2

 家に帰ると、既に親は帰宅していた。


 学校から崖に向かい謎の男性に助けられてから、意外な事にまだ3時間ほどしか経っていなかった。


「ごめん、友達とご飯食べてたー!」


 そういうのは早めに言ってくれないと困ると怒る母。当然だ。今の時代SNSだって普及しているのだ。「ご飯いらない」と伝えるだけなら数秒で終わる。


 ごめんごめん。はぐらかして階段を駆け上る。


 部屋に入ると、もうここには帰って来ないと心に決めた今日の朝の状態がそのままになっていた。


 綺麗に片付けた机の上。普段は乱雑に置かれているぬいぐるみも、ベットの端にピッタリと並んでいる。


 最後くらいは、綺麗に、という考えだった。


「帰ってきちゃったんだ。」


 ほんの数秒前まで感じていなかった罪悪感が押し寄せる。


 あれほど決意したのに。あれほど、もうこの世界からいなくなりたいと願ったのに。


 この世界で生きたって、苦しいだけなのに。それが分かっていて、帰ってきてしまった。


 別にあの男の人に止められても、飛び降りれば良かったのだ。止められたのが、飛ばなかった理由にはならない。


 帰ってきてしまった。


 苦しい。さっきも感じたあの苦しさ。息が上手く出来ない。今度はあの人もいない。


 苦しい。助けて。


 机に座って引き出しを開ける。


 カッターを取り出す。


 ブレザーを脱いで、セーターをめくる。ワイシャツのボタンを外して、左腕をあらわにする。


 今まで幾度となく傷つけた皮膚。白く膨れているところ、赤いところ。その隙間のまだ肌色のところに刃を当てる。


 思いっきり押す。そして引く。これを何度繰り返した事だろうか。


 助けて。心の中で叫ぶ。


 机の上に血が広がる。痛みで頭がぼーっとする。もう目を開けていられない。




 下の階で大きな音がして、意識を取り戻した。父が帰宅したようだった。


 いつにないほど沢山の血が出ていた。頭は重いし、傷口は深い。もしかしたら、これで死ぬのかもしれないと思った。


 でも。明日はあの人に呼ばれている。何となく、あの家に行けば、何かが変わる気がした。


 気力を振り絞って傷の処置をする。血が止まらないので、いつも以上に強く包帯を巻き付けた。


 机に溜まった血も、綺麗に拭いた。それを全てトイレに流し、ベットに飛び込む。


 血液を大量に失ったせいか、もう起き上がることは出来なかった。そのまますっと、眠る。






 翌朝。


 時計を見たら、もう10時になっていた。頭がギンギンと痛む。


 どこかで、水を飲むことで失われた血液を取り戻せるという話を聞いたことがあったので、冷蔵庫からお茶を取り出し、ぐびぐびと飲み干した。


 親は既に仕事に出かけていた。


 昨日お風呂に入っていなかったことを思い出し、傷口をかばいつつシャワーを浴びる。左腕を流す度、お風呂の床が赤く染まる。


 顔を洗うと、とてもすっきりした。涙の跡と一緒に、絡み合った感情も流されていった。


 再び包帯を強く巻き、身支度を整える。


 何が起きるのかは全く分からない。もしかしたら、なにか良くないことが起こるのかもしれない。


 でも、もうあの人にしか望みがない。


 こんな状況になったのだから、最後くらい足掻いておきたい。


 あの人に頼ってみてダメだったら、もうその時はいってしまおう。


 そう心に決め、家を出た。










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る