【03】冒険者の始まり


 金砂のごとき髪。

 青く粒羅な瞳。

 焼きたての陶器のような艶やかな肌。

 愛しの君……。

 憧れの君……。

 大好きな君……。




 咀嚼音そしゃくおんと食器の音。

 酒杯の底がテーブルを打ち鳴らす。

 今宵も笑い声と怒声が響き渡っていた。

 そこは荒くれの冒険者たちが集う酒場だった。

 耳が常人よりもずっと良いぼくには少し五月蝿い場所だ。正直、苦痛すら感じる。

 しかし、ぼくにとって仲間たちと、ここで過ごす時間こそが何にも変えがたい癒しであったのだ。

「また来てるぜ、あいつ……最近はずっとだ」

 ブラウンがぼくを見ながら声をひそめて言った。

 ぼくは彼と視線の先を合わせる。

「あいつって、どれだい?」

 ブラウンは両手剣グレートソードを振るう屈強な戦士だ。みんなは彼をリーダーと呼んで慕っている。

 何時も角兜を被っているので、通名とおりなは“雄牛のブラウン”

 普段は温厚だけど戦いになると、とても強い。そんな彼が、ぼくは大好きだった。

 ぼくはブラウンと一緒に、しばらく窓硝子に映った、その不気味なブギーマンを観察する。

 髑髏どくろに良く似た醜い顔だった。

 どう見ても、まともじゃない。

「ヤバい。こっち見てる……」 

 窓硝子越しに目があった。ぼくが向こうを盗み見た事に気がついたのかもしれない。

 ブラウンが含み笑いを漏らす。

「やべえ、目が合った。あはは……気持ち悪りぃ」

 ぼくとブラウンは同時に目を逸らす。

「やめなよ……放っておこ?」

 ミレアが眉をひそめてブラウンをたしなめる。

 彼女はこの近くの荘園主の男爵令嬢で、魔術学校に通っていた事もある才媛だ。

 社会勉強と魔術の実践研究のために冒険者をやっている勉強家である。

 とても綺麗な金髪と青い瞳。

 そんな彼女は、ぼくの憧れの人だった。

 確かにミレアの言う通り他人をじろじろと見るのは良くない。

「ごめん」

 と、ぼくは苦笑する。エールの木杯を誤魔化す様にあおった。

 しかし、ジョンソンが話を蒸し返す。

「……でも、何なんだろうな、あの男。この辺りじゃ見ない顔だよな?」

 彼は近くの港町出身の元船乗りである。

 手先の器用さと俊敏しゅんびんさを買われ、このパーティへと加入した。

 今は袖で隠れているが、彼の右手首には魚の刺青が彫ってある。これは東方の島国で安全な航海を祈願するまじないとして伝わるものらしい。

 そのジョンソンの言葉に答えたのはギンベだ。

「ありゃあ、仲間を迷宮ダンジョンで亡くしたんだよ。ちょうど、あんな風に何もいない空間に向かって話かけている冒険者を前に見た事がある」

 彼は炎の神の司祭で、聖術の使い手だ。戦闘の時は連鎖槌フレイルを振るう頼れる戦士でもある。

 そんな彼の見解に、ぼくは首を振って異を唱える。

「違うね。思うにヤク中だよ、きっと。悪魔大麻デーモンヘンプだ。最近はこの辺りで盗賊ギルドが、安値でばらまいている」

「司祭の言う通りなら可哀想だが、まったく薄気味が悪いな……」

 ジョンソンが腕を組み合わせて溜め息をひとつ。そこでテーブルに新しいエールが運ばれて来る。

 ぼくがそれを受けとるとギンベが赤ら顔で空の木杯を掲げた。

「こっちにも頼む」

「おいジョンソン、大丈夫? 明日は朝から依頼のあった村に出掛けるんだろ?」

 ぼくは呆れ顔をする。

 しかしジョンソンは木杯を一気に飲み干した。

「俺もお願い」

「んじゃ、俺も……」

 と、ブラウンが続く。ミレアが呆れ顔でテーブルにそろった仲間達の顔を見渡す。

「ねえ本当に、みんな大丈夫なの? 明日の依頼」

「何とかなるさ」

 ゴブリン退治なんてちょろいちょろい。

 ぼくもケラケラと笑った。

「……じゃ、私も」

 ミレアが渋々と言うと、ブラウンが笑う。

「何だよ? 結局、お前も飲むのかよ」

「良いでしょ、別に」

 ミレアがむくれる。

 すると、女給メイドが苦笑しなから言う。

「それじゃ、全員エールでよろしいですね?」

 しばらくすると別な女給が彼ら全員分のエールを持って来た。




 次の日、ぼくたちは町の西門で待ち合わせる。それから街道を行き、昼過ぎにグレイヴという村に辿り着いた。

 この村の外れには山がある。

 春から秋にかけては、猟や採集に訪れる冒険者も多いらしい。

 ゆえに村の中央には寂れた山村には似つかわしくない立派な宿屋がある。

 その山の北の谷間を流れる渓流を半日ほどさかのぼった先に、くだんの地下墓地があるのだという。

 以前は恐ろしい食屍鬼グールたちの根城だったらしい。しかし腕の良い冒険者に討伐されて以来、そこには何もないのだという。

 だが、それでも村の人々は薄気味悪がって誰も近寄ろうとしない。古代の呪いや亡霊を恐れているからだ。

 ブラウン達が村長に挨拶へといっている間にぼくは、これらの情報を話好きの村人から仕入れる事ができた。

 ともあれ、この日は宿屋で一泊して明日の朝、目的の地下墓地へと行く事にした。

 ここまでは順調でいつも通りだった。

 その夜、問題は起こった。




 眠れずに部屋のベッドの上でまんじりともせずにいると、壁の向こうから話し声が聴こえた。

 隣はミレアの部屋だった。

 どうやら誰かと話しているらしい。

 少し困った調子で笑いながら彼女は言った。

「駄目よ……隣の部屋に聞こえる」

「大丈夫だって」

 相手はブラウンらしい。

「今みんなは一階の酒場にいるよ」

 確かにジョンソンとギンベは一階の酒場だ。

 ぼくも付き合おうかと思ったが、どうもその気になれなかったので部屋から出ずにぼんやりとしていた。

 どうやらブラウンは両隣の部屋には誰もいないと勘違いしているようである。

 それはさておき……何が“大丈夫”なのだろうか。

 ぼくは疑問に思い、二人の会話に耳をそばだてる。

「なあ……あいつらだって、もう俺達の関係に気がついているって」

 関係……関係って何だろう。

「わかってて気をきかせて部屋を空けてくれたんだよ」

 気をきかせる……気をきかせるって何だろう。

「でも、明日は仕事なのよ?」

「やめろ」

「別に良いだろ?」

「やめろ」

「だーめ。終わったらゆっくりね?」

「やめてくれ……」

「我慢できないんだ……愛しの君」

「やめてくれ……」

「もう。やめてったら……」

「やめろッ!」

 それからしばらく、愛を語らう二人の呼吸や甘い言葉を聞きながら布団を頭から被り、声を圧し殺して泣いた。その地獄の様な時間をどうにか堪え忍ぶ。

「なんで……どうして?」

 身分の高いお嬢様なのにきさくで、こんなぼくにも優しく接してくれたミレア。

 パーティのリーダーで頼り甲斐のある兄貴分のブラウン。

 ぼくなんかがミレアと釣り合わないのはわかっている。

 ぼくなんかよりブラウンの方がずっとミレアとお似合いなのはわかっている。

 でもぼくが悲しかったのはそうじゃない。

 二人が隠れる様にこっそりと関係を持っていた事が許せなかった。

 もしも、ちゃんと言ってくれたならぼくは二人を許す事ができただろう。

 泣いて悲しんだだろうけど……みっともなく駄々をこねただろうけど……。

 でも、きっと最後には二人を笑顔で祝福できたはずなんだ。

 ぼくならそれができたはずだ。

 そして、隠すという事は後ろめたいという事だ。ぼくを信用していないという事だ。

「ブラウン……ミレア……」

 銀鷲騎士団は、最高の仲間たちだと思っていた。

 でもどうやら、それは勘違いだった様だ。

 彼らには失望した。

 でも、それでも、ぼくはミレアの事を愛していた。

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