 がたっ、と恵当が立ち上がる。低い背を精一杯大きくして。


「すみません! もう稿したんですけど、書き直してもいいですか?」


 恵当のきっぱりとした行動に、わたしも思わず立ち上がる。


「すみません! とても大切なことを書き足したくなったものですから」


 わたしたちの質問に対して、スタッフさんを制して滝田教授自ら語りかけてくれた。


「あと5分しか時間がありませんよ?」

「大丈夫です。書き上げます」


 しばらく滝田教授は沈黙の人となる。その間、約15秒。


「わかりました。後4分半。全力を尽くしてください」


 その答えを聞くや、わたしと恵当は深いお辞儀をして、その後は書きに書いた。


 一気に冒頭から最後のセンテンスに向けて順路での執筆を行う。4分で2,000文字。


 わたしがミスタッチを意識外に追いやってキーボードのキーとキーを本能のスピードで連動させるとその傍から恵当はREM睡眠の時のようなすさまじい速度で眼球を動かして推敲していく。


「あと1分!」


「嶺紗、ラストスパート!」

「うんっ! 恵当!」

「うん」

「祈って!」


 二人の祈りが通じたようだ。


「はい、それまで!」


 そのコールと同時に稿ボタンを押し、フォルダに格納できた。


 選考の間、休憩ということで一旦参加者は散会した。30分後にまた大講堂に戻る。

 わたしと恵当は生協の隣にあるロビーでベンダーの紙カップコーヒーを飲んだ。あ、恵当はココア。


「お。ねえ、背高いね」


 一瞬、誰が話しかけられてるのかと思ったらわたしだった。声をかけてきたのはここの男子学生なんだろうけれども、そういう彼こそ背が高かった。


 とりあえずわたしは反応せずにいた。無視するつもりじゃなくって、本当にこういう会話に慣れていないのだ。

 男子学生はまたわたしに語りかけてきた。


「高校生? オープンキャンパスか何かかな?」


 わたしの代わりに恵当が口を開いた。


「先輩、オープンキャンパスじゃありません。小論文コンテストの参加者です。ついでに言うと、彼女と僕とでグランプリ獲りますから」


 ほう。とつぶやく男子学生。友達なのだろう、周囲の5・6人いる学生たちも軽く、へえっ! と感嘆してくれた。


「そうか。で、キミは弟さん?」

「彼氏です」


 ・・・・・・・・・・


「では、金賞グランプリと銀賞準グランプリを発表いたします」


 ドラムロールは鳴らないけれども、わたしの鼓動がまるでビートのように激しくリズムを刻んでいる。


 きゅっ、と手を組む。


「まず銀賞から。準グランプリは、町東まちとう嶺紗れいささんと有塚ありつか恵当けいとさんの、『しいたげよ、おはよう、おやすみ』です!」


 ざっ、と席から立ち上がる恵当。はっ、とわたしも慌てて立ち上がる。


 滝田教授が言葉をかけてくれる。


「まず、もし差し支えなければ、お二人の間柄をお教えいただけませんか?」

「彼氏・彼女です」


 恵当がきっぱりと即答する。


「そうですか、羨ましい。選考にあたって、この論文の次の論旨に着目しました。①虐待の原因は100%加害者ににある②虐待だけでなく、いじめやあらゆる虐げの原因も100%加害者にある③虐待やいじめやあらゆる虐げは根絶できる④これらのトラウマが原因で引きこもるひとたちをも救わねばならない」


 わたしたちは誇らしく滝田教授のコメントを聞いていた。けれども、滝田教授はこの上ないことを更に言ってくれた。


「なによりも激しくて美しい文体が貫かれ、まるで一編の短編小説を読んでいるような錯覚に陥りました。でも、お二人が恋人同士と聞いて納得です」


 うわ・・・すごい。


「これは、恋愛論文ですね」


 拍手がわたしたちを包んだ。


 グランプリはご自身も子供の頃に虐待に遭っていた40代の女性が受賞した。


 グランプリの論文は全文スクリーンで紹介され、滝田教授による解説もあった。

 準グランプリの私たちの論文は最重要の結論部分が抜粋されてスクリーンに映し出された。


 ・・・・・・


 虐待もいじめも人種差別も、人が人を虐げる行為は何か同質のものを抱えている。わたしたちはそれに意思を持って抗いたい。

 そして、それは、できる。

 根絶できるのだ。


 唯一の根絶の方法は、虐待をしている親なりが、今すぐに虐待をやめること。

 そのために虐待やいじめや差別をする側の人間たちの心を溶かす作業が必要だ。


 直接的な指導だけでなく、音楽・小説・映画・あらゆる媒体でもって加害者たちの暗がりに潜む心を溶かしてやらないといけない、


 そして、もうひとつ。


 わたしたちは自らをも戒めなくてはならない。わたしたちが虐待やいじめや差別を止めようと立ち向かう人間になれるよう。


 わたしたちが将来結婚し子供を授かるようなことがあった時に、虐待をしない親であるように。


 わたしたちの子供を質素ながらも豊かに育てるために。



 町東 嶺紗 、有塚 恵当

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る