虎の尾を踏む

 フードを被らされた。

 それなりに重い鞄。少し体を傾けながらも、如何にか左一つでソレを肩に担ぎ、空いた右を雛菊に提供していた八十一は、不意打ち気味に自身の上着のフードを被せられた。

 八十一は鬼種である。額に角持つ鬼種である。だから、他の鬼種と同じく、帽子や兜は好きではない。フードなんてもっての外だ。角が外に出ていないと落ち着かないのに、布が絡むのだから最悪だ。

 だから抗議の視線を雛菊に向けた。抗議の文言も出そうだった。だが、飲み込んだ。


(……明らかに様子がおかしい……よな?)


 多分、そう。

 同年代と触れ合う事無く、それどころか他人と余り接する事の無かった八十一は、基本、他人の感情に疎い。結構どうでも良いとすら思っている。だが、ここ数日、否応なく視界で百面相していた感情豊かな少女の感情なら多少は追える様になっていた。

 少し、泣きそうだ。八十一の服に皺を造りながら、それでも八十一を『何か』から庇う様に小さな体を前に出し、隠している。

 『何だってんだよ』内心で小首を傾げながらも、フード越しの慣れない視界の中で雛菊の視線を追いかけて見れば、八十一と同年代、もしくは少し上と言った数人の騎士。訓練の後なのか、スチームアーマーは纏わず、楽しげに談笑している。


「……」


 本格的に、分けが分からない。

 雛菊がアレを恐れる様にして道の端による理由が分からない。

 聖女が少ないが故に、聖女に、結界に頼ることが出来なかった皇国。そこの産まれであり、そこで育った八十一は十分に聖女の希少性を理解している。

 それがあんな一山三文の使い捨て騎士に道を譲る?

 理解できない。理解は出来ないが――

 手が、震えている。小さな肩が震えている。『は、』。笑う。好戦的に。自分でも分からないが、好戦的に口角が持ち上がる。それでもそれをフードの中に押し込め、自身の服の端を掴む手を握るに留める。

 雛菊が悲しんでいたから、騎士どもを斬った。それは流石に出来ない。法度でも、信念でも無く、感情で振る刃は凶刃だ。そんな恥ずかしい真似は出来ない。それでもそれが出来たらとても。とても、楽しい事なのだろうと八十一は思う。

 だが、まぁ、理由も無い。何より彼女が望んでいない。大人しくしていよう。


「おやおやおやぁ~? 誰かと思えば聖女雛菊サマじゃないですかー? どうしたんですかー? そんな道端でブルブル震えてどうしたのー?」


 と、そんな火薬庫に無遠慮に踏み込んで来る男。少年。騎士と言うよりはチンピラ。顔の半分を青い雷の呪印が覆う獣種の騎士。

 王国人らしい金色の髪を上昇志向の表れなのかツンツンと立てたソイツは粘ついた目で雛菊の身体のラインをなぞり、近づいてきた。


 ――かりっ。歯が鳴く。


 鳥が飛び立った。路地裏で野良犬が、野良猫が、威嚇の声を上げ、身体を膨らませ、後退りしながら逃げ出した。気付いた騎士は諦めた。馬鹿は気付かない。緊張している雛菊も気が付かない。――八十一が、嗤った。


「……っ」

「ン~? だんまりかよ? アンタが? そんな事が出来る立場だっけか? なぁ、聖女雛菊サマー? 陰の聖女サマ? 呪われた聖女サマ? 雛菊サマー?」


 笑う。騎士が。騎士たちが馬鹿にした様に、俯き、唇を噛み締める雛菊を笑う。だから八十一も嗤った。内心の衝動を飲み込む様に嗤った。


「……こんにちは、ジーク様」


 絞り出すような声。受けて、騎士――ジークがニヤリと粘り気のある笑みだ。嗜虐の予感に歪む醜悪な笑みだ。


「そうだ。それで良い。アンタの様な女はオレに媚びるべきだ」


 満足気に頷くジーク。

 嗤う八十一。かり。かりり。歯が鳴く。

 流石にジークの取り巻きの何人かは八十一の様子に気が付く。ジークを止めようとする。だが、たった一人に恐れてそんな行動を取ると言う事をプライドが邪魔をする。結果、数歩下がり、取り巻きから野次馬へと立場を変える。

 多分、今下がった奴らは戦場に出ても高確率で生き残る。それが八十一の感想。


「所で、アンタ、教会を出るんだってな?」

「……はい、任地に赴く事に成っております」

「そうか、それじゃ、結婚とかも出来る様になったわけだ」

「? はい、それは、そう、ですが――」

「そうか、そうか、聖女としての保護が無くなったか――じゃぁオレが食ってやるよ」


 笑み。まるでケダモノ。


「ッ? え? や、いやっ!」


 言葉の意味を理解し、自身の身体を抱き、それでも下がらず八十一を隠す雛菊。


「は、」


 嗤う。嗤った。


 ――そうか。そういう事が出来るのか、てめぇは。口だけじゃねぇんだな、てめぇは。


 虎が、嗤う。赤。燃える赤。火行に属す架空元素、ゆらり、立ち昇る。


「前からアンタの身体ダケは良いと思ってたんだぜ、オレ? 逆らわねぇよな? 逆らえる分けねぇよな? アンタみたいな不要の聖女が枢機卿の息子であるオレに逆ら――なんだよ、アンタ?」

「……」


 無言。体内の架空元素が奔るままに、その熱に従い、雛菊を背中に隠して、騎士に向かって八十一は一歩を踏む。


「あぁ、あぁ、あぁーっ! アンタ、アレか? 雛菊サマの旦那って奴か? いやぁー格好良いねぇー! 妻を守る為ってヤツぅー? ははははっ! おい、押さえつけとけよ! 見学させてやろうぜ!」


 そして――それが、ターニングポイント。

 ジークの言葉受けて、取り巻きの巨漢がニヤニヤ笑いながら進み出た。

 それは全身を鱗に覆われた準戦闘種の鱗種。重く、硬く、暴力に愛された男。


「―――――――――え?」


 その巨躯がいきなり、打ち上げられる。真っ直ぐに。真っ直ぐ空に。

 頬に腿が付くほどの柔軟性を見せつけ、放つは蹴り上げ。足裏で顎に衝撃叩き込み、重量を空に打ち上げたのは、戦闘種、鬼種、八十一。

 落ちる巨躯/合わせ/叩き付ける足刀

 煉瓦、割れて。頭、割れる。

 殺す気で撃ち、殺した。

 潰れた頭。ぶちまけられる脳症。灰色、赤色。ぐじゅ。ぐじゅぐじゅ。割れた煉瓦に血が染み込む。靴の裏に付いた汚いモノを八十一が地面に擦り付ける。まるで、犬のフンでも踏んでしまったかのように。雑に、乱雑に、命の名残を擦り付ける。

 流れる様な殺人。それを為した八十一をジークは見る。取り巻きが死んだ。力自慢の。自身の仲間の中で間違いなく最強であり、ソレを自由に扱う事でジークが今の地位を保っていた、言わばジョーカー、切り札。それが、あっけなく死んだ。

 理解が追い付かず、胸中には恐怖すら浮かばなかった。


「なぁ、てめぇ、恥ずかしくねぇのかよ?」


 そんなジークに声かけられる。冷たい、冷たい声が。怒気を含んだ声が。

 白煙、口角より立ち昇る。

 眼光、フードの奥より覗く。


「子供は宝で、子供を産む女は宝だぜ? 孕む事すらできねぇ俺ら男は女に敬意を以って接するのが常識だろうがよ? それを、なぁ? てめぇ、なぁ? なぁ? おい? 恥ずかしくねぇのかよ、なぁ? 答えてくれよ、なぁ? なぁ、なぁ、なァっ!」

「ひっ!」


 虎の話をしよう。

 彼らは猛獣だ。不用意に尾を踏めば悪気の有る無し関係なく食い殺される。

 城塞鬼種の話をしよう。

 彼らは狂っている。ヒトを守る。その為だけに産まれ、造られた彼等は恐ろしくヒトに優しく、恐ろしいまでに個人を顧みず、法すらも無視して自身の法度を優先させる。

 《竜》との戦闘は世代を跨いでの消耗戦だ。最後の最後にヒトの男女が一組でも残っていれば、ヒトの勝ち。

 だから戦場で死にやすい女を男は守る。

 次の世代を産んでくれる女を男は守る。

 それが城塞鬼種の――少なくとも八十一の考え方。

 だから、女を害する男は屑だ。屑は居ない方が良いので、殺すべきだ。

 躊躇わない。

 皇国の法を微塵も気に掛けず。

 後の事など考慮もせずに。


 怒った虎は、狂った鬼は――殺すと決めた。


 フードを脱ぐ。そこには、冷たい、冷たい、眼。

 不幸にも八十一の眼を見てしまったジークは、正確に八十一の考えを読んでしまった。


 ――死ぬ。殺される。ここで、オレは死ぬ。


「お、オレの親父は、親父は枢機卿だぞっ!」


 それは嫌だ。だからジークは叫ぶ。少しでも八十一の歩みを止めたくて。


「そうかよ。死ね」


 ――コォォオォ。残音。白煙、口腹より出でて、虎の眼、赤く。


「す、枢機卿ってのは、その、教会の偉い、ヤツで、兎に角、兎に角、偉くてッ! だから、だから、お前、お前、お前っ――止まれよぉッ!」


 叫ぶ、喚く、止まってくれない。怖い、怖い、怖い。ジークが八十一に背を向けて走り出す。一歩、二歩、三――……踏めず、もつれ、転ぶ。ジークの顔に絶望が浮かぶ。


「そうかよ。勉強になったぜ。ありがとよ。死ね」


 鬼。笑わず、嗤わず、ただ、ただ、歩く。


「こ、困るぞ! 枢機卿だからな! えら、偉いから! 教会で! 偉いから! 聖女の雛菊の立場が拙くなるんだぞっ!」


 叫ぶ。叫ぶ。喚く。諦めずに。諦めたら死んでしまうから、ジークは諦めず叫ぶ。

 だから、そう。だから。奇跡は起こる。諦めないモノに奇跡は起こる。


「……」


 止まる。虎が、鬼が、考える様に、止まる。


「……なぁ、ソレ、本当かよ?」

「ッ! そ、そうっ! そうだ! 本当だ! 困るだろ? 嫌だろ? だから止めろよ! 今なら許してやる! 何ならアンタが一番最初に雛菊を味見して良い!」


 そして――


「仕方ねぇ。ソイツも殺そう」

「―――――――――――え?」


 また、止まる。今度は、ジークの思考が。


「……な……に……?」


 分からなかった。何を言っているのか。


「? てめぇを庇うんだろ? 権力で以っててめぇを庇って、権力で以ってコイツ――無実の奴を害するんだろ? そりゃ屑だろ。だったら殺す。いらねぇ」

「そ、そんな事、そんな事したら、アンタ、アンタは教会全部を敵に回すぞ!」

「そうかよ」

「ッ! 勝てる分けないだろ! 死ぬだけだぞ! 何が、何がしたいんだよ、アンタ!」

「? 何言ってんだ、てめぇ? 俺が屑に負ける分けねぇだろ?」

「――ッッっ!」


 絶句した。八十一がその言葉を本気で言っていると言う事を、ジークは理解してしまい言葉を失う。


 ――死んでも、殺す。


 ソレをやる。

 目の前のモノは、ソレを為す。

 だから、自分は絶対にここで死ぬ。ジークはソレを理解してしまった。

 取り巻きは動けない。

 野次馬は騒げない。

 何人か。その場にいた何人かは八十一を止める事が出来た。実力で、力で、八十一の暴虐とも呼ぶべき行為を止める事は出来た。

 だが、速度。

 稀代の葬竜拳士をして『才』と称するしかなかった八十一の思考速度がソレを許さない。許すわけがない。零から間をおかずに達する最高速度。平時から、日常から、一瞬で切り替わる戦場の思考。

 ソレに追いつけるのは、平時より戦場に身を置くものか――


ふんッ!」


 同じ速度で考えられるモノだけだ。

 吹き飛んだ。ジークが。真横から鉄拳と称するに相応しい拳を叩き付けられて。

 豪奢なローブ。熊の様な体躯。豊かな髭。それがジークを吹き飛ばしたモノの正体。そいつは八十一に向き直ると、真っ直ぐに赤い目を見据え――


「馬鹿息子が失礼をした。説教はこちらでしておくのでこれで許してはくれまいか?」


 腰を折った。


「……」


 追って、殺すのは簡単だ。

 眼前の巨漢とて、八十一の障害には成らない。でも、それでも――


「……次はねぇ」

「承知」


 その言葉を選んだのは彼女の為だ。

 背中に抱き着き、全身で『止めて』と言う彼女の為だ。

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