第二十話 真桜流奥伝道場


「松浪さまになんのご用で?」


 怪訝な顔で辰蔵はきき返した。会ってなにをするというのだろう?


「おら、ずっと考えてただ。一馬がさだげねえ(みっともない)まねサしたわげを……」


 暫定順位決定戦。すでに勝負が決したあとだというのに、一馬は足払いのひと薙ぎを松浪剣之介に仕掛けた。

 そんなことをしても勝敗が覆らないことは剣士剣客なら充分わかっているはずだ。

 卑怯未練なふるまいに及んだ背景が必ずあるに違いない。大地はそれを知りたかった。松浪に会えばなにかわかるかもしれないと思ったのだ。


「松浪さまは真桜流しんおうりゅう道場におりやすが、多分、お会いになることはできねえと思いやすぜ」


「なしてだ?」


「真桜流の奥伝道場おうでんどうじょうには門番がいて、怪しいものは片っ端から叩き出すそうでさ」


「おら怪しいものでねえだよ」


「ものの例えでさ。つまりだれか有力者の紹介状でもない限り、奥伝道場の剣士には会えねえことになってるんで」


 真桜流は門弟千人を超える江戸随一の人気道場であり、広大な敷地内には

奥伝、中伝、初伝の三つの道場がある。

 いわば門弟の技量レベルに応じて階層ランク分けされているわけだが、奥伝の道場だけは一般には解放されてはいない。

 松浪は奥伝道場の筆頭師範代をつとめる実力者であり、真桜流の奥義秘伝をまもる重責も担わされているのだ。


「そんなに若槻一馬さまのことが気になるんで?」


 瞳に同情のいろを浮かべて辰蔵はきいた。

 瓦版屋といった職業の手前、一馬や彼の係累がその後、どのような境遇に陥ったかは風の噂で聞き及んでいる。

 木刀で脳天を直撃された一馬は、自分の名前も思い出せない不覚のひととなった。

 直後、父親の若槻徹心は行方をくらまし、妹の留衣と末弟の祐馬は叔父の若槻源心に道場を乗っ取られ追い出された。


 若槻徹心、一馬を当主とする若槻一刀流はこの世から消滅した。彼らの消息を気にかけるものは風巻大地以外だれもいない。


「……待てよ」


 なにかを思いだしたらしく、辰蔵が右の拳を左手のひらに打ち下ろした。


「会えますぜ、松浪さまに!」


「ホントだべか?」


「昨日の八幡宮が地区予選の最後の試合だから、今日は芝の増上寺で組み合わせ抽選会が行われるはず!」


 番付剣士十名と各地区予選を勝ちあがってきた六名が一同に会して、公儀役人や江戸剣壇の重鎮、差配役の武蔵屋立ち会いのもと、くじ引きによる組み合わせ抽選が行われる。

 もちろん一番くじを引くのは暫定第一席の松浪剣之介だ。抽選会が開かれる半刻(一時間)前には会場入りしているはずだ。


「増上寺ってどこだ? 案内してけろ!」


 いうが早いか大地は濡れ縁を飛び降り駆けだした。


「ああっ、そんなに急がなくてもまだ充分間に合いますって」


 辰蔵が慌てて追いかける。

 時刻は明け六つを一刻ほど過ぎたばかりの早朝(午前七時)である。抽選会は正午に開かれるのだ。




    第二十一話につづく


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