第16話 勇者


「勇者……あの神託を受けたという、勇者ダリウスか」


 ソリス王は呆然とした様子で呟いた。


 レヴン大陸の中央に位置する宗教国家、アストロス法王庁。

 そこは神のお告げを聞き、神と共に生きる者達が集う国である。


 賜わった神託は、悉く世界に影響を与える為、どの国も無視出来ない存在。

 勇者とは、その地に於いて神意によって選ばれた、この世界の救世主なのだ。


「とは言っても怪しいことこの上ないと思いますので、こちらを」


 そう言うと少年は一枚の羊皮紙を広げて見せる。

 それは彼の身分を証明する為の書状。

 右下にはアストロス法王のサインが記されていた。


「確かに。それにその腰に下げているアストロスの紋章が入った剣。もしや蒼銀あおがねの聖剣ではないか?」

「いかにも。よく御存知で」


「勇者のみが帯剣することを許された剣。私が昔、アストロスに出向いた時に、見させてもらったことがあったのでな。その清浄なる蒼き輝きは、紛うこと無くあの時と同じものだ」

「ほう、そんなことがありましたか」


「して、新たな勇者が選出されたとは聞いていたが……。そなたが動き出したということは世界に災いが迫りつつあるということか?」

「ソリス王。最近、魔物共の動きが活発になっているのは御存知ですか?」

「ああ、承知している。実際、領地内で兵が討伐に向かうケースが増えているからな」


「ならば説明しなくても、もうお分かりでしょう? 数ある災いの中でも飛び切りの奴ですよ」


 ダリウスは立ち上がり、訴えるような視線をソリス王に向ける。

 すると王は背筋が凍ったような表情を見せた。


「まさか……魔王復活の兆しだというのか?」


 それを受けて一瞬だが、近衛兵達がざわつく。

 ラウラも呆然とした様子でいた。


 彼らがそうなるのも無理は無い。

 数百年前、突如現れた魔王によってこのレヴン大陸の国々は大きな被害を受けた。

 過去の勇者によって封印はされたものの、その際の闘いは熾烈を極め、大地に深い傷を負ってしまった。滅んでしまった国の面影は、今や瓦礫と等しくなってしまっているからだ。


 悲劇を実際に体験したことが無くとも、その傷跡は文明が知っている。

 だが、話を切り出したダリウス本人は、


「だとしてもまあ、その為の僕なんでね」


 そんな具合で案外、楽観的でいた。

 そこでソリス王は、厳然とした態度を見せる。


「それで、その勇者殿が、どのような用があって我が国に」

「今、お話しになっていたでしょう? 賢者の石ですよ」


「……」


 互いに見詰め合ったまま僅かな沈黙が過ぎる。

 すると、ダリウスの方から口を開く。


「知っての通りあの石の力は強大すぎる。それ故に人の欲望をも狂わす。周辺の国々は放ってはおかないでしょうね。それはこのセラディスも同様…………ですかね?」


 ダリウスは含み笑う。

 だが彼を見据えたままのソリス王の表情に変化は無い。


「何が言いたい」


「魔王を討伐するのが勇者としての務め。文字で綴るだけなら簡単なことですが、実際、大きな力と力がぶつかり合えば甚大な被害が出る。それは過去の記録が教えてくれているので御存知でしょう。どんなに気に掛けていても被害をゼロにすることは出来ない。しかし、そこに圧倒的な力があったらどうでしょう? そう、僕は魔王討伐に賢者の石の力が必要だと考えています。それは過去の悲劇を繰り返さない為に考えた策です。しかし、どうでしょう? 実際、僕がそんな石を持ってうろうろしていたら、現実が見えていない己が覇権を狙う国々はどうするでしょうね?」


「……」


「要は後ろ盾が欲しいのです。僕を庇護する法王庁は、その立場上、中立でなくてはならない。それにこれといった武力は持ち合わせていませんからね」


「何が世界にとって最善で重要かは承知しているつもりだが」

「それは良かった」


 再び彼らは視線を交じり合わせる。


「なら、現状を聞いてもいいですか?」


 ダリウスが尋ねると、ソリス王はラウラに目線を送る。

 すると彼女は軽く頷いた後、語り始めた。


「魔力震の震源であるディプスの森へ調査団を送りましたが、賢者の石を持ち去ったと思われる者の足取りは掴めていない状況です。国外への逃走を防ぐ為、国境の警備を強化しましたが、現時点でそれらしき人物の情報は上がってきていません。聞き込み調査の為に周辺の町へも隊を送っていますが、そちらからもまだ手掛かりとなる情報は上がってきていない状態。未だ森の中に潜伏している可能性も考え、外側から捜索範囲を狭めてゆく為の隊編成を整えようかというところです」

「なるほど」


 ダリウスは納得したというような表情を見せると、悪戯っぽく笑う。


「では、その捜索に僕も加わるというのはどうでしょう?」

「えっ……」


 思ってもみなかったのか、ラウラは驚きの声を漏らす。


「僕には魔力探知という能力がありましてね。そこまで万能という訳ではありませんが、狭い範囲でしたら賢者の石の魔力を判別出来ると思います」


「ま……魔力探知だと!? 単独でそれが可能なのか!?」


 ラウラは思わず素の声を上げてしまったが、王の御前だと思い出し、慌てて身を正す。

 だが当のソリス王は、ラウラの言動など気にする様子もなく、ダリウスと向き合う。


「我が国にある、たった一つの探査水晶では大き過ぎて容易に持ち運べない。しかも魔力震のような強力な魔力の動きしか捉えることは出来ない。そこは選ばれし勇者の力と言うべきか」

「まあ、持ち去った人物が賢者の石を使ってくれないことには、分からないですけどね。で、どうします?」


「何か言いたげだな」


 ダリウスは空笑いを見せる。


「両者にとって、とてもメリットのある話だと思いましてね。僕は勇者としての責務を果たす為に、この国の力をお借りする。晴れて魔王を討伐した際には、使用した賢者の石をこの国にそのまま保管してもらう。私利私欲に走る他の国々と違って、このセラディスは魔法を熟知した国。その有用性と危険が表裏一体なのは充分理解されているはず。大いなる力を預ける場所としては、これ以上最適な所はないかと。世界の平和の為には良い話だと思いませんか?」


「……」


 ソリス王は何かを考えているのか、黙ったままだった。


 暫しの時が過ぎる。


 そして彼は、ゆっくりと顔を上げた。


「良かろう。その申し出、承った」

「ありがとうございます」


 厳かな空気の中、ダリウスはさっぱりとした口調で礼を述べた。


 と、そこで、


「ああ、それともう一つ、お願いがあるのですが」

「なんだ」


「先程、捜索に加わると言いました。それは間違い無いのですが、僕だけ独自の行動を許して貰えないでしょうか?」

「それは、どのような理由があってのことか」


「いえ、ただ単に行動の機敏さの問題です。部隊で動くことに慣れていない。今もこうして煩雑な手続きをすっ飛ばして陛下にお目にかかっているくらいですからね。それでいて力を貸して欲しいという訳ですから、自分で言い出しておきながら身勝手なことで申し訳無い」

「……」


 僅少の間が空く。


「承知した。だが、そこにいるラウラを同行させたい」


 二人の視線が彼女を捉える。

 目を向けられたラウラは一瞬ハッとなるが、すぐに表情を毅然とさせた。


「我が領地内で勇者殿にもしもの事があっては面目が立たないのでな」

「なるほど、分かりました」


 ソリス王の訴えに納得の笑みを見せる。


「では早速、向かうとしますか」


 ダリウスは身を翻すと、謁見の間の出口に向かって歩き出す。

 ラウラはソリス王に向かって一礼すると、ダリウスの後を付けて行く。


「いやぁーしかし、賢者の石の発生場所がセラディスの領地内で良かったですよ。他国だったらどうなってたことやら……」


 ダリウスのそんな声が城内の回廊に響き渡り、次第に消えて行った。

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