第2章 魔女の集会⑤


 朝霧に沈む黄昏館の敷地内には鳥のさえずりだけが響いていた。春先とはいえ、山上の空気は肌寒く、外の風に触れたとき私の体は微かに震えた。私たちが宿泊した本館から、集会が行われる「書庫」までは屋外の渡り廊下でつながっており、前を歩くエルザの靴音が丁寧に敷き詰められた回廊の石畳を響かせていた。

 結局、今朝もほかの魔女には一度も会わなかった。書庫に続く回廊を歩きながら、私はこれから始まる魔女集会の風景を想像した。最初は、薄暗く埃っぽい部屋の中で、とんがり帽子を被った老婆たちが額を寄せ合うようにしてひそひそ話を延々と続ける景色が思い浮かんだ。その想像は絵本で眺めていた老魔女の挿絵から来るものだったが、エルザのように見た目が若く、動きも溌剌とした魔女を目の当たりにすると、実際の集会とはもっと活気のあるもののようにも思えた。例えば、女子向けの絵本に登場する派手好きな魔女の印象を元にすると、貴族のように華々しく着飾った幾名もの魔女たちが大きな長机を囲い、様々な肴や飲み物を片手に活発な議論にいそしむ、といった光景も想像できた。子供ながらにも、得体の知れない場所に連れてこられた身としてはずいぶんと呑気な妄想に浸っていたものだが、その時の私はエルザという保護者におおよそ心を許していたというのもあった。

 回廊の先には、五階ほどの高さまである、円形の劇場のような大きな建物があった。外観は本館と同様にレンガ積みの壁だったが、表面にはつたがはい回り、古い建築物であることをうかがわせた。極端に窓が少ないためか、早朝の朝日の下でも、どことなく不気味な印象を与えていた。

 建物の正面入り口は年季の入った木製の扉で閉じられており、扉の取っ手にはくすんだ金文字の文章が描かれた小さな札が下げられていた。

 エルザはその札を手に取ると、囁くような小さい声でつぶやいた。

『我は神秘の担い手なり。夜明けの頃に生者の元に寄りて、その耳元に囁きかける者なり。あるいは、黄昏時に死者の元に寄りて、その口から言葉を拾う者なり。』

 遠くでカチリと金属同士が合わさる音が響いた。ゆっくりと開かれた扉の奥から、風が吹いてきた。耳元で誰かが囁いたかのような感覚を覚え、私は思わず振り返っていた。朝霧に沈む黄昏館が途端に色あせて見え、私は背筋に寒気が走るのを感じた。その時、不意に右手に温かい感触を覚えた。

「昨日の約束は覚えているな。中に入ったらおしゃべりはなしだ。」

 エルザの青い瞳が私を見下ろしていた。私は返事の代わりに、エルザを握る手にわずかに力を込めた。


「書庫」の中に足を踏み入れた瞬間、私は思わず頭上を見上げていた。頭の上にはまず、巨大な天窓が見えた。五階の天井の高さまで吹き抜けになった建物の中は、空からまっすぐに降り注ぐ光の中で、何もかもが柔らかく浮かび上がって見えた。次第に目線を下げていくと、この建築物が書庫と呼ばれる由来が分かった。壁という壁はすべて本棚で敷き詰められ、各階層のバルコニーにはあちらこちらに、本棚に架けられた脚立が見えた。棚の中には書物だけではなく、真鍮のように金色に光る、大小さまざまな道具らしきものがおさめられていた。後の人生においても、この「書庫」並みの規模の知識の集積場所としては、王都の中に建てられた王立記念図書館しか思い当たらなかった。

 一通り、室内を眺めまわし、視線の高さを地階に戻した。そこにはエルザと同じ、神秘の担い手たちが既に集まっていた。

 書庫の真ん中に、円形に配置された十二の椅子は、その一つ一つが王が腰かけるような玉座とも言える大きさだった。滑らかに磨き上げられ、繊細な彫刻が施された木製の巨大な座は、それぞれが一級の調度品に見えた。それらの上に納まる者たちは、一斉に私たちの方へと視線を向けていた。

「おはようエルザ。今回はちゃんと時間通りに来てくれたわね。」

 それらの座の中でも、ひときわ大きなものから声が聞こえた。歌うように軽やかで、柔らかい声だった。

 エルザは声がした座席とちょうど対面にある席の前に立つと、帽子を脱いで丁寧にお辞儀した。私はエルザの横で、彼女に習って一礼した。

「おはようございます、アストラエア。『灰のエルザ』集会への招きに応じ、参上いたしました。」

 そういうと、エルザは席に着いた。エルザの席の左横には小さな椅子が設けられており、私はそれに腰を落ち着けた。

 エルザと私が着席したことを確認すると、魔女集会の長、アストラエアはゆっくりと集会の参加者一同を眺めまわした。

 アストラエアは、ゆったりとした純白のローブに身を包み、重ねた手を膝の上に置いていた。長く、癖のないまっすぐな髪は、身に着けている装束よりもさらに白く輝いていた。見た目の年齢はエルザと同じか、それよりも若いように見えた。肌は白く透き通り、口元には常に慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。長く伸びたまつげは目元の表情を柔らかく見せていたが、その奥に収められた深紅の宝石のような瞳は、深い谷のように底が見えなかった。

 アストラエアと目が合った時、私は直感的に、この魔女には嘘をつけないと感じた。

「『深い森のエルマ』、『紅のロザリィ』、『白銀のフェルミ』、『石切りのミレーヌ』、『癒しのマリア』、『清流のレイン』、『竜狩りのエオウィン』、『糸紡ぎのケリー』、『灰のエルザ』。皆、突然の招集に応じてくれてありがとう。残念ながら『結晶のシーレ』、『深淵のヴェルヌ』は欠席だけど、集会員の大半が集まってくれて嬉しいわ。」

 彼女の言う通り、十二の座のうち、二席だけ空席になっていた。集会の場には、エルザを含めて十人の魔女が参加していた。後にエルザから聞いたことだが、魔女は自分を表す二つ名を持つことが慣例になっているらしい。ちなみに、魔女集会の長は『光のアストラエア』と呼ばれていた。

「今回皆に集まってもらったのはほかでもない、エルザに担当してもらっている仕事のことについてよ。エルザから貰った伝書鳩によると、つい四日前にまた一つ人間の村が消されたらしいわ。私たちが「渡り烏」と呼ぶ者の手によってね。」

 そう言うと、アストラエアは村人の死を悼むようにわずかな時間目を閉じた。

「これで三つも村がやられたわ。早急に手を打たないと、被害は拡大するばかりよ。渡り烏の件はエルザにだけ任せていたけど、今後はほかの皆にも、エルザを手伝ってもらいたいの。」

 アストラエアは簡潔に議題を述べると、ほかの魔女の反応を見るように言葉を切った。

 エルザの左隣、私が座っているすぐ横の席の魔女がわずかに手を挙げた。

「ロザリィ、どうぞ。」

 アストラエアから指名されると、短髪で鷹のような鋭い目を持つその魔女は私をにらみつけてきた。

「渡り烏の件について話をする前に、何故エルザが人間の子供を連れてきているのか説明してもらいたい。この集会は始まって以来、人間の立ち入りを一切拒んできたのではなかったのか?」

 ありありと敵意が浮かんだその視線に、私はすっかりおびえてしまった。

「その子は私がエルザに頼んで連れきてもらったのよ。そんな怖い顔で子供をにらみつけるものじゃないわ。」

 アストラエアは柔らかい語調で、そのロザリィという魔女を窘めた。

「その子のことについては、エルザの口から説明してもらうわ。エルザ、今回の渡り烏の襲撃の件を説明してくれるかしら?」

 エルザは頷くと、私が体験したあの地獄の夜のことについて話し出した。

「アストラエアから話があったように、四日前の夜、霧降山の東にある農村が襲撃されました。家屋は全焼、およそ二百人の村人は全員死亡しました。唯一この少年を除いて、ですが。」

 魔女たちが隣同士でささやきあう声が聞こえた。エルザはほかの魔女の反応を意に介さずに報告を続けた。

「私は王都から自宅への帰路の途中、村の火事を発見し、焼け跡からこの少年を救助しました。この子の証言通り、今回の犯人もまた渡り烏とみて間違いありません。」

 そのあとを引き継ぐように、アストラエアが補足した。

「その子は、渡り烏を直接目撃した唯一の生存者よ。この子が持っている情報は貴重だと判断したから、私はエルザにこの子を集会に連れてくるように頼んだの。」

 横に座るロザリィが小さく鼻を鳴らすのが聞こえた。

「一つ、質問いいかしら。貴女は渡り烏が何者なのか予想はついているのかしら。」

 アストラエアの右隣に座っている、『癒しのマリア』という魔女が質問した。

 エルザは小さくため息をつくと、きっぱりと言い放った。

「渡り烏、やつの正体はおそらく、魔女です。」

 書庫の中が一瞬しんと静まり返った。

「エルザ、貴女自分の言っていることが分かっているの?」

 エルザの右二席横にいる魔女、『深い森のエルマ』が声を上げた。動揺を抑えようとしているのか、その声はかすかに震えていた。

「貴女、今この集会にいる魔女全員を容疑者だと宣言したも同然なのよ?」

 エルザは淡々とした口調で返した。

「これまでの情報を集約した結果、そうなっただけだよ。現場に残されていた『人に致命傷を与える黒い槍』、焼かれた人間を殺す『呪詛の炎』。そんなものを扱えるのは、今の時代では魔女という存在しかありえない。」

 エルマは何か言いたげに口を開きかけたが、アストラエアの発言に遮られた。

「私も、エルザと同意見よ。たった一人で二百人もの村人全員を虐殺するなんてことは、普通の人間には至難の業ね。それと、エルマが言ったことは間違っているわ。私はこの集会を開いて以来、地上に残った魔女全員を集めてきたつもりだった。だけど、まだ私が認知していない魔女が世の中にいるという可能性も捨てきれないもの。渡り烏への対処は、やつが魔女であるという前提の下で進めるべきね。」

 アストラエアが言い切ったことで、ほかの魔女も渋々頷いた。

「大丈夫、今この場に『渡り烏』はいないわ。私の『千里眼』には邪なものは何も見えていないもの。」

 アストラエアの言葉に、神経質そうな見た目の、『糸紡ぎのケリー』がつぶやいた。

「ですが、シーレとヴェルヌはどうなのですか?あの二人はもう何年も集会を欠席していますよ。」

「シーレは北の城壁の中で好きなように暮らしているのだろうね。ヴェルヌは…彼女のことは詳しくはわからないな。あまり他人とは付き合いがよくない方だからね。今もどこをほっつき歩いているのやら。」

 頬杖をつき、退屈そうな表情をしていたが、『白銀のフェルミ』の目には鋭い光が宿っていた。

「エルザの言葉を信じるなら、シーレとヴェルヌには直接話を聞くべきね。もっとも、あの二人を捕まえられれば、だけど。」

 『清流のレイン』も眉を寄せて深刻な表情をしていた。

 集会の魔女たちの話しぶりからすると、『結晶のシーレ』、『深淵のヴェルヌ』と呼ばれる魔女たちは、あまりほかの魔女とは接点を持っていないようだった。そのどちらかが、私の村を焼いたあの渡り烏なのだとしたら…私は胸の奥でどす黒い感情が蠢きだすのをはっきりと感じた。

「皆、少し冷静になって頂戴。エルザの報告した『黒い槍』も『呪詛の炎』も、あの二人が使う魔法属性とは大きく異なるものだわ。それに…」

 アストラエアはわずかに言いよどんだが、言葉を続けた。

「…それに、もしあの二人ならきっと、自分の正体を隠すようなことはしないでしょう。なにより、わざわざ時間をおいて村を一つ一つ焼いていく動機がわからないわ。渡り烏の正体が魔女というのはともかく、やつには何か目的があるように思えるわね。」

「エルザはどう思うの?渡り烏の目的について。」

 浅黒い肌をした『石切りのミレーヌ』が質問を投げてきた。

 エルザは首を横に振った。

「正直なところ、やつの目的はわからない。過去三件の襲撃場所、時間、殺害人数などを照らし合わせても、目だった共通点と言えるものはない。だが一つ言えることは、やつは必ず村の人間を全員殺すことに執着しているようだ。使っている魔法の痕跡も、人間を殺すことに特化したものばかりだしな。」

「つまり、渡り烏というやつはよほど人間のことを憎んでいるというわけだ。誰かさんのように。」

 横に座るロザリィがエルザに目を向けた。

「…私が人間を憎むのは魔女の中では例外ではないだろう、ロザリィ。それに、私の中の憎しみはすでに遠い過去のものだ。」

 エルザも珍しく感情を声に滲ませた。どうやらこの二人はあまり仲が良くないらしい。

「どうだか、その人間の子供も、本当は奴隷か慰みものにでもしたくて拾ってきたんじゃないのか?」

 ロザリィは口の端をつり上げながら、私を見下ろした。幼い私にも、それがずいぶんと下卑た視線のように感じられた。

 エルザは唐突に杖を手に取ると、立ち上がって無言でロザリィを見下ろした。書庫の中の温度が一気に下がり、天窓からの光が急に陰ったように感じた。ロザリィを見下ろすエルザの身長がいつの間にか二倍にも大きくなり、顔の見えない巨大な影が覆いかぶさってきた。

「いい加減にしなさい、二人とも。あなたたちを喧嘩させるためにここに呼んだのではないのよ。」

 アストラエアの口調は柔らかかったが、得も言われぬ圧力があった。途端に書庫の中には温かい春の日差しが戻ってきた。

 エルザはいつも通りの冷静な表情のまま、椅子に座りなおした。 

「現場を見たエルザの所感をもとにするなら、渡り烏が人間をひどく憎んでいるというのは分かるわ。だとしたら…」

 アストラエアの深紅の瞳が私の方を向いた。

「どうやってその少年は生き残ったのかしら?」

 書庫内の視線が一斉に私に集まった。

「この少年も、発見した時にはすでにかなり傷つき、消耗していました。私の解呪と治療が遅ければ、この子もまた命を落としていたでしょう。」

 エルザは説明しながら、私に目を向けていた。その表情は「何も話すな」と言っているようだった。

 アストラエアは視線を私に投げたままさらに語調を柔らかくして私に話しかけてきた。

「坊や、あなたの名前は?」

 吸い込まれるような彼女の視線に私はつい口を開きかけたが、先にエルザが返答していた。

「この子の名前はラルフ・ラングレン。村の農夫の一人息子です。渡り烏に襲われた夜に、目の前で両親を殺されたそうです。」

「目の前で、ですって?だったらこの子も殺されていてもおかしくはなかったのではなくて?」

 癒しのマリアも私を観察するように目を向けてきた。

「渡り烏が彼の家に押し入ってきたとき、彼の母親が庇ってくれたそうです。母親の身体の陰になったこともあり、渡り烏はこの子を殺したと思い込んだのでしょう。」

 エルザの語る状況は私が自分で彼女に話したことだった。だが、エルザの説明を聞いていて、私はある違和感を感じていた。渡り烏は私を見落としたのではなく、見逃したのだと、何故かその考えが私の頭をもたげた。だが、何も話さないと約束している以上、私はエルザの説明に口を挟むつもりはなかった。なにより、その時の私には魔女たちの話し合いに割って入るほどの度胸も勇気もなかった。

 『白銀のフェルミ』は頬杖をついて私を見た。

「つまり、その子が生き残ったのはたまたま、ということかい?」

「それはどうかな。その子供は、もしかしたら私と同じかも知れないよ。」

 今まで一度も発言しなかった『竜狩りのエオウィン』が口を開いた。精悍な話し方とは裏腹に、少年のように活発な幼い光を帯びた目が印象的な魔女だった。

「呪詛の炎による傷を一晩耐えきってみせた。この少年は普通の人間とは違う強さを持っているのかもしれないね。」

 彼女は興味深そうに私を眺めていた。その視線に、私はなんとなく居心地の悪さを感じた。

「エルザ、もしよければ、その少年を私にゆずってくれない?少し調べたいことがあるし、その子にとっても、決して悪いようにはしないわよ。」

 エオウィンからの意外な言葉に、私は戸惑いを感じながらも、自分にはすでに帰る家が無いことを改めて認識した。エオウィンは見た目は闊達で優しそうな女性に見えたが、何故か、エルザの青い目を見た時ほどの安心感は得られなかった。

 私はうつむいて誰とも視線を合わせないようにしていたが、エルザが肩に手を乗せたのがわかった。

「この少年は今は私が預かっています。貴女にこの子を譲ることはできません。それに、傷が癒えたら、私はラルフを人里に返すつもりです。」

 私はエルザの顔を見上げた。彼女の視線はエオウィンに向けられていたが、その時、私はエルザの瞳が私の方を向いていなかったことにひどく孤独感を覚えた。

「人里に返す、ね。だけどエルザ、この子は魔女のことを知りすぎたんじゃないかしら?あまつさえ、始まって以来人間禁制だった、この集会にまで立ち入ってしまったんだもの。もうこの少年は人間の元に素直に戻すわけにはいかないと思うのだけれど。」

 一瞬、集会の空気が不穏なものになった。私は魔女に対して抱いていた、初期の想像を改めて思い出していた。

「この子の行く先は、この子自身が決めることです。ほかの誰かが決めることはできません。それに、今更この子が魔女の存在を外に漏らしたところで、一体誰が信じるというのですか。」

 それを聞いてエオウィンがわずかに目を細めた。集会の空気はさらに剣呑な雰囲気になりかけていたが、アストラエアが穏やかに手を打ち鳴らした。

「ちょっと、また議論が脱線してるわ。最初に私が言ったのは、誰かにエルザの仕事を手伝ってほしいということよ。誰か協力してくれる者はいるかしら。」

 アストラエアの呼びかけに、糸紡ぎのケリーが質問した。

「手伝う、と言っても、何をどうやって手伝うのですか?渡り烏の目的が分からなければ、やつが次にいつ、どこに現れるかも予想できないのでしょう?」

 アストラエアは考え事をするように少し首をかしげてから答えた。

「そうね、ここからは人海戦術でいくしかないわね。協力してくれる魔女は、ある程度の範囲の地域に分散して使い魔を放ってもらうわ。そうやって人が住む主要な村を監視しておいて、有事の際に手近な魔女に知らせる、というのはどうかしら。ここにいる何人かはすでにそういう仕事についてくれてるし、複数で監視網を広げれば、それなりの地域は抑えられると思うのだけれど。」

「だけど、その方法だと、私たち全員で監視網を敷いたとしても、それで網羅できる範囲は、せいぜい王都周辺の主要な村に限られるでしょうね。範囲を広げたとしても、たぶん、渡り烏が住民を虐殺し終えるまでには、現場への急行は難しいかも知れないし。」

 清流のレインは顎に手をあてて宙を眺めながら呟いた。

 深い森のエルマは出席者を眺めまわしてアストラエアの意見に賛同した。

「それでも、なにもしないよりはましよ。もしかしたら、渡り烏の出現場所によっては、複数の魔女で包囲できる可能性もあるわけだしね。私はエルザに協力するわ。」

 そういって、エルザに向けて片目をつぶってみせた。エルザは感謝するように頷いた。その後は、少しづつながら、エルザへの協力者は増えていき、最終的には全員の協力を取り付けることができた。

「ありがとう皆。エルザは過去の襲撃の記録を洗いなおして、もう一度共通点を探ってみてくれないかしら。直感だけど、やっぱり渡り烏は何かしらの意図をもって村を襲っていると、私はそう感じるの。」

 そう言うと、アストラエアは席を立った。

 「今までに何度も言ってきたことだけど、私たち魔女という存在は、根源的には人間のために存在するものよ。皆抱えている思いは色々とあるだろうけれど、今回は渡り烏の凶行を何としても阻止しましょう。改めて、皆の力を貸して頂戴。」

 アストラエアの言葉に、ほかの九人の魔女全員が一斉に立ち上がり、丁寧にお辞儀した。

 ほかの魔女達が、書庫から引き揚げていく中で、アストラエアが滑るように私とエルザに近づいてきた。

「家に帰る前に、私の部屋に寄ってくれるかしら?この少年も一緒にね。」

 エルザにそう耳打ちすると、アストラエアは私に微笑みかけて書庫の出口へと向かっていった。

 他の魔女が全員退出したのを見届けると、エルザは私を見下ろして言った。

「他の魔女に何かされなかったか?」

 私は何を聞かれているのかわからなった。

 エルザは膝を落とすと、私の目を食い入るようにのぞきこんできた。さらに私の全身をくまなく触診すると、安心したように頷いた。

「呪いの類はかけられていないようだな。安心しろ、坊や。」

 立ち上がってそう言うと、エルザはクシャクシャと私の頭を撫でた。

「なんで、呪いの心配なんかするんですか?」

 私は久々に口を開くことができた。

「もし集会の参加者の中に『渡り烏』がいれば、お前は口封じのために殺されていたかもしれない。そう思っただけだ。」

 エルザは被った帽子を整えながら、事も無げに恐ろしいことを言った。

「お前に『何も話すな』と言ったのもそのためだ。お前が渡り烏の正体について余計なことを感づいているとほかの魔女に知られたくなかった。まあ、結局は今日の出席者の中に渡り烏がいるとは考えにくいがな。」

 つまり、エルザは私を口留めすることで身を守ってくれていたらしい。だが、その事実よりも、私は先ほどの集会でのエルザの発言が気になっていた。

「エルザさんは、僕を返してくれるんですか。人のいるところへ。」

 エルザは私の質問には答えずに私の手を取ると、書庫の出口へと足を向けた。

「アストラエアが私たちをお呼びだ。家に帰る前に何か小言を聞かされるかもな。」


 

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