第5話


「何してるの!? ダメダメ、寝てないと」


 手洗いとうがいだけをしてきたらしい裕文さんが、背広姿のまま洗面器とタオルを持ってくる。


「姉さんには『ただいま』言ってきましたか?」




 会社から帰ってきた彼がする、いつもの日課。


 裕文さんにとっては、とても大切な、姉さんとの時間――。




 僕のせいで、邪魔したくなかった。




「その間に、何か晩御飯、作りますから」


 足に力を入れて立ち上がろうとする僕に、裕文さんが洗面器とタオルを僕の勉強机に置く。


 そうして、僕の前に片膝を付いた。


「――浩次君、キミ。自分がどんな顔色してるか気付いてる? そして、どんな目をしているか……」


「えっ。……目?」


 ゴホ、ゴホ、と咳き込んだ僕は、慌てて手で口を押さえて横を向く。


 うつしたら大変だと思ってるのに、裕文さんは僕の前から退いてくれない。


「あの、うつしたらいけないんで……」


 言った僕の声はかすれていたけれど、聞こえているはずだ。


 それなのに、裕文さんは微動だにしない。僕のすぐ近くで、じっと僕を見つめていた。




 その顔が、なんだか怒っているように見える。




 なぜだか判らないまま見つめ返すと、ふぅっ、と小さく息を吐く。そうして、ゆっくりと立ち上がった。




「……泣いていたの?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る