第2章 魔女の集会⑥

 黄昏館の本館に戻ると、エルザは宿泊棟とは反対側の建物へと私を誘った。本館からつながる扉をくぐると、目の前には長い回廊が続いていた。

 魔女集会の長、アストラエアは普段は黄昏館を住まいとしており、集会を開くときだけ、館の門戸を開放するらしい。通常、黄昏館へと繋がる山道への入り口には人払いの魔法がかけられており、魔女でもなければ、この館に近づくものはいないとのことだった。

 アストラエアが住まいとする別棟は当時の王の家族だけを滞在させる目的で作られたものであり、廊下に飾られた調度品や、壁に掛けられた古い絵はどれも豪勢な品ばかりに見えた。

 エルザは回廊の真ん中ほどにある扉の前で足をとめると、その扉を二回叩いた。奥から声が聞こえたのを聞いてから、エルザは扉を押した。

 扉の先は書斎のようだった。東側の窓からは明るい光が差し込み、薄いカーテンからは山の緑が見渡せた。エルザの家もそうだったが、壁は天井まで届く本棚で埋められ、部屋の真ん中に置かれた机の上には、様々な形状をした奇怪な道具が並べられていた。

 書棚の側に立っていたアストラエアは、手にもっていた本を棚に戻し、私たちを迎えた。

「お疲れ様、エルザ。今回は急な招集だったのに来てくれてありがとう。そして…」

 アストラエアは私を見下ろすと、にっこりと微笑んだ。

「改めて黄昏館にようこそ、小さなお客様。名前は、確かラルフ君だったかしら。退屈な話し合いに付き合わされて疲れたでしょう。さあ、座って。今お茶を用意するから。」

 アストラエアは嬉しそうにそういうと、来客用のひじ掛け椅子を示した。

 エルザと私は、豪華な金紗の縫製が施されたクッションに身を沈めた。

 アストラエアは、純白の陶器でできたティーポットとカップを乗せた盆を運んできて目の前の机に置いた。アストラエアが陶器のポットに手を触れると、途端にポットの注ぎ口から湯気が立ち上り始めた。

「どう、エルザ。今日の集会の中に『渡り烏』はいた?」

 お茶をカップに注ぎながら、アストラエアは何気ない口調で言った。

「いえ、おそらく今日の出席者のなかにやつはいなかったと思います。貴女の言う通り、シーレもヴェルヌもおそらくシロでしょう。」

「そう…ラルフ君、あなたはどう感じた?あの中に、あなたの村を襲った犯人はいたと思う?」

 アストラエアはお茶の入ったカップを私に手渡しながら、質問してきた。

 私にはそれを判断するだけの材料はなかったが、ただ直感で首を横に振った。

 アストラエアはカップに一口つけると、小さくため息をついた。

「参ったわね。渡り烏というのは、やっぱり私の知らない魔女のようね。これは捕まえるのに苦労しそうだわ。」

 エルザはお茶には口をつけずに、アストラエアをにらみつけていた。

「アストラエア、それを確認するために、この子を集会に連れてこさせたのですか。わざわざほかの魔女の前に晒してまで。」

「危険だった、と言いたいのね、エルザ。それについては私もラルフ君に悪かったと思ってる。だけど、これしか確認のしようがないと思ったのよ。おかげで集会員の中に渡り烏はいないとあたりをつけられたわけだしね。それに…」

 アストラエアの深紅の目が私を見ていた。

「私も少しこの子に興味を持ったの。ただ一人生き残った人間の子にね。」

 先ほどの竜狩りのエオウィンほどではなかったが、アストラエアの目の中にも好奇の色が見て取れた。

「この少年はごく普通の人間です。あなたやエオウィンが興味を持つのは、あくまで『竜狩りの騎士』の末裔のことでしょう。」

 エルザの声には少しばかりいら立ちが滲んでいた。何故かわからないが、エルザは私のことをあまり話題にしてほしくないようだった。

「そうね。見た感じ、この子は普通の人間ね。生き残ったのも、きっとお母さまが必死にあなたを守ってくれたおかげだと思うわ。だけど…」

 アストラエアはカップを置くと、じっと私の目を見つめてきた。彼女の瞳の奥の闇から何かがせりあがってくるように見えた。私は崖の淵に立ち、底が見えない深い谷を見下ろしているような感覚に襲われた。

「この子の目の奥に暗い魂の炎が見える。かつてこの地上を闊歩した、あの忌まわしい竜たちが宿していたような炎が…」

 私の視界には、アストラエアの瞳が放つ深紅の闇しか見えていなかった。闇の底からはい出した黒い影は私の喉元に手をそえ、耳元でささやき始めた。

『あなたは誰?どこから来たの?何をするの?どこに行くの?誰を生かすの?誰を殺すの?誰を…愛するの?』

 喉がしまり息ができなくなった。私は手足の自由のきかない夢の中で、覚醒しようと必死に抗った。

「やめてください!この子に『千里眼』を使うのは!!」

 耳元でエルザの叫び声がした。

 目の前はまだ真っ暗なままだったが、意識ははっきりと戻っていた。私は肩で息をしながら、寒さで体を震わせた。

「ごめんなさい。まさかこの子がこんなに私の術に抵抗できるとは思わなくて。普通の人間だったら幸せな夢の中で漂い続けるのが普通なのだけれど…どうやらラルフ君はよほど強い精神と意志を持っているようね。」

 エルザは私の目を覆っていた手をはなした。目の前にはすまなさそうに両手を握り合わせたアストラエアが私を見つめていた。アストラエアの目からはもう何の圧力も感じず、謝罪の色が見てとれた。

 エルザはなおもかばうように私を胸の中に抱きかかえたまま固い声で言った。

「この子がどんな人間だろうと、私はラルフを人里に返します。この子は人間として、自分の意志で選択した人生を歩いていくべきです。」

 アストラエアは窓の外の山林の景色に目をやった。

「そうね、この子が私たちにかかわってしまったのは不幸なことかもしれないけれど、この子はまだ生きているものね。だけど…」

 アストラエアはちらりと私を一瞥した。

「この子を人間の元に戻す前に、ちゃんとこの子自身の意思を確認しないとだめよ。どうやらラルフ君は、あなたのことをずいぶんと慕っているようだから。」

 そういうと、魔女集会の長はいたずっぽく、くすっと笑ってみせた。

 私はエルザの顔を見上げた。彼女は眉根を寄せ、少し怒ったような表情で青い瞳をアストラエアに向けていたが、やがて腕の中の私を見下ろした。灰色の焼け跡の中で初めてその青い瞳を見上げた時、私は生きていることの実感と、生家の中で過ごすかのような安心感を覚えたことを思い出した。

 エルザは私を抱擁から解放すると、わざとらしくひとつ咳ばらいをした。

「ともかく、私は引き続き、渡り烏の足取りを追います。新たなことが分かればまたお知らせしますので。今日はこれで失礼します。」

 そういうと、エルザは私の手を取って立ち上がった。

「ああ、待って頂戴。帰る前にラルフ君に渡したい物があるわ。」

 アストラエアは部屋の奥の仕事机に近寄ると、引き出しを開けて何か光るものを取り出した。

「はい、どうぞ。さきほどは怖い思いをさせてごめんなさいね。これは私からあなたへの仲直りの思いをこめた、ささやかな贈り物よ。」

 そういうと、彼女は銀色に輝く細い鎖を私の首にかけた。鎖には金色に光る指輪がつながれていた。これといった彫り物もなく、簡素な形状をした指輪は、滑らかに磨き上げられた表面に、歪んだ私の顔を映し出していた。

「もし困ったことがあったら、その指輪を握りしめて強く祈りなさい。そうすれば、必ず救い手が現れて、あなたを導いてくれるわ。」

 しげしげと指輪を眺める私を尻目に、エルザの声は少し不機嫌だった。

「アストラエア、この子に魔法の装身具を与えないでくれませんか。この子はもうあまり魔法と関わらせたくは…」

「あら、いいじゃない。これはお守りだもの。きっと、今後のこの子にとって大きな助けになるはずよ。」

 目を細めて私を見下ろしながら、アストラエアは私の髪を柔らかく撫でつけた。

 エルザはそれ以上なにも言わず、私の手を取りなおすと、アストラエアにお辞儀した。私もすぐにエルザに習って頭を下げた。


 黄昏館の正門の前で、私とエルザは馬上からアストラエアを見下ろしていた。

「お昼ごはんくらい御馳走したのに。そんなに急いで帰らないとダメかしら?」

「私にもほかに仕事があります。あまりのんびりとここには滞在できません。」

「そう、じゃあ、道中気をつけてね、それと…」

 いままで柔らかいだけだったアストラエアの表情がわずかに固くなったように感じた

「もし渡り烏の所在をつかんだなら、接触するときはくれぐれも気をつけてね。きっと、一筋縄ではいかない相手よ。」

 エルザが私をつかむ手に少し力がこもったように感じた。

「心得ています。それでは、失礼します。」

 それだけ言うと、エルザは馬の頭を帰路へと向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る