/3C 四阿(九月七日)

 聖堂を出た足で、そのまま薔薇園へ向かった。


 いつかのように長い長い緑廊パーゴラをくぐり抜け、やがて行き着いた先に現れる、白く高い壁に挟まれた小さな戸を押し開く。壁の内側――陽の光に満ち満ちた広場には、小鳥の囀りと、少女たちの談笑が軽やかに響いている。以前来たときと違って、今日は先客がいるのだ。


(いや、客はわたしの方だったか)


 広場の中央に見える四阿カゼボには、幾人かの影が集っていた。そのうち一人がわたしに気づいたらしく、やにわに席を立つと、こちらを振り返って大げさに手を振った。


「センパーイ! こっちこっち」


 底抜けに明るい声に、思わず回れ右をしたくなるが、そういうわけにもいかないので、仕方なく四阿の方に歩いていく。


「ようこそお越しくださいました。

 ささ、どうぞこちらへ」


 四阿に入ると、真っ先に円卓の上を賑やかしている、スコーンがたくさん入ったバスケットや、タルトの載ったケーキスタンドが目についた。どう見ても四人分には多過ぎるお茶菓子の山に気を取られているうちに、先程のポニーテールの少女――黒川咲月くろ かわ さ つきが奥の席に回り、わざわざ椅子を引いてまで着座を促してきた。その調子の良さに軽い頭痛を覚えつつも、わたしは薦められるまま席に着く。


「センパイ、最近はお見限りでしたねぇ!

 でも、こうして頼って貰えて嬉しいです、私」


「ええい、なつくな鬱陶しい。いちいち近いんだわお前。あとでかいし重いし、ほんとに邪魔」


 背後から手を回してじゃれてくる片手で彼女を押し返すと、黒川が「ひどい!」と(何故か嬉しそうに)抗議の声を上げた。これでは仔馬というより大型犬である。こんなにも好かれた理由は知れないが、少なくとも当初の印象からはまるで想像できない変節だ。案の定、ほかの二人は座ったまま目を白黒とさせていた。


 周囲の困惑に気づいたのか、黒川はわたしから離れると、わざとらしく咳払いをして、それからすこぶるにこやかに、まずはわたしから向かって右に座る、三つ編みお下げの彼女を手で示した。


「一応、改めてご紹介しておきますね。

 こっちは生徒会庶務の夜船よ ふねショーコさん。今回は事情通ということで来てもらいました。夜船さんとセンパイは、確か面識があるんですよね?

 それで、こっちが――」

 

「そこまでで良いよ。

 というか、わたしが頼んだんだから知らないはずないだろ。そりゃ、顔を合わせるのは初めてだけどな。

 ――はじめまして、金澤さん。二年の貴家です」


 円卓の対面に座る狐顔の少女――金澤莉音かな ざわ り おんは、どこか不安を孕んだような笑みを浮かべながら、座したままではあるが、深々と頭を下げた。


「こちらこそ、はじめまして。金澤莉音と申します。

 今日はご足労ありがとうございます。本当ならもっと早く、私からお詫びに伺うべきだったのですが――」


「構わないよ。どちらかと言えば、呼び出したのもこっちだしな。

 それに、足もまだ本調子じゃないんだろう?」


 金澤が遠慮がちに肯くと、ミディアムヘアの毛先が少し揺れた。


 彼女の傍ら――四阿の柱に立てかけられた松葉杖にちらりとだけ視線を遣る。交霊会に纏わる事件で、心身ともに深く傷ついた金澤が復学したのは、夏休み直前のことだった。ギブスこそ既に取れているが、彼女が砕いたのは足首だ。心の安定を取り戻すまではリハビリもままならなかったらしく、四ヶ月ほどたった今も、こうして松葉杖を持ち歩いている。


 いや、もしかしたらこのまま――


「どうぞ、先輩の分です」


 あらぬ想像を遮るように、わたしの目の前に、紅茶の注がれたカップが置かれる。一言礼を言うと、配膳してくれた夜船は恥ずかしそうに俯いて、そそくさと自分の席に戻った。そう言えば、この子もわたしに好意――もとい、興味があるんだったか。神代の言うことだから、からかわれただけかもしれないが、やはり何もないにしては不自然な態度に思える。怯えるにしても流石に行き過ぎだろう。


 ともあれ――


「それで、君たちは懺悔室のマリアについてどの程度知っているんだ?」


 全員が席に着いて、ようやくお茶会が始まった。


 今日ここにやって来たのはほかでもない。彼女たちから学院の噂話――とりわけ懺悔室のマリアと笛吹き男パイドパイパーについて尋ねるためだった。


「夜の聖堂に現れるというマリアのことですよね。

 確か――取引に応じれば、何でもひとつだけ願いを叶えてくれるとか」


 一度だけ、カップに口をつけてから、金澤が静かに応じた。低く響く、落ち着いた声色だ。


 彼女に倣って、形ばかりに紅茶を含む。ベリー系の爽やかな、それでいて奥行きのある味わいだった。銘柄にそれほど詳しくはないが、書庫にある普段使いの安い茶葉に慣れた舌にも、その違いははっきりと分かった。


 間隙を縫って、黒川が言葉を引き継ぐ。


「正直なところ、私らが知ってたのはそのくらいです。

『善きサマリア人の会』の――例の売春の噂の方が、最近の噂としてはホットですね。多分、ほとんどの一年生が、そもそもマリアの噂自体知らないんじゃないでしょうか?

 でも――」


「執行部員は例外、ってことだな」


 全員の視線が、一斉にお下げの少女に集まった。


 学院の情報が集まる執行部なら、古くからの噂を把握している上級生がいてもおかしくはない。実際、鹿毛はマリアのことを調べていたし、ほかならぬ現会長である神代がマリアと繋がっているのだ。話を見聞きすることがあったり、何か痕跡を残していても不思議ではない。


「わ、私もそんな、詳しいなんてことないです。

 呼び出し方なら知ってますけど、自分でやったことあるわけじゃないし、その、怖いなと思っていたので」


 長い前髪と眼鏡に遮られて、表情こそ知れないが、どうも緊張しているらしく、夜船は唇を震わせながら答えた。


(怯えているのは私に対してか、それともマリアそのものにか)


「マリアの呼び出し方はわたしも聞いてる。

 参考までに手順を教えてくれないか。こちらの情報と照らし合わせたい」


「――えっと」


 夜船が視線が一瞬泳いだ。どうやら、ほかの二人に聞かれることを気にしているらしい。


「何を心配してるか知らないけど、ここで言う分には問題ないと思うよ。むしろ二人にも考えを聞かせてほしいし。

 ただし、君らには前科があるからな。くれぐれも他言無用だぞ。試すのも駄目だ」


「勿論です。

 流石に懲りましたから」


 金澤はそう微笑むと、カップを軽く煽った。口調こそ穏やかだが、僅かに瞳の奥が翳って見えた。同室だった赤木のことも、鈴白への気持ちも、まだ整理がついていないのかもしれない。黒川も珍しく神妙な様子で頷いていた。どうやら愚問だったようだ。


 わたしたちのやり取りを聞いて、ようやく意を決したのか、夜船は一度喉を鳴らすと、俯き、カップの取っ手を握ったまま話し出した。


「私が知っているのは、土曜の夕べの祈りまでに、聖堂の副祭壇にある像に、メダイを捧げるやり方です。

 そのあと日付が変わる頃に聖堂に行くと、あの懺悔室――正しくは告解室と言うんでしょうか。あの部屋の鍵が開いていて、その中でマリアと会うことができると聞いています。

 マリアは大切なものと引き換えに、どんな願いでも叶えてくれると」


「うん。こちらの情報と同じみたいだ。

 それで、その話は誰から聞いた?」


「――ごめんなさい、覚えていません。

 いつだったか、執行部の皆で、寄宿舎の談話室に、怪談を持ち寄って集まったことがあったんです。確かそのときに、先輩のどなたかが話してくれたんだと思います」


 緊張からか、夜船の手元のカップがカタカタと控えめに震えた。


 聞く限り、不自然なところはなさそうだが、もう少し揺さぶってみるべきだろうか。


 こちらが思案しているところで、机上から自分の皿へと菓子をほいほい移していた黒川が口を挟む。


「副祭壇の像って、あの大きなマリア様のこと?

 あれ、でも副祭壇の上に載ってるのって、メダイじゃなくてただのお金じゃん?」


「えと、それじゃなくて。

 副祭壇の上にも小さな像があるの。黒川さんは知りませんか?」


 はじめは黒川も疑問符を浮かべていたが、意外にも聖堂内をよく観察していたらしい。すぐに「ああ」と得心した風な声を上げた。


「そっか。あれも像なのか。

 私が聞いたのは、何て言うんだっけ、あれ。ゲ、ゲ、ゲルトルート」


「ゲルトシャイサー」


「そうそれ」


 黒川がパチンと指を鳴らす。夜船の答えは、どうやら黒川の期待通りだったらしい。


 が――


Geldscheißerゲルトシャイサーだと?」


 背後の広場で、鳥の羽撃きが響く。

 

 今度はこちらが疑問符を浮かべる番だった。


「――念のために訊いておきたいんだが。

 君らの言ってるのは、副祭壇にある小さな座像だよな? あの古くて黒ずんだ、木彫りのやつ」


「そうですけど、何かヘンですかね?」


「変に決まってるだろ。

 ――黒川さんさぁ。その言葉の意味、気になって調べたりはしなかったの?」

 

 黒川は「はて」と小首を傾げる。いっそわざとらしいくらいだったが、これで素の反応のようだから恐ろしい。


 夜船は夜船で口を噤んだままで、いまひとつ何を考えているのか分からなかったが、唯一金澤だけは違ったらしく、向かいの席で小さく溜息を吐いた。


「先輩は、あの像の渾名をご存知なかったんですね。

 仰る通り、あの像にはいささか不釣り合いな名前だと思います。あの像が聖母子像であると知らなかったとしても、金貨の小人にはとても見えないでしょう」


「そういう金澤さんは、あれが聖母子像だと分かっていたわけだ」


「はい」と金澤は首肯した。残る二人――主に露骨に不思議顔をしている黒川のために、まずはともあれ説明を挿し挟む。


 とはいえGeldscheißerやDukatenscheißer――つまりはが一体何者であるのか、はっきりとした答えを出すことは極めて難しい。今回は、主にドイツで古くからの像や彫刻に見られるモチーフであること、文字通り小人が尻から金を垂れる様子を表していること、より無難に金貨の小人――Dukatenmännchenなどとも呼ばれること、ドイツの都市ゴスローに有名な像があること、恐らくは鉱山文化と密接に関係していることを、一応の説明としておいた。


「しかし、昔の人の考えることは分かりませんね。どうしたってそんな変なものを作ったんでしょう?」


 品のない話に眉を顰めるでもなく、行儀悪くもスコーンを頬張りながら黒川が言った。気づけば彼女の皿の上はすっかり空になっている。一人ですべて食べてしまうつもりだろうか。


「さぁな。

 大地が地母神なら、鉱山は母の腸を裂くに等しく、即ちそこで産まれる金もまた糞に見立てられるとか、そういうイメージに由来するんじゃないかって本には書いてあったけれど、結局どこまで行っても推測でしかないからな。小人と金貨の結びつき自体は、ヨーロッパに割合広く見られるらしいし」


「あの、いいでしょうか?」


 恐る恐ると言った様子で、文学少女が小さく挙手した。妙に畏まっているものだから、こちらは敢えて軽く「どうぞ」とだけ返してみる。

 

 夜船は一度だけ控えめに咳払いをすると、上擦った声で話し出した。


「確かにあの像はその――本来の金貨の小人とは似ていないかも知れませんが、でも、像の周りにはたくさんお金があるでしょう?

 あのお金は片付けても片付けてもなくならないって、鈴白先生も仰っていましたし――なら、誰かが『像がお金を作り出した』と思って渾名をつけたとしても、おかしくないのではないでしょうか?」


「というか、現状それが一番らしい推測だろうよ」


 頭ごなしに否定されるとでも思っていたのか、夜船は少しだけ表情を緩めてから、安堵するかのように息を漏らした。


 しかしながら、不可解な点は多い。積み上げられた洋菓子を眺めつつ、しばし考える。


 もし仮に、夜船の言うように「座像が硬貨を作り出した」と考えた者がいて、金貨の小人という名付けがそこまで定着するだろうか。言葉の由来も知らない生徒たちの間で、名前だけが噂として残ったにしては、少々難解な語彙に思える。


 それに、黒川はあれが聖母子像ということすら知らなかった。懺悔室のマリアとの取引とは違い、副祭壇に硬貨を供える願掛けは古くからあったようだが――そもそもの話、何者かすら分からない小さな像に願掛けを始めるだろうか。普通なら、副祭壇奥の目立つマリア像に供されたものと考えるのが自然だろう。それに今となっては、願掛けの対象である座像は、硬貨の山にすっかり埋もれてしまっている。初見では目に入らないかもしれない像に、有り難みも何もない。


 しかし現実として、副祭壇には硬貨を供える習慣があり、あの座像も金貨の小人と呼び習わされている。


(どこか、恣意的な印象があるな)


 例えば――そう、まるで誰かが金貨の小人ゲルトシャイサーという言葉自体を広めたがっているかのような――

 

「その渾名――いや、硬貨の願掛けの噂についてはどうだ? こっちは誰から聞いたか覚えてないのか?」


 懺悔室のマリアを呼び出すあの儀式は、恐らく座像への願掛けから派生したものだろう。あるいはやはりカモフラージュのつもりなのか。何にせよ、座像の渾名や硬貨の願掛けが、マリアの正体に繋がる可能性は十分にある。


 わたしの問いかけに、三人娘はまた困惑したように顔を見合わせたあと、例によって黒川が口火を切った。


「誰でしたっけねぇ。やっぱり上級生のどなたかだったとは思いますが。

 でも、あの副祭壇が願掛けに使われてることくらいは誰でも知ってますよ。目立ちますもん」


「ねぇ?」と同意を求めた黒川に、夜船も黙って首を横に振った。当然か。彼女らにとってはただの噂でしかない。


 だが――


「私は――確か、シェーファー先生から聞いたと思います」

 

「――シェーファー先生から」


 頷いた金澤に動揺を悟られまいと、紅茶にまた口をつける。ジャムを混ぜる飲み方もあったな、などと曖昧な知識が頭を通り過ぎるのを待って、口に含んだ液体を飲み込む頃には、いくらか平静を取り戻すことができた。


「先生は、私たち聖歌隊の顧問ですから。

 あれはいつだったか――副祭壇の硬貨の山についてお尋ねしたときに、願掛けと像について教えて下さいました」


 ゆっくりと、それこそ思い出しながら話しているといった様子で、金澤が答えた。


 金澤の言い分に不自然はない。だがからすれば、少々引っかかる発言だった。金澤の弁が正しいとすると、あの聖母子像はかの修道女にとっての泣きどころではない、ということになる。


(ここで頭を捻っていても仕様がないか)


「話は変わるけど、笛吹き男パイドパイパーの噂について、誰か知らないか?

 サマリア会とも関わりのある話なんだが」


「執行部の古い日報で名前を見たと思います。すみません、これも詳しい内容までは――」


 夜船が申し訳なさそうに語尾を窄める。交霊会組二人も肩を竦めて応じただけだった。


 笛吹き男パイドパイパーは、今では忘れ去られた古い噂だ。執行部の資料に名前はあったものの、詳細はOGから直接確認したと鹿毛も言っていた。下級生がそれ以上の何かを知っているかどうかは、正直望み薄だったし、今回は鹿毛の発言の裏が取れただけ上々だ。


 一度、整理しよう。自分の皿に、小さめのスコーンをいくつか移す。


 今回、わたしは元生徒会長の鹿毛から情報提供を受けている。鹿毛は昨年から相次いでいる退学と、十五年前――つまりはサマリア会解散直後の退学を同根と見做しており、それらの原因がサマリア会の組織的売春疑惑にあると考えていた。さらに疑惑の根拠として、かつて囁かれていたという笛吹き男パイドパイパーの噂を挙げた。


 しかし、わたしは鹿毛の説を支持していない。


「ブルーベリーを」


 わたしがそう要求すると、黒川もママレードをねだったので、互いに近くの瓶を手に取って交換する。何となく次の行動が読めて、受け取った瓶にそのまま指を突っ込もうとする黒川の肩を小突いて咎める。舌を出して誤魔化す仕草すらも様になっているのがかえって憎たらしいが、それ以上不作法を叱る気にもなれなかった。


 皿の上のスコーンを一つ取って、手で二つに割ってから、スプーンで掬ったジャムを割った面に塗っていく。一口んでみると、思ったよりも酸っぱかった。少しつけ過ぎたかもしれない。紅茶を含んで、舌に残った酸味を薄める。


 ――鹿毛の説は、根拠が薄過ぎる。


 加えて、昨年からの退学者には皆、懺悔室のマリアと接触していたという共通点がある。鹿毛との話には出さなかったが――一連の退学の中心にいるのがマリアだとすれば、必然的に、マリアの噂が生まれる遥か以前に解散したサマリア会は直接の原因となり得ない。


 一方で、恐らく懺悔室のマリアは、少女Sの呪いとも繋がっている。だからこそ神代は、呪いを退学と関連づけられないように、サマリア会を利用したのだ。サマリア会の歴史は古く、活動停止の理由がわからないことや、有栖川教諭の退職、笛吹き男パイドパイパーの噂など、与太話に事欠かない。隠れ蓑にするに持ってこいだろう。


(そう考えると、鹿毛の理屈は神代にとって都合が良いような気がする)


 とはいえ、鹿毛は懺悔室のマリアの正体として、神代と胙の名を挙げていた。鹿毛の理屈がいくら穴だらけとはいえ、鹿毛と神代が協力関係にあるとは考え難い。


(善きサマリア人の会、懺悔室のマリア、笛吹き男パイドパイパー、それに金貨の小人ゲルトシャイサーか)


 カップを揺蕩う紅茶を見下ろしながら、頭の中の付箋を並べ直す。ちくり、と。胸の奥を違和感がつついた。


 何か――とても大切なことを見落としている気がする。


 もう一度はじめから、付箋に書かれた文字を、ひとつひとつなぞっていく。


 善きサマリア人の会。


 懺悔室のマリア。


 笛吹き男パイドパイパー


(それから――)


「――貴家センパイってまひろ先輩と付き合ってるんですか?」


 せた。


「やば、図星?」


「そうなんですか!?」


 やたら嬉しそうな黒川と、何故か一番驚いた様子の夜船。向かいの金澤は――糞、完全に面白がっていやがる。どうやら、わたしが頭を悩ませている間に、妙な方向に話が転がっていたようだ。


「そんなわけあるか。

 そもそも、ここはカトリックの学院だぞ。同性愛なんか腐敗そのものだろうが」


 呼吸を整えてから、努めて冷静に返してみるも、黒川は頬杖を突きながらニヤニヤとこちらを見た。


「でも、センパイもまひろ先輩も無神論者でしょう?」


「無神論者じゃなくて無宗教者な」


「大事なのはそこじゃないと思いますけど」


 横から茶々を入れられた気分だったが、金澤の指摘にも一理ある。気づけば、三人の視線を一身に集めていた。問いに答えるまでは、この場から逃してもらえそうもない。


 それにしても、どうしたってわたしなんかがそんなにも気になるのだろう。いや、気にしているのは、むしろまひろのことかもしれない。確かにあいつは人望があるし、傍からもやたらとわたしに構いたがっているように見えるだろう。


「別に、付き合ってるとか、そういうのじゃないよ。

 わたしと、あいつは――」


 彼女がいくらわたしを想っても、わたしはそれに応えることはできない。


 ただ、わたしたちはルームメイトで。


 親友で。


 それから――


 そんな普通じゃない間柄を、普通は何と呼ぶのだろう?


「それから?」


 問い返す声が、何故だか妙に胸に響いて。


 無意識のうちに俯いていたことに気づいて、わたしが顔を上げると、左手に座るが、こちらをじっと見ていた。


 ほかの二人とは明確に異なる、何か、強い感情が滲んだ視線。


 分厚いガラスと長い前髪の向こうに見える、その昏い眼差しを――いつか、どこかで見た気がして。


「――ただの腐れ縁だよ」


 右隣の黒川がえーとかうーとか抗議の声を上げるので、これ幸いと立ち上がり、奴の頭をグリグリと拳で痛めつける。気の良い下級生が、わざとらしく大げさに痛がってくれたおかげで、午後の四阿に朗らかな談笑が戻ってきた。


 ちらり、と。横目での顔を盗み見る。


 なんてことはない。騒がしい同級生に囲まれて、いつものようにもじもじとしながら、愛想笑いを浮かべていた。


 そんなが――何故だろう。


 先程まで、酷く畏ろしく思えたのは。


 


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