第13話

「多分、わかるよ」


 僕は間切の目をまっすぐに見ながら、そう言った。

 途端、彼女の目は僕を睨むように鋭くなるが、僕は視線を逸らさない。逸らしてはいけない。



「僕も昔、同じような経験をしたから」



「……似たような経験?」



「うん。昔、家族とキャンプに行った時、はぐれちゃってね。山でさまよってるうちに、野犬の群れに襲われて……一晩、喰われ続けた」



「喰われたって……」



「文字通りだよ。食べられたんだ」



 あの感覚は、忘れようとしても忘れない。忘れたくても、忘れられない。中から骨をほじくり返され、内臓を貪られるショックなど、忘れられるわけがない。



「心臓も、目も、手も、足も、喰われ続けて……その度に超能力の自動回復で癒された。最初に対抗を諦めた。助けを呼ばなくなった。叫ばなくなった。最後に……考えることをやめた」



「…………それで、どうなったんですか?」



「翌朝、通りすがりの謎のサラリーマンに助けられた。感覚的には、何日も経っていたような気がしていたけれど、家族に聞いたら一晩って話だった……でも、彼は僕に呪いをかけた」



「呪い?」



 「断れない」という、人にいってはいけないトラウマ。いえば、僕は奴隷、ペット……まあ、人間の尊厳さえも犯されるかもしれない、そんなアレルギー。


 家族にも教えていない。超能力のことは知られていても、このトラウマのことだけは、誰にも話したことはない。家族も、僕は体が弱かっただけなのだと、考えているくらいだ。


 それでも、彼女という人間が本心を晒しているというのに、嘘や隠し事を明かしたというのに、僕一人が陰を抱えているというのは、好きではない。そして、何より、僕自身が……



「彼は、僕に『恩を感じてるなら、俺以外のやつを助けてやれ』ーーそう言って、去っていった。彼にかけられた呪い……僕には人の頼みを断れない、トラウマがある」



 ーー好きだといってくれた女の子にくらい、隠し事はしたくなかった。



「……どういうことですか?」



「そのままの意味。例えば、君がここで僕におすわりしろとか、お手をしろとか言えば、僕はそれを断れない。断れば、それ以上の苦痛が、待っているから」



「なんですか、それ。私のこと、からかってるんですか? だとしたら、いくら先輩でも、怒りますよ……?」



「嘘みたいな話だよね。でも、本当のことなんだ。僕は断れない。本当は、君に手伝いを頼まれた時にも断りたかった。でも、できなかったんだ」



 試しになにが命令してみなよ、と、僕は間切に促す。すでに、賽は投げられた。僕は彼女の奴隷にされるかもしれない。でも、悔いはない。



「……なら、できるものなら、私の靴、舐めてください」



 その命令は半ばヤケクソ気味に聞こえたけれど、お願いは、お願いだ。僕に断るという選択肢は、ない。



「わかった」



 僕が近づこうとすると、間切がびくりと肩を振るわせるのがわかった。しかし、僕は意に介することもなく、そのまま間切の目の前で跪くと、そのまま頭を下げて、ローファーへと舌を伸ばす。


 土の香りが、鼻腔を通る。土とは、あるいは靴の味は、どんなものなのだろう。屈辱的な行為であるはずなのに、僕はそんな、どうでもいいことを考えていた。



「……も、もういいですっ!」



 靴まで、残り数ミリといったところ。間切から見れば、触れているのか触れたいなのか、わからない距離だ。そこで、間切は足を後ろへやり、僕から離した。


 僕はそのまま立ち上がり、膝をパンパンとはらう。



「いいの? なら、他になにかある?」



「わかりました、わかりましたからっ! 信じますから、もうなにもないですからっ!」



「そう。ならいいけど」



 人間、全てをさらけ出すともう何もかもがどうでもなるのか、僕はひどく落ち着いていた。自分でも引くくらいだ。でも、人に隠し事をしない感覚というのは、心地よい。



「……どうして、私にそれ、教えたんですか? そんなの知ったら、私、先輩のこと、独り占め、しちゃいますよ?」



「君がそうしたいなら、すればいい。僕は覚悟の上で、君に教えた。どうしたいかは、君次第だ」



「…………」



 間切は、そうして再び黙り込む。僕は待つ。それくらいしかできることはないし、なにより、僕も、彼女にかけているのだ。


 人生をかけて、信じられる人が、この世にいるのか。


 もしも、彼女が僕を奴隷にするというのなら、僕は、もう誰も信じない。それこそ、両親も、遥さえも、信じられはしないだろう。でも、もしも、彼女がそうではないのなら……



「私、面倒くさい女なんですよ?」



 小さく、呟くような声。それでも、僕の耳にはしっかりと響いた。それはまるで独白のようで、自白とも取れる、そんな感覚だった。



「知ってる。魔法少女って時点で、かなり面倒くさいよね。厄介ごとに巻き込まれそうだし」



「先輩と一緒にいたくて、お手伝いなんて口実を作るくらい、面倒くさい女です」



「ああ、そうだったんだ……そこは僕の力目当てだと思ってた。でも、気にならないかな」



「嘘ばっかりつきます」



「人は誰でも嘘くらいはつく」



「隠し事もします」



「しない人間なんているわけがない」



「処女です」



「……ノーコメントで」



「先輩のために、殺人だってしかねません」



「それはやめてね」



 問答。それらは、彼女の闇……いや、コンプレックスなのだろうか。僕に否定して欲しかったのかもしれないけれど、僕は、ただ本心を述べているだけだ。


 そこに思いやりなどはない。思いやりとは、本心を隠して相手に優しい嘘をつくこともあるからだ。


 僕は、嘘はつきたくはない。少なくとも、今この場では。


 間切は一息つくと、意を決したように、覚悟を持った目を僕にまっすぐ向けながら、口を開く。



「そんな私に、そんな大事なこと教えて、よかったんですか」



「後悔はしていない。僕は間切を、間切未来という人間を、信じたかった」



「そう、ですか」



 多分、僕と間切は似た者同士なのだ。僕たちは、何年もの間、隠し事を抱えて、人に話せず、それでも、どうにかしたいと考えていた。それはきっと、普通の人でも悩むことなのかもしれないけれど、僕たちは、内容が内容だけに、相談できなかったのだ。いや、相談する勇気が、話す勇気がなかった。



「先輩」



 僕を呼ぶ間切の顔は、清々しかった。投げやりでも、ヤケクソでもなく、不安も、恐怖もない。ただ、安心したような微笑みだけが、そこにはあった。



「なに?」



「今から言うことは、お願いでも、提案でも、命令でもありません。質問で、私の気持ちで、本心です。なので、先輩も、ほんとのこと、教えてください」



「わかった」



 そうして、間切はぎゅっと拳を握りながら、恥ずかしそうに、顔を赤らめながら、言葉を紡ぐのだ。



「先輩、私は、先輩のことが、好きです。愛しています。私と、付き合ってくれませんか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る