第11話

 *****


「また来ると言っただろう」

 口角を上げたジラルドに、昨日ぶりの来訪者の姿に目を見開いていた彼女の表情がゆっくりと変わっていった。

「やられた。やられました、驚きましたよ」

 その嬉しそうな表情を見て、ジラルドも嬉しくなる。

「昨夜は、洋館に泊まらせてもらったんだ」

「そうでしたか! よく眠れました?」

「ああ、バラの香りがとても良かった。それを伝えたら香りの提供者には睨まれてしまったが」

 褒め言葉に返されたキツい目線を思い出しつつ首を傾げるジラルドに、カリスタは苦笑していた。それを納めると、きょろきょろと周りを見る。

「今日は、デューイさんはご一緒じゃないんですね?」

「鉢植えの手入れの手伝いをしている。デューイは手先が器用だから、簡単な仕事なら指示を与えれば使えないことはないだろう」

 自分たちが泊まるために移動をさせてしまった鉢植えは、明日出荷されるものらしい。

 その数がかなり多いので、最終チェックには伊久だけでなくヴァネシアとジルも取り掛かるのだという話を朝食の席で聞いて、ジラルドはデューイにその手伝いを命じた。

 はじめジラルドも手伝う気ではいたのだが、

「庭園から出ないという約束で今日一日はお目付け無しに過ごしてください」

 と笑ったデューイの言葉に、真っ直ぐこのガラスドームへと足を運んだのだった。

「あぁそっか、明日の準備があるんだ」

 ジラルドの説明から、カリスタは理由を察したらしい。

「じゃあデューイさん、それから、ヴァネシアにも今日は会えないかな」

 その呟きに残念そうな響きは無く、本当にただの事実確認のようで、彼女にとってはそれがどれだけ日常的なことなのかが知り得た。

「僕だけでは物足りないだろうが……」

「いいえ、ジオークさんが来てくださってとても嬉しいです」

 そんな風に笑うカリスタに、ジラルドの中でふとある気持ちが湧き上がった。

「ところで」

 と、切り出したが――しかし言葉はそこで止まる。

「はい?」

 ぱちりと瞬きをして続きを待っているカリスタを見つめ、

「……すまない、何でもない。今日も一緒に、話をしてもらえるだろうか」

 結局、その思いと願いを飲み込んだ。

 カリスタはジラルドの様子に当然疑問を持ちはしたのだろうが、それにしつこくこだわることはなく、笑顔で頷いた。

「ええ、あたしで良ければいくらでも!」


 *


 ――ありゃあ一体誰なんだ。

 昼前のガラスドーム、その光景を目にしたデューイは正直にそう思った。

 半人半樹の苗床を相手に言葉を交わす王子の笑顔は、いつもデューイが見るような、堅苦しいまでの高貴さをまとったものではなかった。歳相応の――いや、ともすれば二十五という実年齢よりも更に幼くも見えるくらいの――明るく朗らかな、笑顔だ。

(あぁ、なんだこの……)

 普段、ジラルドの一番近くに居るのは自分だとデューイは自負している。驕りでも何でもなく、事実である。そしてその近さは、心の近さでもあるだろう。

 だが、王城だけが生活範囲のジラルドは常に自身の地位を意識した態度を取らねばならず(というよりその態度しかジラルドは知らないのだ)、それは一番親しいといえるデューイの前であっても同じだった。

 だからデューイはジラルドが今浮かべているような表情を見たことなど、今まで一切無く。

(……息子に親離れをされた時って、こんな感じだったりするのか)

 嬉しさと寂しさの入り交じるような感情は、デューイの口元に微笑を浮かばせた。

「あ、デューイさん!」

 先にデューイに気が付いたのは、頭上のカリスタだった。

「何を立ち止まっているんだ?」

 怪訝な顔をしてこちらを見る主に、珍しいものを見てたんですよ、と脳内だけで答える。苦笑しながら歩を進め、デューイは二人の前に近づいた。

「明日のためのお手伝いしてくださってたんですよね、ありがとうございます」

 ひょこりと頭を下げるカリスタに、デューイは首を振った。

「いや、むしろ申し訳なく思ってます」

 午前デューイが手伝ったのは、鉢植えに小さなプラカードを挿すことだった。

 手元の表を見ながら鉢に対応するカードを挿していくのは、細かい作業にも慣れているデューイにはそれほど難しいものではなかった。――が、申し訳なさに苛まれながらの作業はなかなか堪えた。

「オレらの部屋を空けるために伊久さんにはかなりご迷惑をかけたようで……さっきの仕事でその恩が返せたとは思えませんし、午後もお手伝いしますよ」

 眉を下げたデューイは、カリスタに答えつつも、ジラルドにこそその言葉をよく聞かせるように言った。

 二人が滞在している部屋以外には、話に聞いていたように一面鉢植えが並んでいた。

 だがその鉢植えの大きさは聞いた時に想像していたものよりも大きく、そして数も同じくだった。他の部屋に入りきらなかった分は、伊久の部屋にまで運ばれていた。

 平身低頭で謝るデューイに、しかし伊久は笑っていた。

「そのくらい気にしないでくださいって。こんなことで俺がをあげてるようじゃ、その師である幽ノ藤宮様の名を貶めることになりますからね」

 ――と、そこまでの話を聞いて、ジラルドは小さく零す。

「……相部屋にしておいて良かったな」

「えぇ、まったく。で、今は昼休みとして中断です。昼食は和館でとのことでしたので、ジオーク様を呼びに来たんですよ」

 デューイが付け加えると、そうか、とジラルドはベンチから立ち上がった。

「午後からは何をするんだ?」

「オレは入口近くまで鉢植えの運び出しを。明日の朝、運び屋たちが来るそうなので」

 ふむ、と何かを考えるように頷いたジラルドは、カリスタに向き直る。

「今日のうちはどうか分からないが、――また来る」

 カリスタは笑顔で頷き、ガラスドームを去る二人を見送った。


「午後は僕も手伝おう」

 椅子ではなく床に座り、フォークではなく手掴みで物を食べる。そんな『初めて』を楽しみながら、ジラルドはデューイにそう言った。

「いえ結構です。というか駄目です」

 二つ目の『オニギリ』とやらに齧り付こうとしていたデューイが、即座に返した。

「何故だ。さっきのお前の話から聞いた様子では、手伝いは多い方がいいだろう」

「失礼を承知で言いますがね、午後から行うのは力仕事なので。殿下の細腕じゃ手伝いにはなりません。ですから駄目です」

 それに言ったでしょう、と、デューイは『オシボリ』で手を拭く。『オミソシル』を一口飲んでから、言葉を続けた。

「今日はお目付無しでどうぞと。――折角の機会ですよ、

 笑うデューイはどこか寂しそうにも見えたが、しばし考えてから納得したように口を閉ざしたジラルドには、それに気付くことは出来なかった。

 失礼しますという声がして、広間の襖が開いた。

 すずかを伴った幽ノ藤宮が、何かを載せた盆を持って部屋へ入る。

「お口に合いましたか?」

「ああ。美味しいし、形も中身も、面白い」

 幽ノ藤宮は背筋を伸ばして正座をし、すずかは盆の上に載っていたお茶を丁寧に注ぐ。

「コックにそう伝えておいてくれ」

 手元のおにぎりを半分に割りながらのジラルドの言葉に、幽ノ藤宮が笑う。

「それは良かった、有難うございます。お作りしたのはわたくしとすずかなのです」

 あぁそういえば、とデューイが頷く。

「昨日の夕食もジルさんが用意してくださいましたが、食事は当番制なんですか?」

「いいえ、決めている訳ではありません。和館は和館で、洋館は洋館で、各々の良いようにしていただいています」

 今日は洋館の皆さんの分もわたくしどもがお作りしましたが、との幽ノ藤宮の言葉に、

「いっぱいつくったです」

 と、手は止めないですずかも付け加えた。並べられたお握りの形や大きさが少し違うのは、わざとという訳ではないようだ。

「お二人が来られる前に、伊久が受け取りに来ました」

「ならば、今頃は向こうでも『オニギリ』を食べているのだな」

 建築様式と合わせて見るならば似合わない光景だろう。

 だが、偉人と少女が作ったこの食物を、自分を含めた一同が等しく味わっているのだと考えると、それはなんだかじんわりと心にしみた。

「今日は洋館の皆さんがお忙しいので簡単に食べられるものにさせていただきましたが、粗末な扱いとお思いでしたら申し訳ありません」

「まさか、とんでもない! オレらにはかなりの御馳走ですよ。ちょっと不思議な味もありますが、シャグナには無い、普段じゃ食べられないものですし、貴重な経験です」

「たべられないもの、あるですか?」

 デューイの言葉端に、お茶を配りつつ、すずかがきょとんと客人を見上げる。

「おにぎり、お里ではたべないですか?」

「あぁ。おじさんは、この『オニギリ』っていうのも『オミソシル』っていうのも、今日初めて食べたんだ」

「そうだったですか!」

 驚きながらもお茶を手渡してくれたすずかに、デューイはありがとうと笑いかけた。

「たぶん、この種類のお茶も初めて飲むよ」

「そうなのですか!」

 目を真ん丸にしたすずかの背に、幽ノ藤宮が軽く手を当てる。

「貴女も此方へ来るまでケーキを食べたことが無かったでしょう? それと同じですよ」

「……びっくりです」

 そう言って小さく声を漏らすすずかに、周りの三人は笑った。

「しかし食事にしても整備や警備にしても、外部の者は入れていないのだな」

 ジラルドの何気ない言葉に幽ノ藤宮は微笑する。

「えぇ。以前は世話をしてくださる方が居らしたこともあるのですが、今は」

「資金的な問題では無いだろうが、それには何か理由があるのか?」

 それは勘繰りなどではなく、ただ興味の延長だった。……だが、

「端的に言いますと、その方が気が楽だと解ったのです」

 ――自分たちでやらなくてはならないことが増えようとも。

 そう言って笑う幽ノ藤宮の表情から、あまり深く尋ねない方がよいことなのだろうということが、少なくともデューイには分かった。

「それに、まったくすべてを自分たちでまかなっている訳ではありません」

 失礼、と自分のお茶を一啜りして、幽ノ藤宮は続ける。

「流石に自分達だけでは手が回らない時には友人として親しくさせていただいている方にお声をかけることもありますし、デューイ様のようにお手伝いをしていってくださるお客様も居られます。食事も、頂きものが食卓に上がることがしばしばです」

 わたくしどもは、多くの面で皆様に助けていただいているのです、と幽ノ藤宮は言う。

 ジラルドとデューイは理解したように頷いた。それが、庭園にとっても周りにとっても良い維持方法なのだろう。

「すずかは、おそとのひとも、みんなすきです」

 横からそう口を挟んだすずかが、にっこりと笑顔を振りまいた。

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