第13話

 *****


 夜中に一度起きたせいか、ジラルドが起床した時には外はもうとても明るかった。

「……晴れているようだが」

 昨日のヴァネシアの言葉を思い出しながら隣を見ると、そこにはもう既に付き人は居らず、一般共通文字ではなくシャグナ文字でのメモ書きが一枚残されていた。

『伊久さんの手伝いをしてきます。殿下はゆっくりお休みください』

 丁寧だが癖のある字で書かれたそれを持ち、窓に近づく。

 声のする方、庭園の入口あたりに目をやる。そちらには大勢の人が集まっており、ワゴン車やトラクター、果てはリヤカーまで、様々な種類の車に鉢植えが積み込みされている最中だった。

 ジラルドのように目立つ金髪ならばともかく、色み的に目立つ特徴がある訳でもないデューイを、その中から探し出すことは出来なかった。

 ジラルドは着替えを済ませると、階段を降りて客間へ向かった。

 この洋館の客間は、客というより住人たちが一番よく集まる部屋だ。食事をするのも大概がこの部屋であり、現在も丁度ヴァネシアとジルがカップを傾けているところだった。

「おはようございます、ジラルド様」

 挨拶を返したジラルドは、ジルの格好に首を傾げた。

「今日は珍しい服を着ているのだな。幽ノ藤宮と同じものか?」

「『ユカタ』と呼ばれる、幽ノ藤宮様がお召しの『キモノ』よりは軽装のものです。昨日今日で植物が育ちましたのでね」

 普段の服装では花を圧迫してしまうための衣装替えなのだろう。

 半身振り返って見せたジルの背中は、確かに浴衣の生地がごわごわと膨らんでいた。襟元からは蔓が数本、ひょろりと出ている。初対面の時よりも育っているそれに、彼らに生えているのは本当に生きた花なのだと実感した。

「すぐに朝食を準備致します。お待ちを」

 ジルが客間を出ていき、ジラルドは席に着く。

 斜め前で紅茶を飲んでいるヴァネシアを眺めていると、キツい眼で睨まれた。

「王子のクセに無礼ね」

「すまない。ところで、昨日君は、今日は雨が降ると――」

「降るわよ。鉢植えの出荷が終わって、三十分後くらいからかしら」

「どうして分かるんだ?」

 ヴァネシアはうんざりしたように椅子を引いて立ち上がった。

 飲み干したカップとソーサーを片手で持つと、

「あなたに説明する気は無いわ」

 高らかな足音を立てて客間を出て行ってしまった。

 やはり僕は彼女に嫌われているのだな、とジラルドは認識する。悲しいというよりも、どこをそんなに嫌われているのかと気になった。

「ふむ……」

 テーブルに向かって一人で座っていると、まるでここが王城の一室であるかのように思える。その状態は、シャグナではよくあるものだったからだ。

(椅子の数、机の材質と大きさ、ここには書物が無いこと)

 時間の埋め合わせに、普段と違うところを考えてみた。

(壁に絵画が無い、シャンデリアの形、……あぁ、普段はデューイが後ろに居るか)

 そういう時、デューイはジラルドの邪魔にならないように書類作業をしている。同じテーブルを使うことはなく、ジラルドのものより粗末な椅子に座り、ジラルドが何か声をかければ即座に答え、また静かに黙るのだ。

 そんなことを思い出しながらジラルドが目を伏せた時、

「ジルさー……あっ、お客さん来てた」

 重そうな機械を背負った青年が客間の扉を開け、ジラルドを見て焦った顔をした。

 きょろきょろと客間を見回し、逡巡した後にジラルドに訊ねる。

「……えっと、ジルさんって居ます?」

「ああ。もうすぐこの部屋に戻るだろう」

「そっすか。じゃ、俺もこっちで待たせてもらお。いいですか?」

 構わないと告げると、青年は機械を背負い直しつつ客間へ入ってきた。その機械も謎だが、ジラルドは彼が手に持っているものに興味を抱いた。

「それは何だ?」

「これ? これは、刺叉です。人を取り押さえる時に使うんですよ。俺、警備会社に勤めてるんで。そういや邪魔だし、ちっさくしますね」

 テーブルに近づいた青年は、まず機械を肩から下ろして床に置いた。椅子に座り、刺叉の柄をくるくると回すと、中部分のパーツを外して短くする。

 ふんふんと作業をこなす青年の髪の色に、ジラルドは訊ねた。

「君はネッサリアの者か?」

 船着場から庭園までの移動間に、こんなに濃い青色の髪を持った者は見られなかった。

「いや、住んでるのはテクナ・マシナってとこです。分かります?」

「行った事はないが、機械や工学の進んだ国だと聞いている」

 ジラルドが頷くと、青年は、そうそう! と嬉しそうに笑った。

「その『進んだ』ってのは想像以上だと思いますよ。行った事ないならぜひ寄ってって欲しいですねー。初めて来た人は皆が驚くんですよ、アンドロイドとかサイボーグだとかが、そこら中を歩いてるってことに」

 その言葉から考えられたイメージに、ジラルドは眉を寄せる。

「……テクナ・マシナに人間は居ないのか?」

「いやいや居ます。つーか、俺も人間です……たぶん一応」

 最後は自信無さげな付け加えだったが、一変して、青年は自信を漲らせて語る。

「けど、人間と見分けつかないくらいそっくりってアンドロイドも居ますし、身体の一部が機械って人なら結構多いっすね。オートメイルっていう電気の――いや単に義肢って言った方が分かりやすいか。生まれつきの痣があるのが嫌だから、腕切り落としてそういうのに付け替えるってのは、テクナ・マシナじゃ変じゃない話ですよ」

「しかし、元の身体との違和はあるだろう」

「まぁ、まったく無くすってことは難しいんじゃないすかね。ただ、それが悪い面での違いだけかっていうとそうじゃないですし、今後、研究も開発ももっと進むでしょうし」

「……そんなに簡単なことなのか」

 ガラスドームで幽ノ藤宮から聞いた気温調節装置の話でも充分に驚いたというのに。

 目の前で青年が次から次へと当たり前のように話す内容は、ジラルドにとってはひどくショックの大きな話だった。

「まぁそれは全部テクナ・マシナだからこそ、ですけどね。昔は工学と言えばザエック連邦って感じでしたけど、今じゃテクナ・マシナが圧倒的ですよ! ザエック解体後にかなりの技術者がこっちに流れてきたって話だし」

 あそこは僻地ですからねぇ、今はもう変人くらいしか残ってないでしょう、と笑顔の青年がぽんぽんと傍らの機械を叩いたところで、

「今日は休みかね、レヴィン君」

 ジルが戻ってきた。その手に持つ盆の上には、ジラルドの朝食だけでなく、もう一人分のお茶の用意がされている。

「あ、お邪魔してまーす。昨日頑張ったんで、ジルさんのお茶で元気貰いに来ました。玄関から声かけたんすけど」

「聞こえたよ。だから君の分も淹れてきた。いつもので良ければだが」

 大きく頷いたレヴィンは盆を受け取り、ジラルドの朝食と自分のカップをテーブルに並べた。ジルが二人のカップにそれぞれ違うハーブティーを注ぐ。

「ヴァネシアの言っていた今日来るカリスタの友人とは、君のことか?」

 食事を始める前にジラルドがそう問うと、

「いや? 俺もカリスタちゃんは知ってるけど……今日来るって言ってないし、あ」

 首を傾げかけていたレヴィンは、思い出したように上を向いた。

「あの子かな。時々見る、なんか消えちゃいそうな子」

「おそらくヨーコ嬢のことだね」

「へぇ、ヨーコちゃんって言うんだ。あの子が外出すると必ず雨が降るって言われてんだよな。今日もこれから降るのかなぁ」

 頷き合う二人に、昨日ヴァネシアから邪魔をするなと釘を挿された話をする。

 その結果、どちらもから苦笑が返ってきた。

「僕はどうやら彼女に嫌われているらしいんだ」

「いや、ヴァネシアちゃんって大体庭園の住人以外に対してはキビしい態度っすよ。俺も顔合わせる度に苦々しい顔されますもん」

 ジルに了解を取ってからテーブル上のクッキーに手を伸ばし、レヴィンが言う。

「じゃあ今日のガラスドームはガールズトークってヤツで盛り上がるんでしょうねぇ。きっと行っても入り込めないと思いますから、まぁ俺とでも話してやってください」

 色んな意味で花は無くて悪いですけどと笑ってから、ふとレヴィンは真顔になってジラルドを見つめた。

「……お客さんってお客さんですよね? え、新しい苗床様?」

「いや、僕はただの観光客だが」

「ですよね。でも昨日もヴァネシアちゃんと話してるって、あぁ、連日で来てるってことですか?」

「ジラルド様は、今この庭園に滞在されているんだよ」

 ジルが横から挟んだ説明に、レヴィンは大きく仰け反った。

「滞在?! めっずらし……。つーかそんなこと有り得るんですね!?」

「今まで滞在者は無かったのか?」

「無いですよ。無いっすよね?」

 確認するようにレヴィンがジルに振り、ジルはそれに頷く。

「お申し込みになるお客様が居られなかったとも言えるでしょう。客室がある以上、お泊めすることは可能なのだから。あとは開園の暦との関係かと」

「あぁ……まぁそっか。言われてみれば今回上手く三日連続開園ですもんね」

 そんじゃ今度俺も泊まりたいな、とレヴィンは何度か頷いた。

「滞在か、思いつかなかったなぁ。えぇとさっき……ジラルドさんだっけ? ジラルドさんは、そんなに庭園が気に入ったんですね」

 嬉しそうなレヴィンに、ジラルドは深く頷く。

「ああ。明日には帰るんだが、とても離れがたい」

「何か、特にコレ! ってものはありました?」

「僕は、特にクリスタリアが気に入った。何度見に行っても飽きないし、カリスタと話すのはとても楽しい。彼女も喜んでくれているようだ」

「分かるなぁ。あれ、花が咲いたところ見るとスッゲェ感動しますよ――って、あ、ははっ、ヴァネシアちゃんの邪魔すんなってそういうこともあるのかな?」

 何故か急にくっくっと笑い始めたレヴィンは、ぐいっとお茶を飲み干した。ジルの目線での問いかけに、もう一杯お願いします、と素直に頷く。

 そのやり取りが終わってから、ジラルドは訊ねた。

「そういうこととは?」

「いや、ガールズトークを楽しみたいってのも本音だと思いますけど。たぶん、ちょっと寂しいっていうのもあるんじゃないっすかね、ヴァネシアちゃん。大事な仲間のカリスタちゃんが取られちゃいそうに感じて」

「……取られちゃいそう?」

 どうやって、とジラルドは本気で考えた。口には出されない、取れるものなら取りたいが、という思いは、誰にも悟られない。

 ジラルドの怪訝な顔に、

「ポジションっつーか……何て言えばいいだろう」

 と、レヴィンも考え込むような顔をした。

「感情で言えば、嫉妬みたいなものですかねぇ。あ、自分に置き換えると分かりません? ずっと自分と仲の良かった友達が、なんだか自分とは親しい訳でもない人と最近すごい仲良くしてる。それは全然悪いことじゃないんだけど、やっぱりちょっと寂しい気持ち」

「君は、そういうことがあるのか?」

「あります。あっ……そういやジルさんこの間、伊久さんとお茶菓子選びに庭園出たんでしょ。そんで立ち寄った雑貨屋で、楽しくショッピングしたんですよね」

 急に矛先を向けられたジルは、少し困ったように眉を寄せた。

「まさか伊久君に嫉妬している訳じゃあるまいね」

「違いますよ! けど、なんで俺呼び出して護衛に付けてくれなかったんすか。……後から人伝てに聞いてほんとどうしようかと……雑貨屋で会ったスーツ姿の女には気を付けてください」

 ぼそっと最後に付け加え、レヴィンは、とにかく! と話を再開した。

「そんな感じで自分の立場として考えてみると、どうです?」

 ジラルドは懸命に考えてみはしたものの、

「……僕には友達が居たことが無いから分からないな」

 まず、そこで躓いた。

「そもそも友達とはどのような者を指すんだ?」

 真面目な表情での言葉にレヴィンはちょっと噎せた。

 答えは自然、呼吸を整えてからになる。

「……うーん。こう……、一緒に話したり遊んだりする相手で、一緒に居てもそんなに苦にならなくて、楽しくて?」

「ふむ……」

「あとは、仲良くなるにつれて、この人ってどんな人なのかもっと知りたい、って思ったりもする、かな?」

 レヴィンの説明を聞き、自分の中で『友達』の像を結び上げながら、ジラルドは昨日のガラスドームでのことを思い出した。

 自分に笑いかける相手に対して思った――あれも?

「ならば、例えば……自分のことを知って欲しいと思い、しかしそれを知ることで気にされたくはないと思い、更にしかし本音は本当の名前で呼んで欲しいと思うのも、相手が『友達』だからだろうか?」

「んん……あんまり友達間で偽名を名乗ることはなんて無いと思いますけど、大体それも言えると思いますよ。つーか友達って呼ぶのに思い当たる人が居たんですね!」

 嬉しそうにそう言ったレヴィンに対し、ジラルドの眉間の皺は消えない。

「……友達……か」

「良かったじゃないですか!」

 真面目に話をする若者二人に、ジルはただ黙ってカップを傾けていた。

「あまり、その実感は湧かないが……」

 そう言って首を傾げるジラルドに、レヴィンは勢い込んで問いかけた。

「じゃ、その人に対してほかにどんなこと思います?」

 その人に―― 

 ――……カリスタに対して。

「美しいと思う」

 クリスタリアの樹に絡められた彼女の姿を脳裏に描きながら、ジラルドは続けた。

「見ていたいと思う。話していたいと思う。彼女のことをもっと知りたいと思うし、彼女が望むことを叶えたいと思う。一緒に居ると、僕は楽しい。苦には……少し、なる。笑顔を向けられると時々、喉を圧迫されたような心地になる。それでも一緒には居たいと思う。……今までそんな気持ちを、誰かに持ったことは無かったのだが」

 滔々と述べた後に、

「どうだろうか?」

 真面目な顔でジラルドはレヴィンにそう訊ねる。

 ジラルドが並べる言葉を聞いていたレヴィンは、半開きの状態だった口をぴたりと閉じて、しばらく黙り込んだ後で答えた。

「……あの、俺が聞いた感じだと、ですよ? それはむしろ――」

 シャグナ王国第一王子は、旅の始まり、王城の一室で聞いた言葉をそこで再び耳にした。

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