第14話

 ーー私と、付き合ってくれませんか?



「僕はーー」



 間切の告白を受けて、僕が返事をしようとした、その瞬間のことだった。


 バキリ、バキリ、と。


 木々が倒れる不快な音が周囲に響き渡ると同時、鼻がねじ曲がりそうになるほどの腐乱臭が広がった。


 音は、臭いは、大きく、濃く、なって逝く。


「っ……! 先輩、下がってっ!」



 間切が僕を庇うように、背中に隠す。その間切の視線の先にいた……いや、在ったのは、巨大な玉虫色の、半透明な蠢く壁。


 それが目に入った瞬間、吐き気を催すほどの醜悪さに、全身の毛穴からぶわりと汗が噴き出した。


 死の集合体。


 細い木々はその質量に押しつぶされ、飲み込まれた数十という太い木々がグズグズに、液体のように溶けていく様子が、外側からようく見て取ることができた。


 所々に見える白いモノが鳥の骨だと気づいたのは、幸か不幸か。見なければよかったと思うか、それが自身の未来に起こりうる光景だと分かったことに喜ぶか。


 ーースライム。その単語が、僕の脳内に浮かび上がる。しかし、これではまるで、動く硫酸の海のようだ。人間が飲み込まれれば、確実に死ぬ。そう確信させる悍ましさが、それにはあった。



「な、なんだあれ……っ!」



「わかりません……ですが、粘性魔物、スライムの一種のようです。それに、魔力の量も質も、尋常じゃない。それこそ、魔王幹部と名乗ったもののそれよりも……っ」



 途中、大太鼓ほどの触手へと変形したスライムの一部が、こちらへと猛スピードで迫るのが見えた。



「先輩っ!」



 間切もそれを認識したようで、僕の腕を引きながら、後方へと跳躍するが、僕はその拍子に転倒してしまう。


 次の瞬間、僕たちのいた場所から、何かが入水する時のような、どぷりという音。林の中で聞こえるはずのない音に視線を向けると、降り注いだ液体が、地面に大きな穴を作りだしていた。力で押しつぶしたというよりも、瞬時に地面が溶かされたようで、地面から腐乱臭が勢いよく吹き出している。



「ぐッ……」



 同時、肩に走る鈍痛。かなりの勢いだったために、僕の肩は稼働限界を超えた動きをしたらしい。

 僕は半ば反射的にそれを治療しながら、崩れた体制を整えた。



「すみません、気遣う余裕がありませんでした」



「いや、いいよ。むしろ、助けてくれてありがとう……間切はいつもあんなのと……?」



「いえ……今回のは桁が違います。恐らくは、あれが」


 ーー魔王。


 間切がその名称を口に出すと、タイミング話合わせたかのように、周囲に野太い声のような、うめき声のようなナニカが聞こえ始めた。



『%1|73×1×7÷>☆61÷○81#4#8☆#○88』



「……今、やつが喋っています。先輩にもわかるように魔法をかけておきます」


『e>%☆×318☆#€○€€4$$*〒:☆#ーーな、後継者。ようやく我もこちらへ来れたわ』


 間切が僕に手をかざすと、そのうめき声は、たしかに意味を持つ言語だと理解できるようになる。


 すると、その声がどこから聞こえてくるかも理解でき……それは、スライムの一部の穴と思わしき部分から発せられたものらしい。



「喋れる個体は、魔王幹部を名乗っていたやつ以来ですね……」



「それって、僕と出会ったあの日に間切が言っていた?」



「はい。あの日以来です」

 


 間切は視線をスライムから外さずに答える。その横顔は、この場の緊張を代弁しているようで、一筋の冷や汗がたらりと垂れた。


 僕は会話が通じるのなら和解も可能かもしれない。このスライム……魔王にそれが実現しうるのかと言われれば、冷静に考えて、望みは極めて少ないと感じざるを得ないだろう。


 しかし、わずかながらの可能性があるかもしれない。そう考えてしまうのは、生物的な本能から、それ以外の生きる道はないと悟ってしまっているからだろうか。

 僕の口は驚くほど軽く、開く。



「なんで、間切を、魔法少女を狙うっ!?」



『なんだ貴様は……この世界の原生種か……? ふむ、なかなかに面白い力を感じるな』



「いいから質問に答えろっ」



『答える必要を感じないな……だが、今の我は気分がいい。その返答を持って、虫けらに対する慈悲としよう』



「っ…………」



 虫けら。この怪物のとっては、確かに僕たちは虫けらなのだろう。そしてその言葉は、同時に、和解が不可能であることを示している。


 和解は対等な存在であるからこそ、成り立ちうる。

 そして、虫を対等だと考える人間がまずいないのと同様に。

 このスライムもまた、僕たち人間を対等とは考えない。


 ならば、どうする。


 逃げるーーおそらく不可能。


 倒すーー無理だろう。


 諦めるーーありえない。


 ならばーー死ぬ?


 死。いつか、僕が自分から望んだその状態は、しかし今、現実となりうる状況にある。仮に僕があのスライムに取り込まれたとしたら……、肉が一瞬で溶け、あの、鳥の死骸と同じ末路となるだろう。


 だが、どうする。間切に戦ってもらう。その選択肢はあるだろう。だがしかし、間切の反応からして、そもそも間切に倒せる相手なのか?



『魔法使い、いや、賢者の後継者よ。貴様は生きているだけで脅威。誰でも、自らを殺しうる存在は煩わしく思うものだ。そうだろう、人間』



「それなら、あなたは私の脅威ってことになる」



『最もだ。であれば、そこにあるはーー生存競争、それただ一つよ」



 ……こいつの狙いは、おそらく、間切。僕は逃げれば、助かるかもしれない。でも、助からないかもしれない。


 そう考えたところで、僕は思考をシャットアウト。自分だけ逃げる? それこそーーありえない。


 一度助けたのなら、助けぬく。最後まで、助けきる。それが、僕の決心で、人生だと、間切と出会ったなかで出した結論だ。


 であれば。僕も間切と一緒に、



「……先輩、言葉がわかるといって、話の通じる相手ではありません。ここは私に任せて、逃げてください」



 ぼそりと間切が言った。


 あまりにも自信がなく。覇気もなく。


 しかし、その言葉は、自己犠牲に満ち溢れていた。


 その微笑みは、僕への愛で、あふれていた。


 けれど。その言葉に、信頼はなかった。



「……ふざけるな」



 思わずといった感じだった。思わず、声が漏れた感じだと。頭の中の冷静な部分が、僕をそう、評価する。


 客観視。


 仮に今、僕が冷静になれている部分が、自分自身の客観視点だとすれば、今の僕はーー激しく怒りを覚えていると、確信できる。


 頼られてすらいない。僕は、彼女の中で庇護対象であり、信頼における存在ではない。


 その思考に至った瞬間、僕の中で、何かが弾けたような気がした。



「お前を置いて、逃げる勇気なんて、僕にはねぇよっ!!!!」



 言ってやった。言い切ってやった。自殺に近しい勇気と、逃げる勇気、どちらが尊いものかといえば、命を大事にすべきとか言われるかもしれないがーー、僕にとって、自殺に近しい勇気は、好きでいてくれる女の子に格好いいところを見せる欲求と同義。そう考えれば……なんだか、自分で自分をおかしく思える。


 肌にもう、ぶつぶつは浮かんでいない。



「先輩っ……お願いですから、逃げてください! 私では、アレに勝てる保証はありませんっ」



「うるさい! とにかく、間切は僕に構わずあいつに集中しろ! 僕はできるだけサポートに回るっ!」



「ああ、もう、勝手にしてくださいっ!」

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