第3章 遠雷②


「まず一つ目に、私のことは師匠(せんせい)と呼べ。」

 エルザの剣舞を真似た日の昼食後、エルザ、いやエルザ師匠は食卓を挟んで座る私に、弟子としての心得を話し始めた。

「人に教えを乞うときはまずは礼節からだ。私は師として、弟子であるお前に真剣に向き合う。お前も弟子として、師である私への礼儀を常に忘れるな。」

 私は大きく頷いた。

「二つ目に、人の一生は短いということを常に念頭に置け。無駄に使っている時間など有りはしない。渡り烏を打倒するだけの戦士になりたいのならば、一日のすべての時間を学びのために使うことだ。」

 私は先ほどと同様に首を大きく縦に振った。

「三つ目に、お前には私の『完全なる従僕』となってもらう。私に教えを仰ぐのであれば、私の指示や考え方には完全服従であることを誓ってもらうぞ。」

 三つ目の心得にはどうにも不穏な響きがあった。私の顔に恐怖の色を見てとったのか、エルザは一つ小さな咳ばらいをして補足した。

「…完全なる従僕とは、すなわち、自分の考えで動くのではなく、すべて、師である私の教えに従えということだ。わからないことがあれば聞け、迷うことがあれば私に決断を委ねろ。この家にいる以上、お前の生き方は全て私が規定するということだ。」

 私はあいまいに頷いた。

「四つ目に、」

 四つ目は重要なことらしく、エルザは語気を強めた。

「働かざる者食うべからず、だ。この家の家計は私の収入で成り立っている。お前を養うだけの食い扶持を稼ぐために、最低限の労働はしてもらうぞ。」

 幼い私にとって、労働と対価の重要性は理解できてはいなかったが、この言いつけは最もだと感じた。

「そして最後に5つ目として…」

 どのような重要な言いつけがくるのか、弟子としての覚悟とやる気を示すため、私は身体を前に乗り出した。

「私から指示を受けたときは必ずはっきりと返事をしろ。お互いの意思疎通として、やり取りを曖昧なまま終わらせることは許さない。」

 私はそれまでと同じく大きく首を縦に動かした。

 エルザは微かに鼻から息を吐き、目を細めた。

 私はいきなり師匠を怒らせたことに恐怖を覚え、すぐさま大きな声を上げた。

「はい!エルザ師匠!」

 細かい言いつけから入るあたり、エルザは律儀で真面目な性格だった。長い時間を過ごすうちに、それはエルザのもつ、人想いで世話焼きな側面からくるものだと理解したが、このころの私にとっては、融通が利かない、口うるさい性格だとしか映らなかった。もっとも、その感想を本人の前で述べたことは一度も無かったが。

 時間を無駄にするなと息巻いたエルザだったが、師弟関係になったその日以降、少なくとも5日間は、私の傷が癒えるまでは特に厳しいことは私に要求しなかった。今思えば、その5日間がエルザと過ごした日々の中で最も平和なものだったのかもしれない。

 そのころの彼女の日常と言えば、私の覚えている限りはとても落ち着いたものだった。

 エルザの日課としては、朝、鳥の鳴き声と共に起床すると、着替えを済ませ、井戸の水で顔を洗い、簡単に身支度を整える(といっても、普段は化粧なども特にせず、髪を結うだけだった)。次に、愛馬であるアンナの厩舎に足を運ぶと、じっくり時間をかけて毛並みを整え、飲み水を替えてやる。次に鶏小屋に寄り、鶏に餌をやる。それが終わると、裏庭に回り、そこで剣舞を舞って体を動かす。朝の行事を済ませると、裏庭の野菜畑で実が成っているものを収穫し、家の中に戻る途中で鶏小屋から新鮮な卵を回収する。毎朝ではなかったが、朝食には新鮮な食材が並び、私の朝の楽しみの一つなっていた。朝食を終え、洗い物を済ませると、井戸から汲んだ水で衣服を洗濯し、物干し竿にかける。次にアンナを厩舎から出し、家の近くの丘を愛馬と共に駆ける。アンナの体が温まる程度まで運動させてやったあと、家に戻り、餌をやる。その後は一息入れるために、お茶を飲みながら読書にいそしむ(大概は学術書だった)。そうして、お昼時になると、昼食を用意する。季節も天気も良い日には、家の前の草地に置いてある倒木の上に座って食べることもしばしばあった。昼食後は軽い仮眠をとった後、本が詰まった書庫の奥の机で、書き物をしたり、調べ物をしていることが多かった。途中、エルザが自信作と言っていた焼き菓子をかじりながら、お茶休憩をはさみつつ、日が傾き始めた頃合いで洗濯物を取り込む。次に、厩舎とは家を挟んで反対側にある小さな小屋の中で窯風呂を焚き、湯浴みをする。汗を流した後に夕食の準備に取り掛かり、持ち前の手際の良さで、食事と洗い物をすませると、そのあとは就寝するまで、書庫の奥の机で書き物をするか、お茶を飲みながら年季の入ったソファの上で読書をしていた。

 日がな、じっとしているのが苦手だった私は、傷が多少痛むことは気にせずに、エルザの日課について回ることにした。その過程で、私はアンナの毛並みへの櫛の入れ方や、収穫できる野菜の見極め方を教わった。彼女の剣舞を真似て以来、私も師匠と同じ朝の日課にしようとしたが、さすがに傷の治りが遅くなるという理由で止められた。エルザが食事の準備をする間、私は食卓の上を拭き、食器の配膳を請け負った。私の衣服は拾われた時の一張羅しかなかったが、すぐにエルザが普段着を作ってくれた。エルザは裁縫も得意としていたが、彼女自身が身に着けていたものと言えば、魔女としての旅装以外は、田舎娘が着ているような地味なドレスか、シャツと丈の短いズボンだけだった。エルザが読書している間は、私も書庫の中から比較的絵の多そうな本をひっぱりだしては眺めることにしていた。火傷の傷が癒えるまで、そのような単調な時間が過ぎていった。

「傷跡は残るが、もう直ったと言っていいだろう。よく頑張ったな。」

 魔女集会から6日目の朝、包帯を取ったあとを眺めながら、エルザは私の頭をクシャクシャと撫でた。包帯が取れたことで、私はせいせいした思いで体を動かした。全身には紙を引き裂いたような火傷の跡が残っていたが、痛むことはなかった。

「まずは体を拭け。今日から本格的にお前の指導を始めるぞ。」

そう言うと、エルザは朝の日課へと向かっていった。私は井戸から汲んだ水で体を拭きながら、師匠からの最初の教えがどのようなものになるのか、期待に胸を膨らませた。やはり、最初は何を置いても剣の使い方だろうか。根拠があるわけではなかったが、エルザのように剣を扱えれば、あの恐ろしい渡り烏相手にも十分に戦える気がしていた。私にとってエルザから学ぶことは、渡り烏との闘い方以外には何もないと思っていた。その期待はまもなく裏切られることになるのだが、私はエルザから任された、アンナの毛並みの手入れと、野菜の収穫という仕事へ意気揚々と向かっていった。

「まずはこれだ。」

 朝食を片付けた後の食卓に、エルザは一冊の冊子を置いた。

「お前にはまず、読み書きを教える。」

そういうと、エルザは冊子を開いて私に見せた。それはエルザ師匠お手製の読み書き練習帳だった。一文字一文字がかっちりとした書体で綴られ、お手本としての文字はとても美しかった。だが、戦闘訓練を受けられると思い込んでいた私は膨らんでいた期待が一気に萎んでいくのを感じた。

「渡り烏との戦い方を教えてくれるんじゃないのですか?」

 私は露骨に不満の声を上げた。

 エルザは眉一つ動かさずに、私の額を軽く小突いた。

「文字も読めない、文章も書けない、自分から学ぶこともできない…そんな人間には魔女を殺すことなどできない。お前はまず本を読める人間になるべきだ。」

 私は額を抑えながら、冊子の中身をのぞき込んだ。一頁ごとにエルザのお手本が一文字ずつ描かれているほかは、そのほとんどが横線の引かれた空欄になっていた。つまり、文字を書き込める空間は十分以上にあった。

「これから朝食後は勉強の時間にあてる。わかったな。」

 私はわざと不貞腐れた表情で頷いた。

「返事は?」

 氷のように冷たいエルザの声に、私はすぐに姿勢を正した。

「わかりました!エルザ師匠!」

 それから午前中はみっちりと文字の読み方と書き取りの時間になった。ページを繰るごとに、エルザが文字を読み上げる、私が繰り返す。エルザが文字の書き順を教える、私が真似をする。ある程度覚えたら、声に出して読みながら、ひたすら頁の空欄に文字を書き続ける。その繰り返しだった。村ではまだ学校に通っていなかったこともあり、私にはまず机に向かって勉強をするという習慣が無かった。そのため、私の集中力はそれほど続かず、次第に文字の書き取りは雑になっていった。正直なところ、渡り烏に復讐を果たすために魔女の弟子になることを誓ったのだから、教えてもらうのは戦い方だけでよかったのだという不満を込めていたのもあった。だが、エルザはそのような弟子の不敬を許しはしなかった。

「文字の形が乱れているぞ。時間をかけるのは構わないから、まずはきっちりと、丁寧にお手本をまねることを心掛けろ。」

 決して厳しい言い方ではなかったが、エルザの声の震え方には少なからず怒気が含まれている気がした。

 私はすぐに心の内で反省すると、散漫になっていた集中力を呼び戻そうと心掛けた。だが、3文字も書かないうちに、また線は歪み、一文字ずつの間隔が広がりだした。

 エルザは筆を握る私の手を取ると、先ほどよりも固い声を私に投げつけた。

「私はお手本を真似ろと言ったのだ。何事も覚えて間もないことを自己流で繰り返すものではない。」

 私はエルザの目を見返しながら、緊張で体を強張らせた。私はすぐに練習帳に目を戻すと、再度集中力をかき集めることに注力した。

 太陽の位置がすっかり高くなったところで、エルザは昼食を作るために厨房へと向かった。慣れない筆を握る手にはかなりの力がこもっていたのか、私の指先は疲労で震えていた。

 昼食後、家の軒先に出るように言われた私は、エルザから1本の手斧を渡された。ずっしりと重量のある手斧を両の手に持ったまま、私はエルザを見上げた。

「薪割をやったことはあるか?」

 エルザからの質問に私は首を横に振った、がすぐに返事を付け足した。

「ありません。エルザ師匠。」

「そうか、ではまず私がやってみせるからよく見ておけ。」

 そういうと、私の手から手斧を取って、薪割を実演してみせた。

 薪に斧の刃を突き立て、切り株にこんこんと薪を叩きつけると、木目に沿って薪が裂けていった。

「やってみろ。」

 私はエルザから再度手斧を受け取ると、見様見真似で薪に刃を突き立てた。そこから斧を持ち上げたが、刃の差し込み方が甘かったのか、薪がポロリと抜け落ちた。私は何度も強く突き立てようと努力したが、結局エルザのようにうまくはいかなかった。4度目の挑戦の時、エルザが背中から覆いかぶさってきた。

「最初に刃を突き立てる時は、柄の下の方を持つんだ…そう…反対側の手で薪をしっかりと支えて、そうだ、しっかりと持て。力を入れすぎだ、一端緩めろ。…そう、あとは刃の重さを利用して円をえがくように斧をふれ。」

エルザは背中の方から私の両手をとって、丁寧に斧の打ち込み方を教えてくれた。結ったエルザの髪が私の顔の横に垂れ、微かに甘い香りがした気がした。

斧の刃はしっかりと薪に差し込まれ、木を打つ小気味良い音が響いた。

「綺麗に割れたな。あとは自分でやってみろ。」

そういうと、エルザは私の背中から身体を離した。

「明日の分まで割ったら終わっていい。そうだな、20本といったところか。」

そう言い残すと、エルザは家の中へ戻っていった。

私は薪の山へ目を移し、わずかに嘆息した。

 薪割りを終えて家のなかに戻ると、エルザは食卓に座って書き物をしていた。

エルザはかけていた眼鏡をわずかにずらして私の方を見た。

「私が指示した数の薪割りは終わったか?」

「はい、エルザ師匠」

「いいだろう、これからは薪割りはお前の仕事だ。次のお前の仕事はそれだ。」

 そういうと、エルザは部屋の隅を指した。そこには雑巾が垂れ下がった小さな桶があった。

「床掃除をしろ。寝室、茶の間、厨房、書庫全てだ。終わったら報告に来い。」

私は黙ったままエルザを見返したが、彼女の興味はすでに書き物へと戻っていた。

私は小さな桶を持ち上げると、水をくむために井戸の方へと向かった。薪割のときに掌にできた豆の痛みに、私は思わず顔をしかめた。

 床掃除が終わった時にはすでに日が傾き始めていた。エルザから床掃除完了の合格をもらうまで、私は五度ほどやり直しを命じられた。

 私は不貞腐れながらも、エルザからの冷たい視線に耐えながら家中の床という床すべてをふきあげた。

 休む間もなく、エルザから言い渡されたその日最後の仕事は風呂釜の掃除だった。家の外に建てられた小屋の中で一人、小さなたわしを手に風呂窯の中をこすりながら、私は死んだ両親のことを思い出していた。農家の仕事は重労働であり、父も母も毎日朝から農作業に出て働いていた。私は母親から家事の手伝いを命じられることもしばしばあり(毎度逃亡しかけては捕まることが多かった)、エルザから命じられる労働に関しては多少の苦を感じながらも、耐えていけるとその時は思っていた。

 炎を扱うのはまだ危険だということで、食事の支度と暖炉の火入れ、風呂の湯沸かしは変わらずエルザの仕事だった。エルザは炎の魔法を得意とするという割には、日常生活の中で魔法を使うことはなかった。夕闇の気配が忍び寄る中、私はエルザの後ろに立って、風呂釜の下で火入れをする彼女をじっと眺めていた。

 湯が沸き上がるまでの間、私は茶の間のソファに身を沈めながら休息していた。厨房からはエルザが夕食の支度をする音が聞こえるだけだった。私は疲れた頭で、今日一日の労働で掌にできた豆の数を数えながらエルザのことを考えていた。先ほど風呂のかまどの前でしゃがみこみ、背中を丸めて木筒で炎に息を吹きかける彼女の姿を見ていると、魔女といえど普通の人間となんら変わらないものだとぼんやり考えていた。

「そろそろ湯も沸いた頃だろう。今日の働きの褒美として、先に使ってかまわんぞ。」

厨房の入り口から顔だけのぞかせながら、エルザが声をかけてきた。

「はい、エルザ師匠」

 疲れてはいたが、その返事とともに、私の体は反射的に動き出すようになっていた。

 夕食を終え、食器の片づけが済むと、食後のお茶で一息入れるのがこの家での習慣だった。彼女は書物に視線を落としながら、時折お茶請け代わりの干しブドウを口に運んでいた。私はというと、一日の疲れが瞼にぶら下がり、今にも意識が無くなりそうだった。

 エルザの家には余分な寝室はなかったため、書庫の奥にエルザがしつらえられた簡易のベッドが私の寝床だった。書庫の入り口へと向かいかけた私の背中にエルザが声をかけてきた。

「今夜はもう休むのか。」

 私は振り向きながら、また仕事が振られるものと思い、内心身を固くした。

「…はい、エルザ師匠」

 エルザはかけていた眼鏡を外すと、伸びをして立ち上がった。

「疲れているところを悪いが、寝る前に今夜は私の仕事に付き合ってもらうぞ。」

 そういうと、エルザは書庫の奥にある作業机へと私を誘った。

 そこには、私が初めて書庫に立ち入ったときに見た、美しいガラス細工の球体が置かれていた。

「このガラス細工の模型は『天球儀』と呼ばれるものだ。私たちが『宇宙』と呼ぶ空間に浮かぶ星々の位置を立体的な地図として表したものだ。」

「つい10年ほど前までは学者たちの間ですら、私たちが立つこの大地こそが宇宙の中心にある星だと考えられていた。しかし、その後の研究で、実際には私たち生命を育んだ大いなる天体『太陽』こそが宇宙の中心だということが判明したのだ。」

 エルザの細く、美しい指が天球儀をはじいた。美しい球体が回転し、二重のガラス細工の中心に埋め込まれた、金色の金属板がランプの灯を鈍く反射させていた。

 その時の私にはエルザの言っていることの大半が理解できなかったが、彼女が途方もなく大きな「世界」の構造について語っていることは漠然と感じた。

私は初めてそれを見た時と同じ関心を持って、天球儀の表面を眺めた。

 エルザは天球儀の表面を指で軽くなぞり、ある1点で止めた。そこには4個の星が凹みとなって刻まれ、線で結ばれた模様を形作っていた。

「今夜は南の空に燕座が現れる。この天体群を観測したいのだが、手伝ってくれるか。」

 私はエルザの顔を見上げ、即座に返事をした。

「はい!エルザ師匠!」

 エルザは目を細めて頷くと、紙と木炭筆、そして机の脇に置いてある大型の木箱を手に持った。

 私たちは家の軒先に出ると、夜の闇の中でランプの灯を頼りにエルザが持ち出した天体観測用の機材を組み立て始めた。完成した機材は一言で言うと奇異な形をしていた。三本の脚に支えられた金属製の筒は、その片方の穴が美しく磨きあげられたガラスで蓋をされていた。筒の中央部に張り出した部品にも小さなガラス板がはめ込まれており、そこを片目で覗きながら、エルザはあちこちについた回転式のつまみをいじりまわしていた。一通り、調整が終わったのか、エルザは満足げに頷いた。

「いいだろう。これから観測を開始するが、お前には私が今から読み上げる結果を記録してもらう。」

 そういうと、エルザは表を書き込んだ紙を張り付けた板版と、木炭筆を私に手渡した。エルザは手元のランプの灯だけを残して、家中の灯をすべて消して回った。漆黒の暗闇の中で、私は目が慣れるのじっとこらえていたが、やがて両肩に温かい感触を感じ、エルザが私の両肩を抱いているのがわかった。

「頭上を見上げてみろ。」

私の顔のすぐそばでエルザの囁き声がした。

 頭上と思しき空間を見上げると、私の視界いっぱいに光の運河が広がっていた。光点の集合で構成された乳白色の線は、黒よりも青に近い色の空を横断し、地平の山の端にかかっていた。

「今夜は空気が澄んでいるな。絶好の観測日和だ。」

 普段は感情を抑えたエルザの声音が、このときは弾んでいるように聞こえた。

 エルザは観測用機材『天体遠眼鏡』をのぞき込みながら、観測結果を読み上げ始めた。

 私は頭の上からすっぽりと厚手の布をかぶせられ、その中でランプの灯を頼りに、エルザの読み上げる数字の数だけ、棒線を観測結果表に記入していった。これらの棒線が何を表すかは分からなかったが、エルザにとっては重要な情報のようだった。

 ひととおり天体観測を終えると、エルザは私に天体遠眼鏡をのぞかせてくれた。そこには星の姿が、肉眼で見るよりもはるかに鮮明に映し出されていた。

 星の大きさによっては、天体の表面の色や縞模様までもが見て取れた。私は興奮に胸を高鳴らせながら、遠眼鏡の中の世界にのめりこんだ。

 初めのうちは遠眼鏡を操作しながら次々と星を見せてくれたエルザだったが、いつまでも遠眼鏡にかじりつく私に耐えかねたのか、観測の終了を告げた。

「もっと見せてください!」

 私は露骨に不満の声を上げてせがんだが、エルザからワシャワシャと髪を撫でつけられながら頭を押さえられた。

「今夜はここまでだ。いい加減、子供は寝る時間だぞ。」

 エルザはさっさと観測機材を片付けてしまうと、私の手を引いて家の中に引き上げた。

 夜気で冷えた体を淹れたてのお茶で温めながら、私はエルザを質問攻めにした。なぜ、星は光るのか。そもそも私たちが住む地球とは、星とはなんなのか。なぜ星によって大きさや光り方が違うのか。ほかの星にも私たちのような住人はいるのか、など、おおよそ子供の想像力が許す限りの事象について、エルザは私に理解できる範囲の言葉を選びながら丁寧に答えてくれた。

 エルザに無理矢理寝床に押し込まれながらも、私は枕元に座るエルザを見上げながら、先ほどの天体観測で見たものの感想を口にし続けた。最後はエルザの寝かしつけ魔法(なぜかエルザの掌で額を覆われると、私はすぐに眠りに落ちた)で意識が落ちたが、私にとっての魔女の弟子入門1日目は、渡り烏に対する復讐心を育てるよりも、自分が今立っている『世界』に対する好奇心を芽生えさせるものとなった。

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