第十九話 師匠との約束


 ――江戸という町は恐ろしいところだぞ。それでもゆくか?


 ――おら、ゆぐと決めただ。おっしょさん、いかせてくんろ。


 ――ならば約束せよ。決して人目に触れる場所では闘わないと。


 ――わがった。約束するだ。


 ――おまえが風門流のその業を見せれば、江戸のものは決しておまえをほ

  うってはおかない。必ず利用しようというものが現れる。

  江戸とはそういうところだ。


 ――おら、おっしょさんの言いつけサまもるだ。肝に命じるだよ。




 そこで大地は眼が覚めた。

 羽黒山を下り江戸へ旅立つ際、天狗様の師匠と交わした約束だった。


「おら、約束サまもれなかっただ」


 遠い目で水平線を眺める。

 ここは湾を臨む位置にある深川の最南端、佃町にある無住の荒れ寺であった。朽ち果てた方丈の濡れ縁で大地は一夜を明かしたのだ。


「こんなところにおいでとは」


 いきなり後ろから声をかけられた。

 振り向くまでもない。瓦版屋の辰蔵である。


「探しやしたぜ、佃町の方へ歩いてったっていうから、岡場所あたりで宿をとっているのかと思いやしたがね」


「岡場所ってなんだべ?」


「はあ、そいつもご存じない」


 辰蔵がまいったとばかり、手ぬぐいを乗せた頭を矢立の尻でかいた。


「何度もいうようだべが、おら武術会にはでねえだよ」


 辰蔵の目的がなにか、大地にもうっすらとわかっている。大地を出場させて観戦記を書きたいのだ。


「あっしゃ別にけしかけにきたんじゃありやせん。虎の旦那があんたさんの後を尾けろとおっしゃったんで、その命に従ったまででさ」


「……虎之介は優勝しただか?」


 つぶやくようにいった。

 若槻一馬と闘うことしか興味がない大地だったが、なぜか太牙虎之介の残像が脳裏にちらつく。


「決勝を見届ける前にお命じになられたんでね。あっしは見てませんが、虎の旦那の逆ツバメ返しに勝てるものはおりやせん。

 城東地区優勝は太牙虎之介に決まりでしょう」


「逆ツバメ返し?」


「佐々木小次郎のツバメ返しが斬り下げ斬りあげる業に対して、虎の旦那はその逆、斬りあげ斬り下げる業ですから逆ツバメ返しというそうでさ」


 と辰蔵が得意げな顔で解説する。


「ふむ……」


 一馬にしか関心のないはずの大地だが、剣士のさがか考え込む顔つきになる。


 ツバメ返しの初太刀が見せ太刀フェイントの役割を果たすのに対し、逆ツバメ返しのそれは相手の得物を叩き折って無効化する業である。

 つまり初太刀の一撃が勝敗を左右するともいえよう。


「虎の旦那は逆ツバメ返し一本で勝ちあがってこられた。あれを打ち破ることができるのは江戸広しといえど、暫定第一席の松浪剣之介さまぐらいじゃないでしょうかね。

 おっと、風巻大地さまもいい勝負をすると思いやすよ、へへっ」


「松浪……?!」


 そのとき大地の脳裏にひらめくものがあった。


「辰蔵さあ、教えてけろ。その松浪剣之介はいま、どこにいるだ?!」




   第二十話につづく


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