第十八話 変わりもの


「若槻一馬さまの消息はわたくしどもも存じあげません」


 番頭の太兵衛と同じ台詞を主人の徳兵衛も繰り返した。そこにはなんの感情もこもってはいない。


「へば、ここにはもう用がねえだ。番付とやらはそこの虎縞とらじまのあんちゃんにくれてやってけろ」


 そういうと大地は徳兵衛に向かって鈴井の木刀を放り投げた。

 片手で徳兵衛がつかみとる。

 大地は背を向けると周囲のざわめきのなか、スタスタと歩きだした。

 みるみるうちに遠ざかり群衆の彼方へ消えてゆく。



本気マジかあいつ。番付がどれだけおいしいか、わかりそうなもんやろ)


 虎之介は信じられぬ思いで大地の消えた先を見つめている。

 番付剣士ともなれば各道場への出稽古の誘いは引きも切らず、武者絵の模像モデル料、富商の接待など、役得特典は山のようにある。

 武術会で優勝せずとも上位に食い込めば、それ相応の祝儀ももらえるし、浪人なら他藩に仕官も可能なのだ。


 それを惜しげもなく投げ出すとはどういう神経なのか?

 若槻一馬とかいう剣士との闘いの方がやつにとっては重要らしい。

 まったく理解の範囲外だが、くれるというものをもらわぬ手はない。虎之介は傍らにいる徳兵衛に声をかけた。


「武蔵屋はん、せっかくの申し出やから、わいはあいつの席をありがたくいただこう思うて――」


「太牙さま」


 虎之介の言葉を途中で遮り、徳兵衛は底光りのする眼をぎろりと向けた。


「うッ!」


 眼光だけで虎之介は圧倒された。商人のふうを装ってはいるが、この武蔵屋徳兵衛という男、元は武士だったのではあるまいか?


「この木刀なら確実に勝てると踏みましたか」


 そういうと、徳兵衛は手にした鈴井の木刀の先を地に打ちつけた。

 なかほどからきれいにポキリと折れた。それは虎之介が虎縞の木刀の峰ではじいた箇所だ。


「いささか浅ましゅうございますな」


 そういうとくるりと背を向ける。


「早く決勝の仕度をなさいませ」


 譲り受けるのではなく勝ち取れ、といわんばかりに差配役の席につく。


「おい、辰蔵」


 虎之介は距離をとって身をすくめている辰蔵を呼び寄せた。


「へ、へえ、なんか御用で?」


「話がちゃうやないか」

 とは、虎之介はいわない。大地の目的が敵情視察などではないことはもうわかっている。


「あの男のあとをけい」


「へ?」


「“へ”やあらへん。風巻大地を尾行して居場所を突き止めるんや」


「しかし、あっしは……」


 城東地区予選の取材にきているのだ。ここから離れるわけにはいかない。


「どうせ、わいが勝つ。どう勝ったかはわいがあとで事細かく教えたるわ。

 せやから、はよいけ!」


「わかりやしたよ。独占取材、頼みますよ」


 そういって辰蔵は駆け出す。まだ、そう遠くにはいってないはずだ。


「変わったやっちゃ。銭金栄達ぜにかねえいたつには興味ないんか」


 厳しい世間をわたってきた虎之介にとって、大地はいままで出会ったことのないタイプの剣士であった。




   第十九話につづく


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