第12話

 *


 午後、デューイは午前と同じく伊久たちの手伝いにかかり、もし宜しければですがという幽ノ藤宮の申し出から、ジラルドはすずかと一緒に遊んで過ごすことにした。

「わたくしは、すずかをこの庭園に閉じ込めているのも同然です。ですから、せめて色々なお客様と出会い、お話をし、この子の世界を広めてもらいたいと思っているのです」

 そんな風に言う幽ノ藤宮に感銘を受け、ジラルドはもちろん、と頷いたのだ。

 この度、王城、そして国から出て、様々な違いに対する初めての驚きを感じてきたジラルドには、その刺激がいかに心地の良いものかが分かっている。自分がその刺激をすずかに与えられるというならば、いくらでも協力をしたいと思った。

「きれいな色です。はじめて見たときに、とってもびっくりしました」

「僕の国には黒髪の人種は居ないから、君の髪も僕からすると、少し見慣れない」

「……食べてるごはんがちがうと色もちがうくなる……???」

 ジラルドの見かけからしても、すずかはその髪や眼が不思議に感じるようだった。

「カリスタからは和館にはもう一人苗床が居ると聞いているが、見かけないな」

 お手玉という遊びの途中で思い出したジラルドがそう言うと、すずかは、

「あっちのお部屋にいます」

 と庭の向こうの方を指差した。

「このお手玉くれたの、馨さんです。馨さん、お手玉じょうずです。だけどかぜが治ったところだから、今日はいっしょに遊べないです」

「そうか。苗床でも病にかかるんだな」

 ジラルドがなんとなく口にした言葉に、すずかがぱちぱちと瞬く。

 その様子が気になってどうかしたかと訊ねると、

「馨さんとすずかは、苗床です」

「ああ、それは知っている」

「馨さんはかぜです。すずかはかぜじゃないです」

「健康は財産だ。治りきるまでは大事をとった方がいい。君のような健康な者に感染うつさないためにも」

「すずか、けんこうですか?」

 彼女はお手玉を握り締めたまま、更に目を見開いた。

「ジラルドさまは、すずかはびょうきと思わないですか?」

 幽ノ藤宮が彼をそう呼ぶのを聞いているすずかは、ジラルドの正しい名前を知っている。そして初対面時の幽ノ藤宮の言葉を聞いていることから、遠方から来たというのは知っている。だが敢えて加えて説明をされることは無かったため、その身分のことは知らない。

 つまりすずかにとってジラルドは、

「すずかがジラルドさまの国に行っても、みんなにびょうきって思われないですか? お花があっても、怒られないですか?」

 恐ろしい病が流行ることのなかった遠い国からのお客様、なのだ。

 自分を真っ直ぐに見上げる子供に返すべく、ジラルドは首を振った。

「怒るなど、何故そんなことがある」

「すずかは悪い子だからばけものになったんだって、とうさまが言いました。怒られました。かあさまも、とうさまに怒られてました。すずかは、かなしかったです。からだに草がはえて、すごくいたくて、ばけものになってごめんなさいって思いました」

 そこでちょっと言葉を区切ってから、すずかは笑った。

「でも、ふじみやさまは、すずかはばけものじゃないって言いました」

 当時のことを思い出してなのか、その表情は本当に嬉しそうなものだ。

「ばけものじゃなくて、すずかはびょうきだって言ってくれました」

「…………」

 しかしジラルドは、そんな笑顔の少女に対して言葉に詰まった。

「ふじみやさまは、だからすずかにはとくべつなおくすりがひつようだって、それで、すずかをここに連れてきてくれました」

「あの幽ノ藤宮が、君に病気と……?」

 すずかは、幽ノ藤宮が『化物』という言葉を否定してくれたことを喜んでいる。

 だからこちらにショックは受けていないようだが――幼い子供に対して、「お前は病気だ」と断定するという、その行為。

 それは、傍から見れば、過酷なものではないだろうか。

 ジラルドは気持ちがよく定まらないままに口を開いた。

「君は、……だから自分は病気だと思っているのか?」

 はい、と小花を振りまきながら大きく頷いたすずかに、自然とジラルドの眉は下がる。

「そうか。だが、僕には違うように思えるな」

「ちがう?」

 この少女に自信を持たせるべきだ。

 君は病気だと指を指されるものではないと、教えてやるべきだ。それはもちろん、この少女だけの話ではなく苗床全員に言えることである。

(こんな素晴らしいものを『病気』とするなど)

 ジラルドは己の考えに頷き、すずかに笑顔を向けた。

「何故なら、君の花は皆に褒められているだろう」

「??? びょうきは、褒められないですか?」

「褒められるものではないな。だけど君の場合は価値があるから――」

 知らない言葉にきょとんとしているすずかに、ジラルドは言い直す。

「価値がある。つまり、良いものだ。だから君のものは病気ではなく、どちらかというと能力だとか個性……分かるだろうか」

「のうりょく?」

「その人が持つ出来ること、ということだ。君の花は、君の能力によって咲いている」

「のうりょくはいいもので、びょうきは、悪いものですか?」

「まとめれば、そういうことだ。能力は活かすべきもので、その能力を持つ者が、その能力を必要とするところで使わなくてはならない。だが、大概において病気は命に関わるもの、危険なものだ。一般的に悪いものだと言えるのではないだろうか」

 奇病はもう治まっているのだろう? とジラルドは訊ねる。たぶん、とすずかは頷く。

「あんまり、いたくないです。ほかの人にもうつらなくなったって、ふじみやさまは言ってました」

「それなら、君の花を咲かせている原因を病気と呼ぶのはどうだろうかと僕には疑問だ」

「…………」

 一生懸命考えている様子ではあるが、それでもすずかにはとても難しいようだった。

 ジラルドを見つめたままじいっと考え込んだ末に、すずかは言う。

「……わからないです。ごめんなさい」

 しゅん、と肩と目線を落とすすずかに、ジラルドは首を振った。

「いや、僕も上手く言えなくてすまない。――それに幽ノ藤宮から君は病気だと教えられていたなら、考え方を変えることは難しいだろう」

 その言葉に再び顔を上げて、小さな苗床はこう訊ねた。

「ふじみやさまの言っていたのは、まちがってるですか?」


 *****


「それで何て答えたんです、殿下」

 夕食後、部屋に戻ったジラルドは今日のことをデューイに話した。

 話の始めは一日の作業の疲れからベッドにぐったりと座り込んでいたデューイは、その途中から前のめりになって話を聞いていた。

 今は窓際の椅子に座る主を見つめ、答えを待っている。

「『わからない』、と答えた」

「わからない?」

「あの子供が、幽ノ藤宮に向けている信頼を崩したくはなかったからな。すると流石にきっぱりと『間違っている』とは言えないだろう?」

 そう言ったジラルドに対し、デューイは何故か顔を歪めて考え込んでいた。

「僕の解答が不満か?」

「いいえ。……いいえ、殿下。オレでも分からないって言います」

 その理由は同じではないけども。と、デューイは心の中で付け加える。

 ――ジラルドの考える能力と病気の定義は、まさに統治者としての考え方なのだ。

 国においての『病気』は危険視するものであり、『能力』は取立てて活かすべきもの。その考え方を既に当然のものとして身につかせているジラルドを、これまでの教育の成果であると考えれば喜ばしいと思えるだろう。

(そりゃ、そうなんだ。喜ばしい。……だけど)

 ここは庭園で、住人には住人の考えがある。

 自分たちの考えとは大きな違い、隔たりがある。訪れてから今まで見てきた・聞いてきたものの端々で、それをデューイはいたく感じていた。

 ジラルドの考えは、シャグナ国内ならば非常に有効であるものだ。しかしこの庭園においての自分たちは、外からヒョイと入ってきた通りすがりの者でしかない。

 そんな者が、庭園の社会を一方的に揺さぶるというのは――。

「ならば、何故そんな顔をしている」

 ムッとしたようなジラルドに、デューイはゆっくりと顔を上げた。

「……昨日、ジルさんが仰っていたことを覚えてますか」

「どのことだ?」

「殿下には殿下の思いが、ヴァネシアさんにはヴァネシアさんの思いがあるだろうって言葉ですよ。……オレは、今日のそれも同じだと思います」

「分かっている。だから、僕は僕の思いを話したんだ」

 自分の行いをきっぱりと言い切ったジラルドに、デューイはどうすれば自分の言いたいことが伝わるのかと悩む。また、伝わってしまったなら伝わってしまったで、それが今折角育ちきっている統治者としての思考の邪魔になってしまうのも、問題になるように思えた。

「…………」

 どうにも言いあぐねてしまう付き人の態度が、ジラルドの苛立ちを増幅させる。

「言いたいことがあるならはっきりと言え、デューイ」

「相手は、……子供でしょう」

 静かに答えたデューイに、ジラルドは眉間に皺を寄せた。

「ほう。子供だからと適当にあしらえと?」

「そんなことは言いません。ですが、相応の言い方はあるでしょう」

「言葉を噛み砕けということか?」

「それもありますが。子供は周囲の言葉をそのまま飲み込んでしまいがちです。ですから、一方的に言い切ってしまうのではなく、」

「曖昧にしろと言うんだな」

 腕を組み、半ば睨みつけるように、王子は付き人を見据える。

「だが、大人だろうと子供だろうと、一人の人間であることに変わりはないのだぞ。子供だからと侮らず、対等に向き合うのが礼儀ではないのか」

 その叱責するような声に、

「――……対等?」

 膝の上の拳を握って、付き人は王子を視線で射抜く。

「では、殿下はすずかちゃんの言葉を聞いたんですか?」

「お前は何を聞いていたんだ? さっきその会話をきちんと説明しただろう」

「オレの言う言葉っつーのは音じゃなくて内容のことですよ」

「当然だ、相手の質問が分かっていなければ答えられるはずないだろう」

「なのに殿下は彼女の問いに本当に何も思わなかったんですか」

「真摯に答えたいと思ったに決まっている、だからこそ向き合って――」

「そこじゃなくてその質問をどうして彼女が持ったかって――」

 そこで、二人とも語気が荒くなっていることに気付いた。

「…………」

「…………」

 妙な沈黙が落ちたところで、部屋の扉がノックされる。

 返事をする前に無遠慮に扉は開かれ、いつにも増してひどく機嫌の悪そうなヴァネシアが半身を見せた。

「何なのよ、居候のくせに静かに大人しくしてられないの?」

「あ……、いや、すみません」

 即座に謝ったデューイに盛大な溜息を吐いてみせ、それはそうと、とヴァネシアは本題を切り出した。

「明日は雨が降るわ。あなた達はここに居なさい。ガラスドームに来ないで」

「何故だ」

 今度は即座に反応したのはジラルドだった。

「は、優しく言ってあげてるっていうのに……それならはっきり言うわ、カリスタのとこに来ないで。あなた達なんかより大事な友達が来るの。久しぶりに会うの。だからあなた達が居ると邪魔なの。お分かり?」

 言い募ろうとしたジラルドを、ヴァネシアは睨みつけた。

「カリスタが友達に会うって機会の貴重さが分からないほどバカなの? シャグナの未来は暗いわね、ご愁傷さま」

 それ以上話をする気は無いという表現のように、乱暴な音を立てて扉は閉じられた。


 *


 深夜、ジラルドはふと目を覚ました。

 身体を起こして隣のベッドを見る。

 片手を枕の下に突っ込んだまま眠っているデューイは、身じろぎもしなかった。普段は何か異変を感じればすぐに起きるのだが、今日は余程疲れているのか、もしくは庭園に危険は無いものと認識してなのだろう。

 ルームシューズを履いて、ジラルドは部屋を出た。

「おや、起こしました?」

 ジラルドに声をかけたのは伊久だ。

 丁度階段を上がってきたところだった彼は、腕の中に大きな箱を抱えている。こんな時間にもすることがあるのかと驚きつつ、ジラルドは首を振った。

「すこし水を貰いたくてな」

「あぁ。枕元に水差しを準備しとけば良かったですね」

 腰を屈めて箱を廊下の脇に置き、伊久は上ってきたところの階段をもう一度降りる。ジラルドもその後に付いていった。

「あ、お部屋、お持ちしますよ」

「いや。デューイが寝ている」

 言外に起こしたくないと伝えれば、伊久は納得したように頷いた。

「失礼なくらいタダ働きさせちまって……お陰様で、今日はほんと助かりました」

「デューイはちゃんと使えたか? 栽培の知識の無い者で申し訳無かった」

「いいえいいえ、文句の付け所も無いほどに動いてくださいましたよ。むしろ色々と気遣いまでさせて、悪かったなぁと思います」

 気遣い? と疑問を持ったところで、

「あ、水と茶とどっちがいいです?」

 伊久は肩口で振り返って訊ねた。

 水でいいと答えたジラルドはしばらく客間に待たされた。カラリと音を立てる氷の入ったグラスと水差しを載せて、伊久が戻ってくる。

 椅子に座って水を一口飲んで、ジラルドは先程の話を再開する。

「気遣いというのは?」

「はい? あぁ、デューイさんのことですか」

 伊久はガシガシと頭を掻き、話し始めた。

「昼頃、ヴァネシアに手紙が届いたんですよ。それを午後の作業前に、この部屋で彼女に渡したんです。中身は所謂ファンレターってやつだったんですけどね、その内容の中に『自分も苗床になりたい』って言葉があったらしいんです」

 ヴァネシアはそれを読んで、激昂したのだという。

「今の結果しか知らないから、そういう勘違いなことが言えるんだ、つってね」

「…………」

 ――彼女が、いつも以上に機嫌が悪そうだったのは。

「そん時にデューイさんもここに居たんです。なんだか、色々考えてるみたいでした。それでも鉢運びによく取り組んでくれて、それ以外の作業まで手伝ってくれて、その間に思うところはあっただろうに、こちらを気遣って無闇に踏み込んでくることもなかった。――他にも数々の面で彼の気配りの上手さを感じました。一緒に作業をしていて、とても気持ちのいい人でしたよ」

 良い人材をお持ちですねと笑う伊久に、ジラルドは目を逸して水を飲んだ。

 水差しを運ぶために伊久がジラルドと共に入室しても、変わらぬ体勢のデューイが起きることはなかった。――それでも、

「また何か御用があればいつでもどうぞ。おやすみなさい」

 そう言って部屋から出る伊久が、例えば急にジラルドの首に手を伸ばそうとでもしたら。

「きっとお前はすぐに起きるのだろうな」

 付き人の枕の下にはナイフが納められていることを、王子は知っている。

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