新規のエピソード

日本での初期の「おたく」についてのメモ

〔某所に連投したコメントをここにも残しておきます。誤記などの修正と若干の補足はしました。〕



二人称としての「お宅」が広まったのはマクロスの影響という説は岡田斗司夫の『オタク学入門』にある(これが初出かどうかはわからないけど)。スタジオぬえのスタッフたちがリアルでも使ってたとか、慶応出身のおぼっちゃんたちが使ってたという話もそこに出てくる。


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もちろん二人称の「お宅」は昔からあるわけだけど、浅羽通明は学生運動の理論家タイプが使っていたのに注目して、知識があって理屈っぽい学生にありがちな仕草として二人称の「お宅」が使われていたとしている。


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「ふぁんろーど」1981年3月号に掲載された「ひ弱、軟弱のボンボン文化人の図」を見ると、「おたく」という言葉こそ使われていないものの、まさに戯画化された「おたく」といえる姿が描かれている。〔これは森川嘉一郎が「ユリイカ」誌で指摘していた。〕そういうイメージに「おたく」という名を付けたのが中森明夫だった。


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中森明夫というペンネームはアイドル中森明菜から採っているわけで、中森明夫の立ち位置は実はおたくと近い。ダサいキモい「おたく」を切り離して叩いて、「自分たちとは違う」と差別化を図ったというのは、(当時「ブリッコ」の編集長だった)大塚英志がのちに書いていたと思う。


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中森明夫の「おたくの研究」は、ミニコミ誌「東京おとなクラブ」の出張版という枠だった。「東京おとなクラブ」の執筆陣には吾妻ひでお、米澤嘉博、高取英、夏目房之介といった人たちがおり、やはり中森の立ち位置が実際には「おたく」に近かったからこそ、差別化のために叩いたのだと『おたくの起源』(吉本たいまつ)という本でも指摘されている。


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「おたく」というくくりができたのはサブカルチャー界隈の内部での差別化の動きというのは宮台真司も言ってるかな。わりと色んな人が言ってる。


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おたくが他のおたくを差別するために「おたく」という言葉を使ったということは岡田斗司夫も書いている。「活字のSFは読むけどアニメなんて観ないからあいつらおたくと一緒にするな」「アニメは観るけど俺が好きなのは硬派なやつだからあいつらおたくと一緒にするな」こういう人は今でもいる。


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「おたく」はママに買ってもらったようなダサい安い服を着て安物のスニーカーを履いていると中森明夫は嘲笑するわけだが、それはつまり消費の主体としてダメだということで、そういう〔80年代の消費の流れに乗らない〕奴は叩いていいというのは資本の論理なんだと大塚英志が書いていた(と思う)。


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浅羽通明は、86年のあるマーケティング業界誌での若者の分類での「内的モラトリアム派」というのが「おたく」とほぼ重なっているとした上で、自分が浸りきっている世界以外には関心がなく、マーケティング業界から見て市場になり難い層と捉えられていたことを指摘している。(『おたくの本』1989年)


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それが90年代になって岡田斗司夫が、オタクは優れた消費者であって消費する方が偉いんだとブチ上げたのはそれなりに影響力があったのではないかと。00年代に入ると野村総研が『オタク市場の研究』なんて本を出したりして、オタクは消費してくれるという認識が世間に広まっているように思える。ちなみに電車男ドラマ化が2005年。


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しつこく続ける。初めは狭い世界でだけ使われていた「おたく」という呼び名が世間一般に知られたとき「おたく族」という言い方が出てきた。「カミナリ族」とか「たけのこ族」とか、上の世代から見て奇異な若者にナントカ族と名前をつけるやり方が踏襲されたのだろう。だから「おたく族」というのは「おたく」をよく知らない外部の人間からの呼称。宮崎勤事件で注目を浴び、メディアでは「おたく族」という言い方はよく使われるようになった。


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世間的には、「おたく族」とは問題を抱えた「若者」というイメージだったと思う。もういい歳なのにアニメや漫画などを卒業できない「大人になれない若者」という捉え方がおそらく一般的。モラトリアムという言葉もよく使われた。過去のナントカ族と同じように、「おたく族」も早く卒業して普通の大人になることが正常な道筋と考えられていたのではないか。


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そこで「宮崎勤のようになりたくなければおたくは成熟しなければならない」という言説が出てくる。おたくに理解を示すような口ぶりをしつつ、よくわからん「成熟」なるものを要求する論者。たぶん言ってる方も自分が何を求めているのかわかってなかったと思う。しかし真に受けて悩んだおたくもいたのではないかな。


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宮崎勤事件のあと、おたくを論じる知識人みたいなのがいっぱい現れた。売り出し中だった香山リカは「おたく」擁護的なスタンスでいろいろ書いていた。宮台真司が(おたく論的なものを含む)『サブカルチャー神話解体』の元になる連載を始めたのは1991年。町山智浩は編集者として別冊宝島の『おたくの本』とか作ってたはず。


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宮崎勤、中森明夫、大塚英志、岡田斗司夫、浅羽通明、宮台真司、香山リカ、町山智浩。名前の出たこの人たちはみんな1960年前後生まれの同世代。高校の先輩後輩くらいの差しかない。なんなんだろう。


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大塚英志は、おたくだって学校を卒業すれば普通に働いているし稼ぎだって平均より良いのだと書いた。岡田斗司夫は自分の本にそれを引用している。自分で働いた稼ぎを自分の趣味につぎ込んで何が悪いのか。「おたくとは成熟できない若者である」という決めつけへの反論である。


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おたくの成熟については性愛関係の問題もあってこっちはめんどくさい。宮崎事件後「おたくは精神的に未成熟だから幼女を狙う。犯罪者予備軍だ」みたいな言説がよく出てきた。こういう言説は今でもずっとくすぶり続けてるとも言える。

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日本のアニメの海外での人気って実際どうなの? 志水鳴蛙 @croakingfrog

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