第9話 見えない手を持つ人⑤
「無理……やと?」
カナは今枝の力について、どれくらい知っていたのだろうか。
この様子では、便利な性格矯正マシーンくらいの認識だったのだろう。
「だって、この人、変わろうとする意志が、あまりに無いんですもん」
「なっ……」
「そうだろうな」
カナはともかく、猥褻物に関しては俺の指向性に対する欠落を、察していたらしい。
だからこそ、カナとは打って変わり、どこか諦めたように静かに俺の処理を迷っていたのだろう。むしろカナが考えなしなだけだろうか。
「なんでや、今枝くん!
キミには、人間の性格を変化せれるんちゃうんか!?」
「すいません。
確かに、自分は他人の変化のスピードを速くできます。
けど、逆に言えば、ベクトルを持たない人にとって、自分は意味のない、普通の話し相手くらいしかしません。だって、大きさと向きを持たない人に、どんな変化を早めればいいんでしょう」
「そ、そんな……」
カナは愕然とした様子。
この女は、俺を釣り上げるために、商店街でケンカを売り、そしてキチガイを演じて見せたが、元から潔癖的な気狂いの性質があるのだろうか。
嗜虐趣味の俺を、死刑にするつもりはなく、性格矯正を強く望んでいるようだ。
「おい、お前!」
躍起にでもなったか。
カナは大声で、脅すように俺を呼んだ。
「なんでお前はそんなに変わらないんや!
なんでそこまでして他人に迷惑をかける!?
お前がちょっと変われば、アタシたちは命を奪わないんや!
だったら、嘘でもええ、嘘でも変わるって言えばええやないか!」
彼女の激情を俺は耳にしても、まるで心は打たれない。
そして、ぼんやりと夕日を眺めながら、
「お前はさ、肌の色で人を差別するか?」
「は?」
「例えば、フランス人が、アジア人は小汚いイメージがあるから、フランス料理を作らないで欲しいとか言ったりとか。
例えば、トランプ大統領が、黄色人種のようなピー・スキン・モンキーは気色が悪いから国交を断絶するとか。
もしこんなことが起きたとして。
お前は、従うか? 納得するか?」
「そんなこと……」
「しないよな、俺だってしない。
そして、例え俺はこの性質が他人に酷く見下され、それで殺される要因になったとしてもさ。
俺は俺だ。
これが俺の肌の色なんだ。
そして、それを誇りに思う。
肌の色で、差別をするなよ」
「何を開き直ってんねん!
お前が他人にとって迷惑には何も変わらんやんけ!」
「そうか。
そして、俺も、お前たちにはとても迷惑している」
「こいつ……!」
ぐぐぐっ! とカナは歯を食いしばる。
今にもこいつの拳が飛んできそうだ。
「落ち着けよ、カナ」
「でも、でも……」
「ああ、そうか……」
なるほど、と俺はつい呟いてしまう。
なぜ、このカナここまで感情的になるのだろうか。
それは、俺を助けたいからとか、俺を同情しているから、とかそんな理由でもない。
そして被害者たちへの償いや、自身の正義を証明したいからとか、そんな理由でもない。
「お前、俺を殺したくないんだな」
「当たり前やろ!」
「俺を殺すことで、お前も悪者だ。
殺人鬼だろうが、それを殺すということは、相手と同じになってしまう。
お前は、そこが割り切れていないのか」
「……ッ!」
図星の様だ。
この女は、感情的なせいだろう、心情がよく顔に現れる。
「そうか……」
俺は何かが吹っ切れたみたいに、そこから立ち上がる。
「ッ!? ジュ、ジュン!
なんでこいつの拘束を解いたんや!」
「解いてない。
こいつ、見えない手で動けない体を支えてる。ほら、足の関節が曲がらないから、不自然な立ち方をしただろう?」
猥褻物の言う通り、俺は見えない手で全身を持ち上げ、その体を支えている。
実際、俺の手足はほとんど硬直して、1ミリも動きそうにない。しかし、見えない手の動作はすべて脳で行っているので、思考さえできれば自由自在に稼動可能だ。
「わかってるの?
今、お前が立ち上がって、立ち向かおうとすることの意味を」
猥褻物が静かにそう言う。
どうやら、臨戦態勢だ。
「殺されるだろうな。
でも、良いんだ。存分に殺してくれよ、カナ」
俺はカナの名前を叫び、彼女の意識をこちらに向かせる。
そして、俺は自身の背中を力いっぱいに突き押して、彼女の方へ体を突進させる。
「お、お前ッ!」
カナの表情は、怒りと動揺に満ち溢れた。
その均衡が、いつでもどちらかに傾きそうなほど、不安定で、エネルギーが充満している。
最後の、晩餐だろうか。
俺はそれをしっかり噛みしめ、見えない手を、カナの首へ侵入させる。
「!?」
突然、俺の思考はシャットダウン……。
辛うじて分かったのは、”黒ずくめ”が、長い爪で俺に襲い掛かったことだけ……。
☆★☆
倉石カナの目の前に、ドサッと音を立てて死体が落ちる。
見えない手を持つ人の死体だ。
ついさっきまでの嬉々迫る表情はそこに無く、生気を失った人形のような顔がそこに残る。
「……」
彼を殺した”黒ずくめ”はとりたて感慨もなさそうで、爪に付着した血を軽く払う。そして、ジュン、カナ、それに今枝をそれぞれ一瞥した後に、忍者のような動きでその場を去った。
あまりに突然な出来事に、少なくともカナは思考が追い付いていないようで、しばらく唖然としていた。
「な、何なんやアイツ……」
「執行人です。爪が長い、そんな執行人」
「この嗜虐趣味者は、どれだけのことがあろうと、己の性質を変えようとしなかった。
もし、この世に法律とは別の、民衆たちの願いが作ったルールが存在するとしたら、この男は真っ先に断頭されるべきだった。そして、これがその結果だ」
「……訳わからん」
倉石カナは目前の死体から目を背ける。
この男は、ついさっきまで激情を向けていた人間で、そして彼女からすれば最低最悪の性癖を持つ男だった、
しかし、それでも死ぬべきだなんて思いたくもないし、そして死体なんてものを喜んで観察できる理由なんてない。
「残念だったな、今枝。
せっかく来てもらったのに、出番なしなんて」
「良くあることじゃないですか。
それより、エレボルさんはいつもお疲れ様です」
今枝はとりたて、残念がっている様子も、逆に仕事がなくて良かったなんて思うこともなく、夕日を眺める。
そろそろ、その光は強さを隠し、夜が来るだろう。
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