第8話 見えない手を持つ人④

「なぁジュン。アタシも闘いたかったわ」


「止めとけ」


「なんでや、そいつはアタシより幼い女の子たちを辱めて、木に吊るすとか、公衆の面前に放置した糞みたいな男やで。

 アタシは、正直言ってジュンがぶん殴っただけじゃ気が済まん。

 アタシも殴りたい」


「あのなぁ……。

 お前の力は、その気になれば地球を破壊してお釣りがくるレベルなんだよ。

 こいつに突っかかったのを許しただけでも、俺はかなり冷や冷やしてたんだ」


 夕暮れ。

 日は赤く染まり、世界はそろそろ夜が来るぞと告げている。


 俺は、そんな赤いランドスケープをただ眺めているだけ。堅い地面に耳を立て、口へ混じった土の味が気色悪くても、上の2人に再起不能にされた俺は、ただ黙ってそれを眺めるほかにない。

 俺の体はほとんど焼き焦げていて、その手足はもうまともに機能しない。後遺症も残るだろうか。そして、体の機能はすべて制御不能に陥って、俺は寝返り1つまともにできないらしい。こいつの力によるものだろうか。


 俺は、敗北をしたのだ。

 このジュン、という青年・”黄色い猥褻物”に。


 彼はヒーロー活動をしている時に着用するようなマスクもコスチュームは装備していないが、彼がほんの一振りした力だけで、俺はこいつが”黄色い猥褻物”だと確信させられた。


「見えない手、か。

 確かに、本気になればほぼ無数の手数、というのはかなり強いな。

 けど、そんだけ。無数と言っても脳のスペックに寄るらしいし、何より一つ一つのパワーは人一倍、が精々。

 というか、カバに会った人間には見えるんだよね、その手」


 猥褻物からダメ出しを食らう。

 どうやら、俺は無敵に思っていたこの力も、この歴戦の猥褻物を前にしてみれば、ちょっとヤンチャなマウスが一匹イキっている、くらいの認識なのだろう。

 

「お前ら、商店街で会った時から……」


「ああ。お前が、拉致暴行事件の犯人だと調査済みで、このカナでお前を釣ろうとした。見事に連れてくれて何よりだ」


 なるほど。

 今思えば、あのカナが俺に対し、意味不明な具合に怒りをぶつけたことも、すべて被害者の思いを背負っているからなのか。

 それにしても、意味が分からない言葉ばかりだったが。


「身体機能のほとんどを停止している今でも、こいつなら見えない手の攻撃はできるだろう。

 カナ、用心しろよ」


「あーはいはい」


 馬鹿なことを。

 俺の死にかけの目を見て、どんな攻撃が来ると思ったのか。

 それに、そのカナが、よっぽど恐ろしいパワーを秘めていて、俺は見えない手で攻撃するどころか、少し触れただけで手は焼けて消える。

 そんな原子炉染みた女へ、どんな刺激をしろというのだ、俺に。


「なぁ、猥褻物……」


「なんだよ」


「俺、もう体は動かないんだ。

 後遺症、残るかね……?」


「さぁ。ただ、それほど深刻ではないと思うよ」


「そっか」


 赤い夕陽を眺めながら、俺は答える。

 まるで、その光に浄化されるように出た言葉に、猥褻物も少し何を思ったのか気になったのだろう。


「自分の体が、心配か?」


「ああ」


「スポーツでもしてたの?」


「いいや」


「じゃあ、どうして」


「殴られて、気づいたんだ」


「何を?」


「俺は、嬲られるのも好きなんだって」


 猥褻物は明らかに気味悪がったようにこちらを見る。

 おそらく、後にいたカナも同様だろうか。


「今の俺が、どういう状況なのか、それを知りたい。

 俺がどんな人間なのか、何をしたら喜ぶのか。


 考えてもみろよ?

 嬲られ、ぼろ雑巾のように扱われるこの状況も、心が震えてるんだ。

 でも、いつもしていた餓鬼を痛めつけることだって、心が高潮させられるんだ。それは間違いない。保証できる。


 じゃあ、俺が絶頂をするには、どうすればいいのか。

 俺は何者なのか。

 色々と、試したい。できることは、何でもしたい」


 俺が語っているのを、猥褻物は特に咎める様子もなく、最後まで静聴した。

 しかし、後にいたカナは女性らしい、当たり前の受け止め方をしたようで、カッと火山が爆発したように顔を赤くし、


「ふざけんなや!」


 と怒りの声を上げる。


「ふざける。人生をふざけ尽くして、そして後悔の1つもなく、笑って死ぬのが理想だ」


「でもそれで迷惑な人間が何人いると思うねん!

 お前の、勝手な、気色の悪い、趣味で、何人の女の子が泣いたと思ってんねん!」


「男子だって嬲っただろ。差別的だぞ」


「こいつっ……!」


 カナが怒髪天で衝いたように、ギロリと表情を豹変した。

 彼女はそのまま俺に近づこうとしてくる。俺を一発でもぶん殴ってやろうと思っているのだろうか。彼女は凄まじいパワーを有した腕を携え、それは今にも飛んできそうだった。


「抑えろ、カナ」


 と、猥褻物は彼女を制止させた。


「アタシもうアカンわ……ッ!

 正直、こいつは一発や二発じゃ物足りんかもしれん!」


「止めろって。殺したくはないんだろ?」


「嫌や!」


「じゃあ我慢だ」


 猥褻物が静かにそういった瞬間、彼は指をパチン! と鳴らす。

 すると、俺の全身から鋭い刺激が襲い掛かる。


「アッ、アガガアアア!」


 一瞬だったが、あまりに強烈な痛みに、俺の呼吸は乱れ、思考がかなりの時間、ままならないほどダメージを負う。


「……チッ」

 

 カナは聞こえるほどの舌打ちをした後、あっさりとエネルギーの塊を抑え、改めて猥褻物の後ろで待機した。

 どうやら、俺のみじめな姿を見て、自身の怒りは萎えてしまったらしい。


「お前も、カナを煽るようなことを言うなよ。

 最悪、宇宙に飛ばすからな」


「そう。なら、俺の心が彼女にとってお目に適うと祈るよ」


 猥褻物も呆れてしまったらしい。

 はぁ、とため息をつき、どうしたものかというような顔でいた。


「で、俺はどうなるんだ?」


「それが、最大の問題だな」


「なぁ、どうせ無理ってわかってるけど、キミさ、改心してくれや

 ここで殺されるのは嫌やろ?」


「嫌だね」


「じゃあ、改心するんや。

 これから、女の子も……男の子も狙わない、交戦迷彩で生きていくんや」


 猥褻物が小さな声で「公明正大?」とカナへ耳打ちすると、彼女はちょっと恥ずかしそうに顔を赤めた後、パシッ! と音を立てながら猥褻物を叩いた。


「お取込み中、すまないが……。

 俺に、その生き方は無理だ」


「はぁ?」


「俺は、餓鬼を嬲り、痛めつけ、その悲鳴を聞かなければ、生きていけないんだ」


 カナはまたギロリとした顔をしている。 

 しかし、それでも俺はつづけた。


「俺は、死んでも、変える気はない」


「お前……っ!」


「俺はな。

 商店街でも、デパートの中でも、バイト先でも、人を見ると、鳴かせたくなるんだ。


 子供を見れば、泣いているところが見たいし、

 大人がいれば、跪いているところを見たいし、

 老人がいれば、悶えているところが見たい。

 

 女の子の肢体を、心行くまで蹂躙し、そして糞尿がついた汚い便所を舐めさせ、心神喪失している彼女を放置させ、最初こそこちらを睨んでいた男の子には、指を1つ、2つと折られていき、いつしか頼まなくても俺の靴を舐めるまで従順にさせ、孫の面影を思わせるほどの信頼関係を築いた老婆を、金属バットで足を砕き、衰弱しきって動かなくなるのを、何日だって観察し、可愛い顔をしたJKの顔を焼いて、いつしか醜い黒焦げになったのを知った瞬間の顔はどんなのだろうか。


 俺には、まだ、やりたいことがたくさん残っているんだよ。

 まだまだ、死んでも死にきれねぇ」


「ああ、そうなの」


 猥褻物はそっけない返事をしただけ。


「したいんだよ、俺は……」


 ああ、夕日が赤い。

 不思議なことだ。

 俺は欲求が全く満たされていないというのに、この赤く照る丸いものを見ていると、すべてが浄化させられる気分になる。


「やってる、みたいですね」


 突然、猥褻物とカナの間に、聞き覚えのある声が割って入って来た。

 俺はぼんやりとした頭でも、すぐにそれが今枝だとわかった。


「よ、今枝」


「お久しぶりです、エレボル」


 エレボル……。

 “黄色い猥褻物”がネットなど口コミで話題になる前に、彼が名乗っていた名前だ。

 今では、彼を信用する者しか使わない名称。


「ああ、ナニハさんですよね。ええと、」


「カナ、でええよ。今枝くん」


「カナさん」


 どうやら、3人はそれなりに知った中の様だ。

 それなりに、良好な関係が伺える。


「丁度良かったわ、今枝くん。

 こいつ、どうしても女の子を痛めつける趣味を直さないらしいねん。

 キミなら、そういうの、直せるんやろ?」


「んー」


 今枝はこちらを一瞥。

 彼は口ぶりからして、ここにいるのが半月前にコメダで出会った俺だと知っているのだろう。

 そして、だからこそ……。


「無理ですね」


 と、答えるはずだ。

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