第7話 涙

 何事もなかったかのように、沙羅と美希は、翌日、ベンチでいっしょに過ごした。


「美希は勉強できてすごいね。私は算数とか全然わからない」

「別にすごくないよ」

「学年トップなんだから、充分すごいとおもうけど」

「だから、全然すごくないって! ただ、ガリ勉してるだけだよ」

「でも、好きでしてるんじゃ?」

「私は、しなきゃいけないの」


 美希が涙ぐんで言った。

「この学校って、本当は私なんかが来れるところじゃないんだよ。でも、特待生だから通えてるの。もともとは、お嬢様学校だったんだけど、最近はそれだけだと生徒が集まらないから、学費全額免除で成績の良い生徒を何人か集めて、有名大学の合格実績作ってる。私はその一人。もし、成績下がったり素行に不良があったら、退学にしていなかったことにする」

「そうなんだ」

「授業自体は周りの生徒に合わせたレベルになってるから、授業だけじゃ足りないけど、予備校行く余裕もないから、休み時間に勉強するしかない。家じゃ出来ないから」

「なんで?」

「別に……」

 昨日のことと関係がありそうだが、沙羅は聞くのをやめた。誰にだって言いたくないこと、言えないことはある。それは沙羅が一番良くわかっている。


「ガリ勉なんてかっこ悪いよね。クラスのみんなが避けるのも当然だよ。私だって、立場が逆だったら、避けてるよ」

「かっこ悪くなんかない。自分が今いる状況の中で、できることをやるのは当たり前。他の人がどう思っても」

 他の人が言ったらくさくなるようなセリフでも、沙羅が言うと、日々かわされる世間話のように自然に聞こえる。

「沙羅はすごいね。私はそこまで自分に自信が持てない」

美希は、自分を恥じるようにそう言った。


「昨日、私を見たでしょう?」

美希が、避けていた話題を持ち出した。


「最低だって思っているでしょう?」

「別に」

「お金が必要だから、稼いでいるの。他に方法がないから、仕方なく」

「そう」


 美希が、興奮してつっかかるような口調でいった。

「あなたにはわからないかもしれないけど、本当に、本当に、どうしようもないことってあるんだ。今の私にできることは、他にないから」

「わかるよ」

「わかるわけない!」


 美希が、つぶやく。

「お金を持っている人がうらやましい」

「お金を持ってるからって幸せとは限らないよ」

「そんなのお金を持ってる人のセリフだよ」


 沙羅がなぐさめるように言う。

「美希は家族は? お金がなくても、例えば家族がいれば幸せなんじゃない」


「家族なんかいないほうがいいよ。負担になるだけだよ」

そう美希が答えると、沙羅は一瞬黙り込んだ。


「そう。でも、私は一人ぼっちだから」

沙羅が小さな声で言った。


「えっ? ご両親は?」

「二人とも死んだ。正確には私が殺した」

「どういうこと? 何言ってるの?」


 沙羅は遠くを見つめながら、独り言をつぶやくように、自分の生い立ちを語った。


 中東で生まれたこと。

 治安が悪化し、日本に脱出しようとした前日に、武装集団に襲われたこと。

 生き延びるために、父親を撃ったこと。


「そんな、ひどい」

沙羅が語り終え、二人の間になんともいえない静けさが横たわった時、美希が沈黙をやぶるようにつぶやいた。


「今まで他人に話したこと無かったけど、なぜか、美希には話したくなった。生きるためには、何だってやるしかなかった。家族を殺してでも生きるしかなかった。選択肢なんかなかった。だから、美希がそれしか方法がないって言うなら、そうなんだと思う」


 美希の目に涙があふれた。


「なんで泣いているの?」

「なんでって、悲しいからだよ。沙羅だって悲しい時は、泣くでしょ」


「泣いたら、殺されてた」

沙羅は空を見つめて言った。


 美希が沙羅に言う。

「泣いていいんだよ」


 沙羅が答える。

「泣かないようにしてたから、泣き方なんか忘れた」


 美希が言う。

「私を見て。私は今泣いているけど、誰にも殺されない。この国では自由に泣いていいんだよ」


 美希の言葉に沙羅が頷く。

 そして、沙羅の目に涙が溜まった。


 美希が沙羅を抱きしめて言った。

「今まで泣けなかった分、大声で泣いていい。ここには私しかいないから」


 沙羅の目から涙が落ちた。

 沙羅は泣き方を思い出した。

 そして、美希の胸の中で、号泣した。

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