洗濯は得意

 アマナ西部と南部。

 竜眼産地としてのアマナの命脈と持言える青の山脈と大森林に隣接したこの場所に住むモノは、貧しい者が多い。当たり前だ。誰だって好き好んで《竜》の住処傍に住みたくない。故に、西武と南部は土地が安く、八十一の様な竜狩人などは、寧ろ住むだけで街から金が貰えたりもする。西部と南部はそんな場所だ。そんな場所だが、中央部の貴族ですら出来ない贅沢が出来る場所でもある。

 洗濯物を外に干す。

 《竜》の脅威により、工場が立たない西部と南部は風向き次第で外に洗濯物を干すことが出来た。特に西部。山の上から降りてくる風は灰色の空を造り出した排煙を押し流してくれる。

 だから、鬼灯邸には物干し竿がある。


「……」


 そして、今、そこでは一人の少女が洗濯物を手に、固まっていた。

 雛菊。鉛色の髪をひとまとめにした少女は凛々しく手の中の洗濯物を見ている。

 そんな彼女を見て、彼女の手の中のモノを見て、あぁ、そういう事かと八十一は納得した。難しそうな顔で彼女が見ているのは八十一の下着である。

 教会育ちの箱入り育ち。そんなお嬢様に、同年代の異性の下着は少し、厳し――


「……やそさんは、絶対ふんどし派だと思っていたのに」

「……」


 うるせぇよ。特に気にした様子も見せず、トランクスを干す雛菊を見て、八十一はそんな事を思った。思ったが、別に良いならこちらもそれで構わない。意識を雛菊から自身の手に戻す。

 右手で彫刻刀を握って、木片をガリガリ。八十一が工作をしながら、ぶらぶらと裸足の足を揺らすのは縁側。空が灰色に染まる前は多くの陽の光を浴びていたそこからは洗濯物を干している雛菊が良く見えた。

 暇つぶしであり、副業であり、唯一の趣味。

 手の中の木片を何とは為しに削っていく。しゃもじ辺りを造ろう。薄っすらとだが、目標を定め、それに向けて形を造る。遊びの延長だ。木片に線を引く事無く、自身の頭の中に八十一は線を引いた。

 そうして右に彫刻刀、左に木片を握れば、自然、視線に入ってくるものが有る。

 左腕。鞘に収まった左腕だ。

 赤地に黒の梵字が踊る赤布せきふ。火行の刻印魔導が彫られたヒトが日常を送る為の必須アイテムであるソレに収まった左に、僅かな痛み。

 痒みにも似たソレは、ついさっき新たな魔道刻印が彫られた証だった。

 質の良い赤い竜眼。彫る為の赤墨の材料は丁度手に入れた所だった。翅蜥蜴から奪ったソレを磨り潰し、墨に、そして魔道刻印へと変える。

 架空元素エーテルの知覚が出来れば誰でも使え、三種の魔導の内、最速で発動する事を売りにする刻印術。万能型の祖父とは違い、純正の戦士型。ギリギリで架空元素の知覚が出来るだけと言う八十一が唯一使う事が出来る魔導の強化。

 雛菊の話を受け、激戦区に向かう事を決めた八十一は、先ずソレを行った。


「……」


 その結果、八十一が左腕に力を入れると僅かに痛んだ。

 それは大した事の無い痛みだ。だが、その痛みを無視してまで暇つぶしの工作を続けるのは、何となくどうかと思った。八十一は彫刻刀を片付けた。欠伸をする。伸びもする。そのまま縁側に大の字に寝転ぶ。それを見て遊んでもらおうと寄って来たヤチを撫でて灰色の空を見る。どれが雲で、どれが煙だかはさっぱり分からなかった。「は、」。笑う。風情も何もあったもんじゃねぇな。


「そ、その……だな。やそさん、昼寝をするなら私が、その、ひ、膝枕をしよう!」

「……」


 洗濯が終わった雛菊からの提案。

 それに無言を返し、手ごろな枕。灰色の竜狼を頭の下にひく。何となく迷惑そうな気配を頭の下から、何となく不機嫌そうな視線を頬に。それぞれを感じながら目を瞑る。

 そうして視界を閉じてしまえば、自然、葬竜拳士の身体は周囲の音を拾い出す。近い所で自身の内側。心音。トクトク。気のせいか、刻印彫りたての左腕の音が大きいような気がする。次にヤチ。枕にした竜狼の心音。トットットッ。跳ねる様に軽快に。シュルシュル。上質の生地が奏でる衣擦れの音は、雛菊が八十一の顔を覗き込もうとしている音だ。川の音。風の音。街の音。工場の音。ヒトの音。子供が、何人か、駆けて……。


「……ッ!」

「ひゃう! し、してないぞ! 私は未だ何もしてないから! キスとかしてないぞ!」


 その音を拾った瞬間、八十一は身体を起こした。何かわたわたしている雛菊に反応は返さずに、「やべぇ」と口の形を造る。


「……洗濯は?」

「? 見ての通りだぞ、やそさん。終わっている。自慢ではないが、私の教会での奉仕活動は掃除と洗濯だったからな、これ位は朝飯前だ!」


 ふふん。少し得意そうに雛菊。


「……朝飯ならさっき食っただろうが?」

「そ、そういう揚げ足取りは良くないと思うっ!」


 きしゃー、少し赤くなって叫ぶ雛菊。

 だが、八十一にとってはそんな事はどうでも良い。問題なのは洗濯物だ。洗濯物が全く残っていないと言うのが問題なのだ。ヤチを見る。三角形の耳がピンと起き上がり、視線が玄関を向いている。警戒も、敵意も無い。期待と、好奇心が有る。両の瞳に、胸の瞳。ヤチの三つの瞳が宿すソレを見て取り八十一は自身の予想が当たった事を理解し、頭をバリバリ掻く。どうするかなぁ。

 困惑する時間はそれ程長くは無かった。先ず目に付いのは双子。年は十にも届かない幼子。獣種特有の呪印を身体に奔らせ、獣の様に駆けて来た二人は勢い殺し切れず大きな弧を描きながら鬼灯邸の玄関を駆け抜ける。


「「やぁーちーぃ!」」


 子供の高い声。それに答えたのは指名を受けた竜狼。ヤチ。「オン!」と吠え返したかと思えば、尻尾を振りながら駆け寄り、歓声に出迎えられながら、楽しそうに双子の周りを駆けている。

 次に来たのは鬼種の少年だ。双子より少しだけ年上の十歳。黒髪の彼はぼろの着流しを着込み、右手に木刀を持ち、鋭い目付きで八十一を睨んでいる。その、あまりに悪い目付きに雛菊は「やそさんみたいだ……」と呟いた。どういう意味だよ?

 その少年は、まっすぐに八十一を睨んで居たかと思えば、木刀を大上段に構える。


「――ッエェェェエエエエエエエエエエエィっ!」


 疾走、気声。蜻蛉より袈裟の軌跡で放たれるは、対竜剣術死現しげん流が一手にして絶技――一之太刀。


「うるせぇよ」

「あぅ!」


 そんな少年にめんどくさそうに八十一は応じる。足元の下駄の鼻緒を右足の親指と人差し指で掴んで投げる。走る勢いをそのまま威力に。額に下駄がぶつかった少年はその場に蹲り唸りだす。


「カイっ! もう、駄目だって言ってるのに! ごめんなさい、鬼灯……さ……ん……?」


 そんな少年に最後の人物が駆け寄る。

 一番の年長者にして保護者。双子と少年の母親役。黒い髪と純白の羽のコントラストが美しい翼種の少女は何故か驚愕し、絶句し、雛菊を見ていた。唇が震えている。ショックな事が有ったのだろう。八十一は勿論、雛菊だってその態度を見れば簡単に理解できる。


「あー……すまねぇ。今日の分の洗濯はもう終わっちまった」

「……」


 訂正。雛菊は理解できているが、八十一は理解出来ていなかった。

 取り敢えず雛菊は八十一の頭を叩いておいた。

 睨んで来るが、知った事ではない。これは恋する乙女の怒りなのだ。







 竜狼が尻尾を振り回しながら双子とじゃれている。

 それを縁側から眺めながら雛菊は隣の少女に問いかけた。


「つまり、家事手伝いをする代わりに……やそさんから賃金を得ている、と?」

「えぇ、そうです。鬼灯さんはこの辺りのわたし達みたいな子供に簡単なお仕事をくれるんですよ。掃除とか、洗濯とか、まき割りとか」

「ふむ。教会で偶にやる炊き出しみたいなものかな?」

「まぁ、そうですね。こちらの労力に対して鬼灯さんからの報酬が過剰なので、わたしはそう思ってるんですが……」

「ですが?」

「鬼灯さんは『仕事』って言えって言ってくれるんです」

「ほぉ」


 思わず雛菊の口から簡単の溜め息が漏れる。

 凄い。思った以上に鬼灯八十一と言う人物は凄い。

 与えられる事は恥では無い。だが、与えられるだけは恥だ。それは城塞鬼種の一つの考え方だと聞いた事が有る。

 雛菊はその考え方に好感を持った。

 恥かどうかは分からない。だが、与えられるだけではヒトは成長しない。仕事と言う形。例え労働と報酬が釣り合って居なくとも仕事と言う形にするだけでそこには誇りが産まれ、成長が産まれる。

 竜害孤児。皇国、帝国、王国に西域都市群。《竜》に侵されているこの世界ではどこでも見かけ、一種の社会問題になっている《竜》による孤児。

 彼等を援助するシステムは存在する。だが、彼等を育てると言うシステムは以外にも少ない。故に、援助が受けられない年齢に達した子や、そもそも援助が受けられなかった子は、《竜》による被害者からヒトへの加害者に変わる事が多い。

 これも一種の社会問題だ。


 ――やそさんも全てにそうして手を差し伸べられるとは思ってはいないだろうが――


「……それは、とても立派な事だ」

「えぇ、簡単には出来ない事だと思います」


 呟きに返される呟き。

 横を見れば少女の頬は桜色に染まっていた。むぅ。

 面白くない。雛菊はそんな事を思い……同時、自分はそんな事を思う資格が無い事に気が付き、凹んだ。

 奪うのだ。彼女から。彼女の――好きなヒトを。

 与えられるだけは恥である。

 だから、雛菊は八十一に自分を差し出した。

 教会の聖女。呪われた聖女。教会が認め、それでも決して好意を向けて貰えない自分と言う存在。

 そんな自分が街を、ヒトを守るにはとびっきりの竜狩人が必要だった。騎士団に頼れない自分は、街の為に、ヒトの為に、一人の竜狩人の人生を使い潰す必要があったのだ。

 だから。差し出す。自分を。雛菊と言う聖女を。その肉体を。心を。魂を。人生を。

 けれども――これで正しいのか? とも思う。

 特に鬼灯八十一に想いを寄せている少女を見てしまうと。

 薪割り用の鉈を持った少年に切り掛かられる八十一を見ながら、そんな事を――


「……」


 待って欲しい。


「あれも家事手伝いなのだろうか?」

「え? あ、いえ。その……カイは鬼灯さんを嫌っていまして」

「? 何故だ?」


 雛菊が不思議そう首を傾ける。

 先程の話を聞く限り、本気の殺意で襲われる様な事は無さそうなのに。


「えと。その……少し、事情がありまして……」


 言い難そうにもじもじする翼種の少女。

 その姿は同性である雛菊の眼から見ても可愛らしく映った。


「……――」


 そんな少女に彼は好かれているらしい。やはり。何だか。面白くない。

 と、雛菊の様子に気が付く事無く、翼種の少女が「良し」と何かを決意する。


「雛菊さん、お願いがあります。――……わたしを失恋させて下さい」

「……」


 取り敢えず。

 取り敢えず、雛菊は小首を傾げた。わけが分からなかったのだ。

 ヤチはその表情を見て、昨日、雛菊と始めて会った時の八十一を思い出した。

 良く似ていたのだ。

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