第28話 異常なし

 白一色の景色の中を、船はそれなりの速度で進んでいく。進行方向は設定した場所に・それは引き寄せられる。

「……航路は問題なし。二百五十、このままなら余裕だな。二百五十一!ラルド」

「そうだろうな。氷山も、岩礁もなし。微妙に肌寒いが。見張りの船員達からも、報告はなし……シャツは寒くないか?」

 船首上で、会話を交わす俺とラルド。ラルドは、寂しい格好で腕立てを行う船長を気遣う。

 隣に立つ彼に、俺は腕立てを行ったまま言った。

「こっちも問題ない。動いていれば、自然に暖まる。二百六十」

 心配無用と、俺。

「自然に。……おまえは、いつも体を鍛えてるな」

 上下する俺を見ながら、感心するような、呆れるような、どちらとも言える声色でラルドは言う。

「染みついた価値観、みたいなもんだ!二百六十三!」

 話しながら、順調に数を重ねていく。俺の体には、既に大量の汗が。

 頬を汗がつたい、床にぽたりと落ちた。

「価値観か。まあ、ほどほどに。並行して、妙な力の制御も行ってるんだろ?」

 俺の過剰な疲労状態を見て、ラルドはそれに気付いたようだ。

「ああ、しかし今回はそこまでやる気はないさ!」

 なんせ、霧の海の中だ。普段より、警戒は強くなる。体力は残しておくに、越したことはない。

 とはいえ、何も起きやしないと思ってるのも事実。

「そうしてもらえると、助かるな。流石にやり過ぎだよ、おまえのは。……マリン達も怒るんじゃないか」

 マリンはともかく、フィルはどうだろう。あいつは、俺が無茶したって怒ったりしないと思う。ひどい怪我した時は、ちゃんと看病してくれるけど。

「分かってるさ。分かってる。ぶっ倒れるまでは、やらない!ちゃんと自重するよ!」

「本当かね」

 如何にも疑わしいって感じの言い方だ!

 俺だって心配かけたくないし、説教受けたくないし、自制するさ。

「おまえが何をしようと、自由だとは思うよ。一応、注意しておこうとな……噂をすればだ」

 噂をすれば?

 ということはと、耳を澄ましてみれば、後方にある、船首上に上がる為の階段から響く足音。

 静かで落ち着いた足音、つまり。

「はっ!……フィルか」

「当たりです」

 言った言葉に、即座に返される言葉。足音は俺の右横で止まった。ので、顔をそちらに向ける。

 素足が目に入った。船上だといつもそうだな。

「いつも通りのトレーニングですか。大変ですね」

 フィルは普段着ている膝丈程度の黒いローブを着用し、俺を見下ろしている。右手には、銀色の小さな物体。容器。

「水筒……か。はっ!、差し入れとは、ありがたい!はっ!」

「気まぐれですよ。どうぞ」

 少し屈んで右腕を伸ばし、差し出される水筒。俺は腕立てを中断し、それを受け取る。丁度、休憩しようと思っていたんだ。ナイスタイミング!

「ハアっ……ハアっ……」

 片膝立ち状態で乱れた息を整えつつ、水筒のキャップを開け、口を付ける。

 口を通り、喉を通り、体に染み渡る冷たい癒しの水。

「……ふーっ!生き返るな!」

 本当に助かる。彼女は時々だが、こういうフォローをしてくれる。いつもは辛辣なくせして、よく分からない奴だ。

「それは良かったです。……ラルド船長も、お疲れ様です。見張りですか」

「見張りというか、趣味というか……変わり映えしない景色だが、それでも楽しいもんでね。理解できないかもしれないが」

「あんまり、理解できないですね。船長も、似たような所がありますけど」

 彼女は、ちらりと俺の方を見る。

 やはりお前にはロマンが理解できないか……悲しい奴め、という感じの同情をこめた視線を送った。睨まれた。

「……何も異常はないんですよね」

「ないんだよな。ああ、退……じゃなくて安心だ」

 ラルドは笑みをこぼす。若干、肩を下げながら。

「異常がないなら、良いじゃないですか。これだから船長族は……性質が悪いです」

 船長族とは如何に?どこに住んでる種族だい?フィルさんや。

「……とは言え、それも条件によりますけどね。……フフフ」

「やめてくんない。その悪性に満ちた笑みで人を見るの、やめてくんない」

 今、こやつの頭の中では、間違いなく俺が酷い目にあっている……!くそぉ……、船長に対する敬意ってものが……。

「……フィル、マリンは」

 船長に対する敬意が、一応、あるような気がしないでもない少女。

「怖がって、部屋にこもっていますよ。心配ですか?」

「そりゃあな」

 そうか、マリンの奴……。あいつは俺ほど臆病な訳じゃないけど、そこまで経験を積んだ訳でもない。

 普通、こんな得体のしれない場所に来たら怖いよな。

「よし、様子を見に行くか!」

 なにか異常が起きたわけではないが、やはり警戒は強くなってるし、怯える彼女を放置してはおけない。

「喜ぶと思いますよ。マリンも。……本当にあんなに可愛く怯えて……」

「お前まさか、マリンに余計なことを吹き込んではいないよな?」

「失礼ですね。私がそんな人間に見えますか」

 

 見えます。当然じゃないですか、フィルさん。


「ふう、良い汗掻いたぜ」

 ロード号二階にあるマリンの部屋に行くには、甲板室を通らなければならない。

 俺は甲板室に入り、入口のドアを閉じる。

 ここには、大きな木のテーブルや、植木鉢などが置かれていて、歓談の場として使われる事が多い。

 部屋の右奥にある階段から、二階に行ける。俺はそこに目を向け、足を進める。

(マリンの部屋に向かう前に、お菓子でも)

 持っていこうかと、思案しながら。


 ――急激な目眩に、襲われた。


「おっ!?おおっ!?」

 傾く体。

 前のめりに倒れそうになるそれを、俺はなんとか支える。

「?」

 なんだ?妙に、強烈な目眩だったが。少し張り切って、トレーニングしたせいか。これからは、もう少し気を付けるかな。


 目眩から回復し、俺は改めて足を進めた。

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