朝餉

 奪われた空にも朝は来る。

 だが、それは灰色の空が僅かに明かりを讃える様を言うよりも、灰色の空を造った原因である工場が眠りから起き出し、排煙を昇らせる様を言う。

 ゆらゆらと空に溶けて行く煙、起き出した街に上る狼煙の様なソレを何とは無しに八十一は眺めていた。

 赤髪はいつも以上にボサボサだ。目にも目ヤニが付いて居るし、動く前に……と軽く撮んだ干し肉の油が口元に付いている。服装も城塞鬼種が好んで纏う赤備えから代わり、動き易く、気楽な甚平。左手に刻まれた魔道刻印と背負う様にして担いだ槍が無ければとてもじゃないが葬竜拳士には見えない八十一だが、彼が街と同時に起き出したのは葬竜拳士で有る為だった。

 身体を解し、身体を動かす。

 山に近いアマナ西部とは言え、街は街。吸い込む空気はどこか埃っぽく、大森林で野宿した朝の方が寝起きは爽やかな位だ。

 それでも八十一は身体を解し、身体を動かす。

 そうして数分。


「……――」


 身体が出来上がった所で槍を構える。

 朝靄。山から降りて来た白い霧。待ちが生み出した灰色のモノとは違う穏やかなソレ。ソレの中に――


「――っこぉおぉぉぉ」


 虎気、溶かして。

 朝靄を虎の爪が切り裂いた。

 両足大地握って身体の捻りで速度にて削る突き、そして、引き。

 二連一組の返し技。鵺式葬竜術・虎方の一手、削虎爪。

 それを八十一は虚空に放ち、瞳を閉じて、呼吸。僅かに混じる緑の匂い。それを再度肺一杯に溜め込み、吐き出し、もう一度、呼吸。

 そのまま、もう一度、削虎爪。

 ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと記憶をなぞる様に身体を動かす。

 ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、吸い込んだ息が血に乗り、指先まで届くのをイメージしながら、身体を動かす。


「――」


 そうして、呼吸。再度、削虎爪。先程よりは勢いと速度を上げ、それでもやはり緩やかに、丁寧に身体を操る。


「―――」


 また、呼吸。そして少しだけ速度を上げて、削虎爪。


「――――」/「―――――」/「――――――」/「―――――――」


 繰り返す/繰り返す/繰り返す/何度も

 そうして幾度。朝靄を切り裂きながら速度に速度を加え、加速に加速を重ねた虎の爪はついに一撃目。速さだけを優先し、中身のなかった一撃に追い付き、追い越す。


「――っふぅぅぅぅぅ」


 ただ速いだけでなく、十二分な気血を巡らせ、理想的な動きでの一撃。そこに漸く自分が辿り着いた事を理解し、八十一は肺の中身を外に吐き出す。

 そうして、瞑目し――……描く。

 閉じた瞳の裏側で。

 朝靄に包まれた白の視界の中に。

 描く。思い起こす。最高を。最強を。赤備えを纏った、藍色の鱗の鱗種を。城塞鬼種を。葬竜拳士を。竜狩人を。描く。

 鬼灯九十九。

 全身に鱗を纏い、長く鋭い吻(ふん)を持つ正真正銘カジキ型の鱗種でありながら、その生き方により城塞鬼種を名乗る事に成った稀代の葬竜拳士。鬼灯八十一の祖父。その背中。

 何時かの日、何時も見ていた大きな背中。

 傷つき、割れ、決して綺麗では無い、大きな背中。

 葬竜拳士の、背中。

 思い描いた彼が動く。造った構えは攻めの虎伏。踏込と同時、放たれるのは上段よりの一撃、打割虎爪。

 八十一は見る。あの日に見た光景を見る。瞼の裏に描いたその幻影を見る。記憶に、心に、身体の造りの中に、映像として、感情として、動きとして覚えさせたソレを見る。

 そうして、眼を開き――打割虎爪。

 迅くは無く、速いだけの一撃。

 想い描き、焼き付けた理想には到底届かぬ不格好な一撃。


「――っこぉおぉぉぉ」


 そのあまりの不様さに八十一は口角を緩やかに上げながらも、虎気を行う。


(……良い。分かってんだよ。俺の未熟なんて俺が一番分かってんだよ)


 稀代の葬竜拳士を師に持ち、若くして虎方を納めた二つ名持ちの葬竜拳士、鬼灯八十一。そんな言葉の羅列に価値は無い。

 雛菊にも行った通り、八十一は自分が腕が立つと言う事は理解している。虎方を納める為にこれまでの人生の大半を費やした自信はあるが、所詮は二十にも届かない未熟者の生涯だ。そんなモノに其処までの誇りは無い。だから――

 繰り返す。

 削虎爪の時にそうした様に、丁寧に。

 繰り返す、繰り返す。

 少しづつ速度を上げ、理想に近付ける作業を。

 繰り返す、繰り返す、繰り返す。

 虎爪技(こそうぎ)に始まり、虎咬技(ここうぎ)。通り一遍の虎方の技法を繰り返し、一息。軽く俯きながら顎を伝う汗を感じ、最後に『切り札』の修練に手を――


「……何してんだよ、てめぇ?」

「? 見学だが?」


 出そうとした所で、子猫の様に円らな鉛色の瞳と目が合った。

 何時からそこにいたのか。寝間着替わりに勝手に八十一の甚平を着込んだ雛菊は実に楽しそうに八十一を見ていた。そしてその足元ではヤチが欠伸をしていた。てめぇはこっちで鍛錬する側だろうがよ。ギロリ。八十一が睨んだ。「……」。ヤチは視線を逸らした。自覚はあるらしい。


「教会でも葬竜術を使う騎士が何人か居たが……やはり、やそさんは凄いな! 私の眼から見ても明らかに勢いが違う!」

「……」


 昨晩、八十一が受けた仕事の依頼主は、枕が変わった程度で寝られなくなる様な軟な神経はしていないらしく、絶好調だ。見様見真似で見たばかりの虎方の技らしき物を繰り出している。

 取り敢えず、サイズの合っていない服で動き回るのを止めさせよう。跳ねる度に覗く白い肌を見て八十一はそんな事を思った。それと、彼女の中でやたら高くなっている自分の評価も下げておこう。


「勢いじゃねぇ。そもそもの流派が違げぇんだ」

「そうなのか……と、言うか何故見ても無いのにやそさんはそんな事が分かるのだ?」

「簡単だ。ちっと虎と蛇は特殊なんだよ。んで、使い手がすくねぇ。だからてめぇが見たのはむじなましらだ。……鍛錬は所詮鍛錬だ。そこだけ見て『圧倒的に違う』程、俺は完成されちゃいねぇ。……『腕が立つ』って言っといて何だが、俺にじっちゃ並の働きしてんなら無駄だぞ?」

「? やそさんはやそさんだ。九十九殿ではないだろう?」

「……」


 八十一は軽く瞬いた。成程、流石は恥ずかしげもなく聖女を名乗るだけは有る。

 会ってからここまでの僅かな時間。その時間で、その結論に達してくれたのは実に好ましい。祖父の勇名も考え物。九十九=八十一で結びつける者が多いのだ。


「私も護身術程度に教会武術は学んでいるのだが……駄目だな! 全然届かない。やそさんの費やした時間に、努力に、全然届かない。うん。何と言うか――格好良かったぞ、やそさん!」

「――そりゃ、どーも」


 満面の笑顔向けられて、思わず横を向いて痒くも無い頬を掻く八十一。

 そう言う所を自分に余り見せない様に頼むべきだろうか? でないと何時か自分はとんでもない勘違いをしてしまいそうだ。







「……やはり、ねこまんまは猫の好物なのだな」


 渋々と言った様子で食事を摂るヤチを見ながら、雛菊が箸を軽く咥え、そんな事を言った。


「……――」


 八十一はスカスカの味噌汁を飲んで、付け合わせの煮干しを齧り――ちげぇ、と言いたくなった。ねこまんま。少し薄めた味噌汁をご飯にかけたモノはヤチの主食である。奴が渋々なのは別の理由だ。味の問題だ。その証拠に――


「――」

(……助けを求める様な目で見るんじゃねぇよ)


 微動だにしない尻尾が、無言で見つめてくる瞳が、物語っている。


 ――おいしくないんだけど、これ?


 気持ちは分かる。気持ちは分かるが――


「ど、どうだろうか、やそさん? かまどの使い方を教えて貰えたから、今日のごはんは上手に炊けたと……思う。味噌汁も、その、具が焦げていないから……その……」

「――……あぁ、うめぇ」

「そうかっ!」


 ぱぁ、と花が咲いた様な笑顔。


「!」


 お巡りさん、ここに嘘吐きがいます! と言うジト目。


「――……」


 ちゃぶ台の向かい側と、土間から向けられる種類がまるで違う感情を受けながら、八十一は味噌汁を啜る。やはりスカスカだ。同じように食べて居る雛菊を見る。違和感を感じて欲しい。だが気付かないようだ。溜め息が出た。


「んで、昨日も話したが、今後の話だ」

「うん。私としては早く行きたい。今、件の街にいる聖女、先代殿は大分お年を召していらっしゃるので、早く変わって差し上げたいのだ。今週中には出よう、やそさん!」

「……――」


 ポリぽりポリ。唯一まともな漬物齧りながら、八十一は半目で雛菊を見る。

 明らかに言いたいことが有る――と言った表情だ。


「? 言いたいことが有るなら、言うと良い」

「馬鹿かてめぇ」

「……」

「……」


 間。


「い、言いたいことが有れば言う様に言ったのは私だが、そう言う酷い事は言わないで欲しい!」

「……――」


 ポリぽりポリ。漬物齧る八十一の前で、雛菊は半泣きだ。声が少し震えている。どうしろってんだよ。心中のそんな言葉を吐き出す代わりに溜め息掃き出し、漬物を一切れヤチに投げてやる。尻尾が勢いよく振られ、一口で無くなった。

 左右に動くヤチの尻尾みながら、八十一は雛菊に問いかける。


「対竜戦闘の経験は?」

「……それは、無いが……何か関係が有るのか」


 そんな事だろうと思った。思ったが、良くも、まぁ、そんな知識で激戦区に行こうとしたもんだ。横を見る。八十一の代わりに雛菊を呆れた様な目で見るヤチが見えた。


「準備をさせろ。根本の戦い方を変えんのは流石に無理だが、行く先に居る《竜》の情報集めて、それに有効なモノを用意しねぇと勝てても、勝ち続けんのは厳しいんだよ」

「敵を知れば……と言う奴だな。うん。分かった。準備にはどれ位?」

「二週間くれ」

「……意外に早いな」


 パチクリと瞬いて雛菊。彼女は最低で一か月を見ていたのだろう。


「言っただろうがよ。根本の戦い方は変わらねぇ。精々が刻印を増やすか強化するか……その程度だ。丁度、材料も有るしな」


 言って八十一が見るのは昨日の仕事の成果。翅蜥蜴の竜眼。赤く染まった火行に属すソレ。竜狩人のネットワークに赤い竜眼の翅蜥蜴が領土を持ったと言う話が流れた時、八十一は即座に狩る事を選んだ。その理由が、左腕の魔道刻印の強化だったのだが……このタイミングで他の地に移る話が来ると言うのは良いのか、悪いのか、迷う所だ。


「ふむ。それにしても……ふふっ」

「?」


 楽しそうに笑う雛菊。彼女に視線で『どうした?』と問いかける八十一。


「また一つ、やそさんの事が分かったぞ。やそさんは意外と……頭を使って戦っている!」


 嬉しそうに、笑って、拍手する様に、楽しそうに、両手の指が、ぽふ、と合わせられる。


「俺が馬鹿みたいじゃねぇか。言葉を選べ」


 そんな雛菊に憮然と八十一。


「やそさんは考えなしのイノシシでは無い!」

「ありがとよ、イノシシ」

「! そ、それはどういう意味だ、やそさん!」

「『頭を使えよ、聖女様』って意味じゃねぇのか? 良く分からねぇけどな」

「っ~~! ま、また一つ分かったぞ、やそさんは意地悪だっ!」


 きしゃーと吠える雛菊を視界の端に捉え、八十一は今後の予定を頭で組み立てる。

 やはり先ずは左腕から手を付けるとしよう。

 幸いにも、もう方針は固まっているのだから。

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