【04】忍び寄る影


 翌日の早朝、村外れで待ち合わせをしたぼく達は、まず北の谷間を流れる渓流を目指した。

 酷く冷え込んでいたため、みんなの吐く息が白い。

 あとひと月もすれば、本格的に雪が降り始める事だろう。

 隊列はいつものとおり。

 前列にブラウンとギンベ。その後ろにジョンソンとミレア。ぼくは、しんがりについて後方を警戒する。

 なるべく石の上や木の根に足を乗せながら音を立てない様に慎重に歩いた。

 そして、村を離れてしばらく経ったあとだった。

 ジョンソンが唐突に後ろを振り返る。全員が立ち止まった。

 彼に向かってブラウンが問う。

「どうした?」

「別に何もないみたいだけど……」

 そう言ってミレアがジョンソンの表情を窺う。

 彼は怪訝そうに頭をぽりぽりと引っ掻いた。

「……誰かにつけられている様な気がしたんだが誰もいない。どうやら、俺の気のせいだったみたいだな」

 しかし、ミレアは何故か不安げに眉をひそめたまんまだ。

「どうしたんだ?」

 ブラウンがミレアの肩に手を置く。

 気遣わしげな表情で長いまつ毛の奥にある粒羅な瞳を除き込んだ。

 いつもなら、仲間思いのブラウンの優しさと面倒見の良さに心を癒される光景であったが、今はとてもじゃないが見ていられない。

 ぼくは思わず目を逸らして黙り込んだ。

 するとミレアが怯えた声音で、こんな事を言い始める。

「私、見たの」

「何を?」

 ブラウンが眉間にしわを寄せた。

「村について、みんなで村長さんの家に挨拶に行ったでしょ?」

「ああ。それがどうしたんだ?」

「その帰りに、村の広場を通り抜けたとき、雑貨屋さんの前で、誰かが話し込んでいたんだけど……」

「そうだったか?」

 と、ギンベがジョンソンと顔を見合わせる。ジョンソンは首を横に振った。どうやら彼は覚えていないらしい。ぼくも記憶にない。

 ミレアは更に話を続ける。

「……その片方が似ていたの。あの酒場にいた男と」

「酒場にいた男?」

 ブラウンは首を傾げたあと、何かを思い出したらしく両手を打ち合わせた。

「あの、独り言をぶつぶつ言ってた不気味な男ブギーマンか?」

 ギンベも思い出したらしい。

「……あのわしらのいたテーブルからひとつ挟んで右側の窓際で、ひとりでエールを飲んでいた……」

「ああ……いたな。窓硝子にむかってぶつぶつ話しかけていた気味の悪い男だな?」

 ジョンソンも思い出した様だ。

「確かなのか?」

 ブラウンの問いにミレアは自分の肩を抱き寄せ不安そうに首を横に振った。

「わからない。横顔を遠くから一瞬、見ただけだから……後から思い出して、あのときの男だって」

 そこでジョンソンがどこか呆れた様子で言った。

「じゃあ、お嬢は、あの男が俺達のあとをつけて、この村にやって来たって?」

 ミレアは神妙な顔で頷く。因みに最近のジョンソンは、彼女の事を“お嬢”と呼ぶ事にしたらしい。

「わからない。見間違いかもしれないけど……酒場でも、あの男、私たちの方を見てたから」

「多分、気のせいだよ」

 ぼくはぎこちなく笑いながら、小声で言った。




 それから特に変わった事はなく、ぼくたちは例の地下墓地へと辿り着く。

 その入り口はよどんだ沼地の畔にあった。

 枯れたあしの茂みの中の湿った地面にぽっかりと空いた穴があり、地下へと降りる石段があった。

 そして周りの泥濘ぬかるみには、小さな子供くらいの足跡がたくさんついていた。

 ゴブリンであろう。

 ギンベが角灯ランタンを準備する。

 その明かりを頼りに慎重に石段を降りる。

 ぼくもいつもどおり、しんがりについて、彼らの少しあとから続く。

 地下墓地の内部は湿っていて、泥臭い。天井からは水が滴っている。

 階段を降りると狭い通路があり、すぐ右手に曲がっていた。

 村人の話によると、その先には格子状に通路が張り巡らされており、中央には石棺の並んだ玄室があったらしい。

 通路の壁には、ところどころくぼみがあり、古い時代の石像が収まっていた。

 聖人や天使の像だったが首がなかったり、冒涜的な言葉が刻まれていたりと、どこか禍々しい。

 そうして、ブラウンたちが入り口からいくつ目かの四つ辻に差し掛かった頃だった。

 正面の通路からゴブリンの集団が駆けて来る。

「数は俺達より多いな……」

 ブラウンが武器を構える。背中にかついだ両手剣グレートソードではなく、狭い場所でも取り回しの効く剣鉈マシエトを腰の革鞘から抜く。

 ギンベはいつも通り、革帯に吊るした連鎖槌フレイルを手に取った。

「これくらいなら、俺と司祭で殺やれる。後列は温存と挟撃の警戒を!」

「了解、リーダー」

「了解……」

 ぼくとジョンソンが返事をする。

 神に誓って言うが、このとき、ぼくたちの後ろには何もいなかった。誰もつけて来る気配はなかった。

 よほど忍び足が得意でも、耳の良いぼくならば確実に気がつくからだ。

 ともあれ戦闘はすぐに終わった。

 ブラウンとギンベは、たったの二人で難なくゴブリン五匹を血祭りにあげた。




 ブラウンがぬかるんだ足元に転がるゴブリンの頭部にめり込んだ剣鉈マシエトの切っ先を引き抜く。粘りけのある血が糸を引いた。

「終わったな……」

 そう言って、額の汗を手の甲でぬぐうギンベ。

 そしてブラウンが仕留めた五匹のゴブリンの死体を見渡す。

「全員、若いな……まだ群れを率いているやつが奥にいるはずだ」

「ああ……呪術師シャーマンじゃなければいいが……」

 ジョンソンは、ゴブリンのやって来た通路の奥へと目を光らせる。

 ゴブリンにも魔法を使う奴がたまにいる。

 とはいってもゴブリンなので使える魔法は推して知るべしである。しかし、それでも普通のゴブリンよりずっと厄介である事には変わりない。

「もしも、呪術師シャーマンがいたら、もう銀貨五百は追加してもらいたいところだ」

 そう言って、ブラウンが左手で頬から滴る返り血をぬぐおうとした。

「まって。これ……」

 清潔な布を手にしたミレアが、ブラウンの頬をぬぐう。

「……ありがとう」

 と、少し照れ臭そうなブラウン。ミレアは無言で首を横に振った。

 仲睦まじい二人。

 以前なら気にもとめなかったであろう何気ない光景が、むしょうに勘に障った。


 ……そのあとすぐの事だ。

 ギンベの左手の角灯ランタンが割れた。

「うわっ。何じゃ?!」

 火種が湿った地面に落っこち、じゅっ、と音を立てて消える。

 突然の事にみんなは息を飲み、短い悲鳴をあげた。

 辺りは暗闇に包まれた。

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