第40話 狛

笙花の部屋の前。街に入る前に変化は解いて、そこから全力疾走したがために息が上がっていた。


いつの間にか雨は上がっている。濡れなくて済んだし、帰りも降らなそうなので安堵しながらインターホンを押す。

しかし、笙花は出てこなかった。狛は首を傾げながらもう一度インターホンを押す。すると今度は、中から微かな物音がした。


誰かがいることはわかったので、急かすようにもう一度押した。

カタリ、カタリとゆっくりとした足音が近づいてくる。寝起きかと思いながら、ドアが開くのを待つ。


「あ、笙…」


薄く開いた扉の隙間を覗き込むと、真っ青な顔をした幸岐が立っていた。ひどくやつれているように見える。狛は慌てて幸岐の手を取り、揺れる身体を支えた。


「幸岐ちゃん⁉」


くたりと倒れ込んできた幸岐から、小さな寝息が聞こえてくる。


「ね、寝てるだけか…」


嫌な音を立てる心臓を宥めながら、幸岐の背中と膝裏に手を回して部屋の中に入った。

中に気配はない。ということは、笙花は出かけているということになる。しかし、違和感を覚えた。


こんなに体調の悪い幸岐を一人置いて、家を出るだろうか。否、もしかしたら少し出ているだけという可能性もある。


「…まあ、ちょっと待ってみるか」


聞きたいことはたくさんあった。幸岐を、寝ていたであろうベッドに寝かせて、自分は床に座る。ベッドに寄りかかって天井を見上げる。笙花の香水の匂いがうっすらと感じられた。

笙花は、狛の前では香水をつけない。狼男である彼の鼻が良すぎるためだ。しかし、この部屋にはうっすらと香水の匂いする。


彼女が香水をつける時。それは、彼女が狛や斎には言えない仕事をするときだった。そしてこの香りは、彼らの間で「詮索しないでほしい」という意味を持つ。


「…早く戻って来いよ、馬鹿笙が」

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