【02】覚醒


 昔の夢を見ていたぼくは、酷い雨音で目を覚ました。

 慌てて上半身を起こし、枕元を手で探り、寝ている間に外れてしまったコルクの耳栓をはめ直す。

 その直後ベッドのすぐ脇の窓の外で雷光が瞬き、轟音が響き渡る。

「ア……あああ……」

 ぼくはベッドで上半身を起こしたまま包帯の巻かれた顔面に両手を当てる。

 ぼくは……ぼくは、誰なんだ。

 ぼんやりと、頭の片隅に残るのは彼女の事だ。

 金砂のごとき髪。

 青く粒羅な瞳。

 焼きたての陶器のような艶やかな肌。

 彼女の名前を思い出せない。

「あ……あ……あ」

 意味をなさない呻きが口からこぼれた。

 すると、ベッドから一番遠い場所にある入り口の扉の向こうから声がした。

「面会の方をお連れしましたよ」

 ぼくが声にならない呻きを発すると、それを肯定の返事だと捉えたらしい。

 鍵が開けられ、扉が軋んだ音を立てて開かれた。

 その向こうから姿を現したのは、燭台を持った陰気な顔の司祭と赤毛の女である。

 どうやら混血のエルフらしい。

 動き易い革鎧レザーアーマーを着ており、腰には片手剣ブロードソード短剣ダガー、革のポーチなどを提げている。

 格好からして冒険者か傭兵であろう。

 小柄で童顔ではあるが、知性と気の強さを感じるつり目が印象的だ。

 けんのある表情で、ちょっとだけ怖い。まるで茂みから獲物の様子を窺う豹の様だ。ぼくの苦手なタイプである。

 そんな思いを悟られた訳ではないのだろうが、彼女は一転して仔猫の様な微笑みを浮かべてベッドに近づいて来る。

 それを見て思った。

 やっぱり、女は怖い。

 すぐにぼくを騙そうとする……。

「こんにちは。あたしはアメリアっていいます。……ここ、座っても?」

 と、ベッドの脇にあった丸椅子に視線を向けた。

 ぼくが頷くと、その少し大きめのおしりを椅子の上におろす。

 すると、そこで部屋の燭台に明かりを灯し終えた司祭が声をあげる。

「何かあったら、そちらの鐘を鳴らしてください」

 そう言って、ベッド脇の棚のハンドベルを指差す。

「はい。ありがとうございます。帰るときに、またお声をかけさせていただきますので」

「ええ。では、ごゆっくり……」

 と、言い残して司祭は病室をあとにした。

 ぼくは、無言で彼女を見詰める。

 いったい誰なのだろうか。

 このアメリアという女は、ぼくを知っているのだろうか……。

 その疑問の答えは、すぐにもたらされた。

「あたしは冒険者で、ギルドの依頼を受けて、他のパーティが失敗して未達成に終わったクエストの調査を専門にしているんだけど」

 何かが、ぼくの頭を過った。

「ギルド……依頼……失敗」

 そんな冒険者がいるという話は聞いた事があった。

 通常、依頼クエストはギルドを仲介して冒険者が請け負う。

 その冒険者がしくじった場合は当然、ギルドの面子や信頼が損なわれる事となる。

 そういった事態の後始末をつけたり、失敗の原因究明を専門に請け負う冒険者がいるらしい。

 それが彼女なのだ。

 しかしなぜ、ぼくは、こんな事に詳しいのだろう……。

 その疑問の答えもすぐに、もたらされる。

「それで、今はグレイヴのゴブリン退治の一件を調べていて……あ。グレイヴっていうのは、ちょうど、あなたが発見された河原の近くにある村の事です。覚えています?」

「ゴブリン……退治……?」

 首を傾げる。彼女が頷いた。すると稲光が瞬き雷鳴が轟く。その瞬間、思い出す。

 そうだ。ぼくは冒険者だ。

 依頼……失敗……銀鷲騎士団のみんな……。

 ああ、何て事だ。

 ぼくは、みんなと一緒にゴブリン退治の依頼を受けて、グレイヴという村へと向かった。

 そして……。

「彼女は? 彼女はどこ?」

 彼女……名前が思い出せない。最愛の彼女……。

 すると、アメリアは沈痛な面持ちで首を振る。

「まだ行方不明のままです。他の方々は全員……生きてはいませんでした」

 そう言って暗い表情でうつむいた。そんなアメリアの顔を稲妻が照らしあげる。

「そんな……そんな」

「長雨のせいで現在、捜索は中断されています。それで、あなたの元へ来ました。手掛かりを求めて……」

「ああああ……」

 雷鳴と共にぼくの脳裏に、彼らの記憶が甦る。

 頼れるリーダーのブラウン。

 元船乗りで器用なジョンソン。

 火の神の司祭ギンベ。

 ぼくと……麗しの君。

「ミ……レ……アああァ……」

 最愛の人の名前が口からこぼれた。

 ぼくたち五人は最高の仲間だったはずだ……。

「ゴブリンの巣になっていたあの地下墓地で、いったい何が起こったのですか? 覚えている限りで構いませんので、話してくれませんか?」

 その瞬間、雷光の瞬きと共に庭木の影が天井に写り込んだ。

 まるで悪魔の様な影……。

 それを見たぼくは、すべてを思い出した。

 あの髑髏どくろの様な顔の男……。

「不気味なブギーマン

「はい?」

 アメリアがきょとんとした表情で小首を傾げる。

「……ぜんぶ、不気味なブギーマンのせいだ」

 雷鳴が轟いた。


「不気味なブギーマンが、殺した……」

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