さらば故郷

第1話 沙羅

 中東の乾いた風が吹く中を、二人の少女が歩いている。一人はアラブ系で浅黒く目鼻立ちがはっきりした少女で、もう一人は、一見、少年かと思わせる顔立ちの東洋人の少女だ。


「サラは英語の成績が良くていいね」

アラブ系の少女が言うと、

「アイシャみたいに算数ができる子のほうが頭いいって。私は、家でお父さんとお母さんが喋ってるのを聞いているだけだから」

と東洋人の少女が答える。


「そうなの?」

「そう。お父さんとお母さんは英語でしゃべって、お母さんと私が話す時は日本語で、お父さんと私が話す時はアラビア語だから、もうわけわからない」

サラが、困ったようでいながらも、少し自慢げな口調で言った。


「なんか、すごいね」

「お父さんもお母さんも、将来は日本と中東の架け橋となれとか、勝手なこと言ってるから困る。私はアイドルになりたいのに」

「アイドルか。日本はいいね。この国じゃ、女の子がかわいい衣装で自由に踊ったり無理だからね」

アイシャが残念そうに言う。


「今は無理でも。そのうち変わるよ」

「そうなるといいね」

サラの明るい声とは対象的に、アイシャは小さくつぶやいた。そんな時代など決して来ないと知っているように。



「おかえり、学校はどうだった」

家に帰った沙羅に、母親の美由紀が笑って尋ねた。


「英語以外は全然駄目。歴史なんか、入り組んでてさっぱりわからない」

「そんなんじゃ困るわね。将来、この国と世界とを結ぶ架け橋になれないわよ」

美由紀の口癖がでる。


「だから、そんな重い期待背負わされても困るって。私はアイドルになるの」

「そっちのほうが難しいでしょうが」

沙羅の毎度のセリフに、美由紀が呆れたように言う。


「中東育ちの日本人でアラビア語喋れるってのが売りになるの。他の人と違っているところがあればキャラ立ちするでしょ」

「そんなに甘いもんじゃないと思うけど。それにこの国じゃ正直難しいしね」


 そう、美由紀がちょっと突き放したように言うと、

「お母さんまで、そういうこと言う。それを変えるために、この国に来たんでしょ!」

と、沙羅がすねたように言った。


「そうね。でも、社会を変えるってのはそう簡単じゃないの」

「だったら、私は一人で日本に行ってアイドルになる」

「だから、そんなに甘くないって」


 家での親子の会話は、いつも同じだ。沙羅自身は見知らぬ祖国よりも、生まれ育った中東の地に愛着があるが、この国での女性の不自由さには辟易する。



 美由紀は15年前に、日本から、この地へと青年海外協力隊の一員としてやってきた。社会制度もインフラも未熟、女性の地位も今よりもさらに低く、美由紀の友人や家族の誰もが、何を好き好んでそんな場所に行くのかと呆れていたが、島国の日本にはない無限に広がる大地の素晴らしさは、美由紀の心をわしづかみにした。


 もしかしたら、前世は中東の遊牧民だったのではあるまいか、と思えるほど、この地に一歩踏み入れた瞬間から、この場所以外に住むことなど考えられなくなった。


 そして、現地でユスフと出会った。家父長制の残るこの国で、ユスフは珍しく進歩的な考え方を持つ若き政治家だった。この国の発展のために働く美由紀と互いに惹かれ合う関係となり、結婚し沙羅を授かったのだった。


 日本で普通に結婚していたら、沙羅もアイドルを夢見る普通の日本人の少女として育ったのだろう。沙羅の複雑な人生は、自分のわがままの結果だ。それでも、沙羅には、この無限に広がる大地に育った者ならではの雄大な人間となって欲しい、国などという狭い枠組みにとらわれない、世界の架け橋となって欲しい、そう、美由紀は思うのだった。



 この地に人が住みはじめ数千年。平和と戦乱が交互に訪れた。

 

 家族が3人となってから10数年。

 今までは、かろうじて平和が保たれた。

 今までは……。


 

「サラを連れて日本に戻ってくれないか」

ある晩、ユスフが真剣な顔をして美由紀に言った。

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