第7話 見えない手を持つ人③

 初犯からいくつの時が流れただろう。

 半月だ。

 おおよそ、2週間くらい。


 俺はあれ以来にも、懲りずに男女問わない少年少女を攫い、痛めつけ、嬲り、そして放り捨てた。

 一応、ケーサツなんかに邪魔はされたくないという気持ちはまだ残っているので、現場は点々と変更し、今のところはなんとか隠れ切っている、と思う。


「ねえ奥さん。最近、物騒よねぇ……」


「ええ。私のところは娘が2人もいるし、やっぱり心配だわ」


  近くの商店街をブラブラしていた時、買い物中の主婦たちの世間話が、俺の耳に届いた。

 流石に、今枝のアフターケアは二度、三度と通用しなかったらしく、俺の麗しい犯罪たちは世間様に詳らかとなった。

 聞くところによれば、近辺の小中学校からは不審者への注意喚起が広まっているらしい。朝に小学生たちが集団下校をしている時も、老人のボランティア? が学童たちを先導していた。


 そんな仰々しいことをしなくても、顔の良い子以外は守らなくてもいいんだけど。

 なんて、俺的には思うのだが、しかしそれを口にすることはない。


「しかし、学生ばかりでは代わり映えがない」


 今は夕方に差し掛かろうとしている15時くらいの時間で、辺りには学校帰りの学生や主婦、老人などの姿がある。

 それらを見ていると、俺の嗜虐趣味は、別に若い肉体にだけぶつけることが真意なのだろうかと考えさせられる。


 唐突に、通路をノロノロと杖を突きながら歩いていた老人が、荷物を落とす。

 老人は体をズラし、それを拾おうとしたが、体が弱っているからか、中々それに近づけない。


「お爺さん、拾いましょっか?」


「ああ、ありがとうなぁ」


 老人は耄碌した声で感謝を伝えた。

 俺もそれに笑顔と拾った荷物で返す。


「いやぁ、助かった。

 こうもジジイになると、外に出るだけで一苦労でねぇ」


「ジジイだなんて、自虐しないでくださいよ。

 老いは体より心から始まりますよ。まだ俺は健康体だ、って気持ちでいましょう」


「はっはっはっ!

 今、誰の事ジジイっつったよ?

 てめえ年長者にいい度胸だな。名前なんっつうんだよ、言うてみいや」


 どうやら、この老人は京都人らしい。

 このパーソナリティ障害のような突然のキレよう、そしてドスの利いた下品な関西弁、間違いがない。

 

 俺は意味のない諍いなんて真っ平御免だ。

 すたこらさっさと俺は駆け足でその場を離れようとすると、俺は一人の女性とぶつかった。

 

「いたっ……」


 そいつは制服を着た女子高生だった。

 彼女は肩にかかろうとするボブに、細い眉、そしてどこか強気なイメージを思わせる攻撃的な瞳。髪型のセットが苦手なのか、所々にくせ毛が見られた。


 この前の、今枝が着ていた高校とは違うところだった気がする。よくここらの商店街や、バイト先で見かける高校生の様子を見ているので、それくらいは判断がついた。


「なんやお前!

 どこ見て歩いてんねん!」


 随分な態度である。

 それに、俺は後ろの老人に急かされたのもあるが、それでも前方の安全に気を付けた。

 そして、こいつに至ってはむしろ打つかってくるように俺の背中へ飛び込んできたのに。


「なんや!? 文句あんのか!?」


「落ち着けよ……カナ」


 カナと呼ばれた少女の後ろから、同じ高校の友人と思われる青年が現れた。

 やはり、この前の今枝とは別の高校に通う高校生らしい。


「うっさいわ、馬鹿ジュン!

 こいつ、アタシのことを馬鹿にしとる!」


「そんなことないだろ」


「アホ! こいつの服装見てみいや!」


 カナと呼ばれた少女が俺の服を指さすので、俺もつい自分の服に注目する。

 赤色のごく普通のTシャツ。ロゴに『RED HOT TEE』と、意味の分からない英語があるくらいの、ごく普通さを持つTシャツだった。


「今日のアタシのラッキーカラーは青なんや!

 こいつ喧嘩売ってるわ!」


「お前、統合失調病の傾向あるよ」


 ジュンと呼ばれた青年による、当然の突っ込み。


 あまりの痴呆さ加減に、俺は頭が痛くなった。

 そして、それと付き合っている横のジュンも、同じく呆れているらしい。


「おうおうおうお! 

 お前、さっきから何黙ってんねん?

 なんか言ってみろや? ん? ん? ん?

 おちっこチビッたんか?」


 カナと呼ばれたキチガイ女は俺にメンチを切る様に、挑発をしてくる。

 なんとも忌々しく顔を歪めて、俺を覗いて来る。

 オーサカの人間だな。旅行に行ったとき、こんなチンピラを見たことがある。


「あの、ごめんなさい。不快な思いをさせてしまって……」


 俺は平身低頭に謝罪をする。

 しかし、この女は一向に機嫌を直さない。


「アアアン!? ゴメンナサィ? ふざけんなやこのゴミ! カス!」


 謝罪をしただけでここまで罵倒される瞬間が、他にあるだろうか。

 いや、ブラック企業では日常的らしいが、まさか商店街でこんなキチガイに出くわすとは思うまい。


「全国のアタシに謝れや」


「は?」


「全国のアタシに謝るんや!」


 何を言っているんだ、このキチガイ女。

 一体、こいつは俺に何をしてほしいんだ。


 俺は後ろにいたジュンと呼ばれた青年に助け船を求め、視線を送るが、彼はただ黙っているだけである。

 もしかして、こいつは精神病棟か何かから抜けたしてきた、社会にいてはいけない存在じゃないのか。

 

「謝れや!」


「ご、ごめんなさい……」


「ちッ……」


 この女、舌打ちしやがった……。

 俺はやるせない気持ちになりながらも、頭を大きく下げた。

 しばらく頭を下げたままで、カナと呼ばれたキチガイの気分が良くなるのを待つ。


「あんなぁ……アタシに謝っても意味ないねん……。

 アタシに謝ったところで、どうなるんや? っちゅうはなしや」


 は、話が通じない奴だ。

 頭を下げていて、表情が隠れているのは幸いだ。

 だって、俺は今、こいつを絶対的に気味悪がっているだろうから。


「なぁ! アタシに謝ってどうなるねん!」


 と、カナと呼ばれた女は俺を突き飛ばす。

 女にしてはかなりの筋力があるみたいで、一瞬、ぐらんと回るような心地と同時に、俺はフワッと宙を舞う。

 4、5メーターは吹き飛んだだろうか。俺は空から落下し、そしてズルズルと滑って壁にぶつかった。


「おい、何やってんだ!」


 初めて、ジュン青年はカナの行動を咎めた。

 おい、遅いだろ。


「何って!?

 じゃあジュンはこんな人間が生きてていいって言うんか!? 

 お前もサイテイやで!」


「わかったから。少し落ち着け!」


 カナはまだ俺に思いがあるのか、襲い掛かろうとしていた。

 しかし、流石のジュンもこれ以上にカナを暴れさせるのは不味いと感じたのか、両腕を抱くようにして彼女を制止させた。


「ほら、もう行くぞ」


「ゴラ! 逃げんのか! 逃げんのかカスゥ!」


 俺は断じて逃げていない。

 むしろ、ジュンの方が暴れるカナを引っ張って、商店街を去ろうとしていた。


「ゴラ! アタシはミナミ高の倉石カナや! やるならかかってこいや!

 逃げるんじゃないで! このアンポンタン!」


 彼女の怒声は、まるで永遠に続くんじゃないかと思うほど遠くまで響いたが、しかし次第に小さくなり、いつしか彼女の声も姿もいなくなった。

 俺はカナの異常さに麻痺し、しばらく腰が抜けたまま動けなかった。


「なんだアイツ……」


 周囲で見ていた人たちが、俺に「大丈夫か?」などと優しく声をかけて来た。

 俺はその声でやっと正気を戻し、とりあえず立ち上がって、ズボンに付いた汚れを払う。


 彼女に突き当てられた両肩が、妙に重い。

 まるで、巨大なエネルギーを当てられたみたいな、そんな鈍重とした麻痺の感覚が俺の両肩に残っていた。


「兄ちゃん、災難だったなぁ」


 隣で、京都人のジジイが何か人語に似た発声をしていたが、よく聞き取れなかった。京都は煽り運転が多いから嫌いだ。

 

 俺は周囲で心配してくれていた人たちへ適当に頭を下げ、ご迷惑をおかけしました、などと思ってもいないことなどを伝え終わると、逃げるようにその場を去る。


 しかし、なるほど、倉石カナか。

 こいつは、俺の性癖をよくわかっている。


 こんなことをされると、どんな事をしてでも悲鳴が聞きたくなるじゃないか。


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