第10話

 *****


 その後もカリスタと話をしているうちに、気付けばかなりの時間が経っていた。

「げッ。宿も探さないといけないし、そろそろお暇しませんと」

 まだガラスドーム全域は見せてもらってないですが、と懐から出した時計で時刻を確認したデューイが言うと、ジラルドは即座に立ち上がった。

「あたし時間取りすぎでしたね、ごめんなさい」

「いや。――また来る」

 眉尻を下げたカリスタに短く答えて、ジラルドは身を翻した。

 そのまま足を進め、クリスタリアの樹から離れていく。

「え? ちょっと待ってくださいよ、ジオーク様!」

 行動の早い主に慌てつつ、デューイはカリスタに向き直ると礼を言った。

「今日はありがとうございました。次の機会にはゆっくりと!」

「こちらこそ楽しかったです。お待ちしてますね」

 笑んだカリスタに背を向けて、デューイはもう大分遠ざかったジラルドの後を追った。

 ガラスドームの入口あたりでようやく追いつき、ふぅと息を吐きながら眉を寄せる。

「あのですね、そりゃ急かしたのはオレです――」

「幽ノ藤宮は和館に居るのだろうか?」

「がねへっ?」

 苦言を切った思わぬジラルドの言葉に、デューイは変な声を出してしまった。そんな付き人をちらりと見やって、ジラルドは繰り返す。

「幽ノ藤宮は和館に居るのだろうか、と言ったんだ」

「別に聞き逃した訳じゃありません。……何故それが気になるんですか、殿下」

 慎重に訊ねるデューイにはあの予感がしていた。

 それは、ジラルドが急なことを言い出す前の――。

「しばらくの滞在を申し込むんだ」

「そらやっぱりな!」

 手で顔を覆って天を仰いだデューイに、やっぱりとは何のことだ、とジラルドが心底不服そうに言った。

「殿下、それは……旅のことを言い出した時より急な話ですよ」

「しかし時刻からして予想は出来たことだろう」

 ジッと自分を見据えるジラルドの眼にデューイは嘘がつけなかった。

 正直な話、たしかに一瞬自分も考えはしたのだ。一晩泊めて貰えないだろうかと。

「…………ですが……」

 何と言ったものかと顔を歪めるデューイに、石畳を進む速度を早めてジラルドは言う。

「お前とどうこう言い合っても仕方無い。幽ノ藤宮本人に訊いてからだ」

「いったい何だって訊くんです」

「滞在の望みをそのままに。そして、きちんと宿泊費も払うと」

「そんなね、いくら金を払うってったって」

「デューイ。お前は何が気がかりなんだ?」

 真っ直ぐ前を見るジラルドに迷いは無い。

 デューイはそれを見てしばし言葉を失い、逡巡の後に言った。

「……幽ノ藤宮さんはオレたちの素性をご存知です」

 それを見抜いたヴァネシア、同じ場に居たジル、そしてこちらからそのことを明かした相手である幽ノ藤宮は、ジラルドとデューイの本当の身分を知っているのだ。

「そんな相手からの願いなんて、そりゃ断りにくいでしょう。下手すれば国交にだって関わるかもしれないんですから。殿下はそのご身分を――楯に使うおつもりですか?」

 ここまで言ってもいいものかと悩みながらの進言に、王子からの返答は、

「価値あるものには『親を質に入れても』という言葉を使うな。僕はこの庭園に滞在したいと強く希望している。身分を切り札にするというのは、父と母を売り飛ばすことに比べれば遥かに易い行為だろう」

 というものだった。

「その屁理屈に、だから許される、許せ、と仰るので?」

「許せないか?」

「……殿下は、なんだかここ数日で我儘わがままになりましたね」

 しぶしぶだが自分が折れたことを言外に伝えれば、ジラルドは満足そうな顔をした。これまでの反動だろうかと、デューイは胸中で思う。

 デューイの言葉を肯定するように頷いて、

「望み、不満、誰だって色々あるんだろう?」

 今までは気付かなかっただけで、僕にだってあるんだ。

 ジラルドは何故か、とても嬉しそうにそう続けた。


 *


 幽ノ藤宮は、拍子抜けするほどあっさりと二人の滞在を認めた。

「それでは、洋館の方に部屋をご用意しましょう」

 そう言って再び案内された洋館、戻ってきた二人の姿に、住人であるヴァネシアは明らかに機嫌を損ねたようだった。

 しかしジラルド達を連れた幽ノ藤宮の、仲良くされてくださいねという言葉に、

「…………あなた達、幽ノ藤宮様のお心の広さに感謝なさいよ」

「もちろんだ」

 洋館の二階にある一室を使わせることを許可した。やはり彼女には、幽ノ藤宮が何よりの基準であるらしい。

 ごゆっくりお休みくださいと言い残した幽ノ藤宮が去り、現在洋館内に居るのは五人だ。

 客間の椅子にヴァネシアとジラルドとデューイが座り、キッチンで全員分の夕飯の支度をしているのがジルである。そしてもう一人は、

「お待たせしました、客室の準備、整いましたよ」

 たった今客間に入ってきた、大柄な男だ。

「あぁ、ありがとうございます」

 デューイが礼を向けた彼は、苗床ではなく、幽ノ藤宮の弟子らしい。

 今日カリスタから聞いた話の中にも、栽培の第一人者の弟子という肩書きに相応しい良い腕を持った者だと登場していた。歳は今年で三十だとも聞いている。

「朝から聞いてれば布団も干したんですがね」

 頬を掻く男は、ジラルドとデューイに向かって笑いかけた。

「ま、シーツは丁度洗ったとこなので勘弁してやってください。今夜のベッドは、ヴァネシアの良い匂いがすると思いますよ」

 宿泊者二人がそれに言葉を返す前に、

「汚らわしい言い方はやめなさい、伊久ッ!」

 ヴァネシアがドンッとテーブルを強く叩いた。その眼は男を射殺さんばかりだ。

「洗濯物の香り付けにわたしのバラを使っただけでしょ!」

 伊久と呼ばれた男は、はいよ勘弁勘弁と片手を上げる。

 苦笑いと合わせてのその反応にヴァネシアはしばらくがみがみと文句を続けたが、最終的にフンと苛立たしげに鼻を鳴らして黙り込んだ。

 ようやく解放された伊久はデューイが持つ二人分の荷物に目をやり、手を出す。

「さて、お部屋まで案内しましょうか。荷物はそれだけですか?」

「や、自分で持つので大丈夫です。ありがとう」

 伊久に従って、ジラルドとデューイは階段を上がった。

 右に曲がってすぐの、既に開かれていた扉の中が、二人のための客室だった。

「お一人ずつでも部屋は準備出来ましたけど、本当に合い室でいいんで?」

「ああ、構わない。そこまで手間をかけさせたくない」

 きっぱりと答えたジラルドに、そいつはどうも、と伊久は笑った。

「正直助かりましたよ。他の部屋、今は鉢植えが並べてあるんでね」

 扉の前で立ち止まったまま、伊久は廊下の先を指さして説明する。

「もし何かあったら、廊下曲がって突き当たりが俺の部屋です。ただ、俺は見回りに出てる時もあるんで、俺が部屋に居ない時にはジルさんに言ってもらえますかね。ジルさんの部屋はあそこの、緑のプレートが掛かっているところです」

「分かりました。ちなみに、あの赤いプレートの部屋がヴァネシアさんの?」

「あぁ、そうです。が、あなた方は……」

 もちろん入りませんよとデューイは真面目な顔で言い切った。

 そんなことをすれば、さっき伊久が受けていたような文句の羅列だけで済む訳が無いということくらいは、流石に簡単に想像がつく。

「それが良いと思いますね、俺も」

 同じような顔で頷いた伊久は、夕食になればお呼びします、と言って階下へ降りていった。

 扉を締めて鍵をかけ、デューイが息を吐く。

「客室があるってことは、時々こうして泊まる客でも居るんでしょうかね」

「そうかもしれない。いずれにしろ良かったじゃないか」

 窓辺に立って外を眺めるジラルドは上機嫌そうだ。

 薄暗い中、派手過ぎない程度にライトアップされた庭園は、明るい日差しの下とは違った美しさを見せていた。もっと夜が更けて真っ暗になれば雰囲気はまた変わるだろう。

 石畳の道の中間辺りに建つ東屋を見下ろして、ジラルドは言った。

「明日はもう一度ガラスドームへ行こう。見られなかったところを見て回って、それからカリスタともっと時間をとって話をする」

 あんなに名残も惜しまず別れたのは明日も会えると確信していたからか。

 デューイは納得しつつ上着を脱いだ。荷物を解こうとして、ふと重要な疑問に思い至る。

「そういえば殿下は、しばらくの滞在を、と仰いましたね」

 何日くらいをお望みなんです? との問いに、

「気が済むまで」

 返されたものは短かった。

「気がって」

「慌てるな。もちろん、パーティには間に合うように帰る」

 楽しそうな表情で窓の外を見たままのジラルドに、デューイは声を低くした。

「――殿下、約束してください。長くて三日です」

 ジラルドは眉を寄せて反論しようとする。しかしその前に、三本の指を立てたデューイが有無を言わせぬ口調で断言した。

「三日です。変更はありません」

「…………」

「支度や打ち合わせのこと、そして何より大事なパーティの前日になっても主役が戻らないという状況下となった王城のことを考えてください。もしそれが……殿下ご自身の望んだものではなかったとしても、行われるのは殿下のためのものなのです」

「……いいだろう」

 付き人の口調に強い意思を感じ取り、王子は窓際の椅子に深々と腰を下ろした。

 足を組み、膝の上で手の指を交差させながらジラルドは言う。

「三日で帰る。『イヅューマの靴ベラに賭けて』、約束する」

「へ」

 デューイは先程までの真面目な表情を吹っ飛ばした。

「なんです、それ」

「覚えてないか? 数年前にシャグナに来た興行団のポスターに書かれていただろう、『鑑賞料以上のモノを魅せるとイヅューマの靴ベラに賭けてみせよう』と」

 面白いと思って覚えていたんだ、とジラルドは口角を上げる。

「はぁ……で、その、イヅューマとは何なんで?」

「分からない。僕が調べた限りではどの文献にも書かれていなかった。何処かの地方独特の言い回しなのだろうな」

 靴ベラを使うのなら人を指すのだろうか、と口元に手を当て考え込むジラルドに、

「どうせでしたらね、殿下」

 そんな正体の分からないものなんかじゃなくて、と続けつつ、デューイは今度こそ荷解きに取り掛かった。

「『シャグナ王国の王位継承者として』くらい、きっぱり言ってくださいよ。重たい約束をするのなら、賭けるものもそれなりでないと真剣さは伝わりません」

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