やそさん
お湯は八十一が沸かす事にした。
お湯位は沸かせるだろうとは思ったが、スカスカの味噌汁を飲んでいると不安になったからだ。雛菊。苗字を聞けば――
「鬼灯。私の名前は今日、この時より鬼灯雛菊だ!」
と、何処か得意気に返してくる彼女との話し合いは時間が掛かりそうだった。だから、八十一はお茶を入れる事にし、そのお湯を沸かす事にした。
練り上げたエーテル、架空元素を左腕に刻んだ刻印に走らせ、壱、弐、参の爆火の何れの形にもならない時点で、外へ。燻っていたかまどに火がともり、その上に置かれた銅製の夜間に熱が入る。そうして自分愛用の湯呑と、来客用の湯呑を用意した所で、ふと気付く。
(……茶の葉、あったっけな?)
普段は白湯。お茶漬けも湯漬け。そんな生活を送っている八十一は、ここ数年ばかり自宅でお茶を飲んだ記憶が無かった。……ここまでやっておいて、葉が無いからと白湯を出すのは色々と駄目だろう。顎に右手添え『ふむ』とやればそんな結論が出た。
「ヤチ」
「?」
「茶の葉が居る。探せ」
「――」
尻尾が突然の無茶振りにパタパタと揺れていた。無理らしい。
言って見ただけで端から当てにはしていないので、普段使わない戸棚の扉を開けてみる。祖父が居た時は毎日違うお茶を淹れさせられ、飲んで居たのだ。あの食道楽が残したモノが何かあるだろうと言うのが八十一の考えだ。そして案の定、有った。賞味期限などは気にしない事にした。カビていないのだ。大丈夫だろう。
そうしてお湯が沸けばあとは簡単だ。先も言った通り、茶坊主よろしくさんざん淹れさせられた八十一の手際は本人でも意外なほどに、良い。調子が良ければ自由自在に茶柱も立てれる。祖父曰く『無駄な才能』だが。
「――粗茶だが」
「お構いなく――では、無く。八十一殿、私の事は客人で無く、妻として扱って欲しい」
「……」
聞かなかった事にした。
そもそも、妻が居たことが無い八十一には妻としての扱いが分からない。
「――……あぁ。押し倒せば良いのか?」
「――なッ!」
赤くなった。そんなザマで良くも『妻』を強調出来るものだ。それとも自分はままごとの相手を務める様に言われているのだろうか? だったら自身がねぇな。八十一はそんな事を思った。ままごとは疎か、鬼ごっこ等もやった記憶が無い。八十一に、同年代の子供と子供らしい遊びをした記憶は無い。物心ついた頃には葬竜拳士だった。
「安心しろ。冗談だ」
「――っッ~~! つ、妻として言わせて貰うが、そう言う所は直した方が良いぞっ!」
「てめぇは俺の妻じゃねぇ。だから俺も聞く必要はねぇ」
「――ッ!」
また赤くなった。今度は怒りで。
駄目だな。そう思う。
そうしてコロコロ変わる表情を見ていると、少し彼女の事が好きになって来てしまう。どうやら八十一は自分が思って居る程、孤独に耐性は無いらしい。味は兎も角、祖父が旅に出て以来、久方ぶりに他人と囲んだ夕餉の卓は楽しかったのだ。
「――」
だから、一口。熱い茶を啜る。
それで八十一は雛菊に対する評価をニュートラルに戻す。
周囲、呼んでもいないのにやって来る国の使者や、同門の葬竜拳士等は八十一の事を『竜狩りの天才』と言う事があるが、八十一は自分にそれ程才能が有るとは思っていない。自分の実力など、精々が努力で辿り着ける領域だと思っている。
だが、一点。認めたくは無いが、一点だけ、自分でも『竜狩りの才』と認める部分が有る。
分別作業だ。
殺していいか、殺してはいけないかの分別作業だ。
それが早く、分けたら迷わない。殺すと判断したら親でも、祖父でも、ヤチでも殺す。
稀代の葬竜拳士、鬼灯九十九ですら認めた才能。
殺すと決めたら、殺す。その判別の速さと迷いの無さ。
つまりは、まぁ、八十一は感情の、他者への好意の制御が少しヒトより上手かった。
だから同じ様に雛菊が一息ついている間に雛菊への好意をまっさらな状態にした。
「……あひゅい」
折角まっさらにした好意が一瞬で戻った。不意打ちだ。舌足らずだ。涙ぐんでいる。ちろり。覗く桜色の舌が可愛らしい。
「……――」
何となく視線を逸らす八十一。同年代とあまり接した事が無いので、八十一は八十一が思っている以上に、異性に弱いのだ。
「あー……すまねぇな」
「む? いや、気にしないでくれ……ところで、八十一殿は何時もこれ位の熱さなのか?」
「? あぁ、まぁ、そうだな」
「そうか。――うん。覚えたぞ。八十一殿は熱めのお茶を好む」
何故か照れくさくて、謝ってしまう八十一。そんな彼の事を一つ知れた! と嬉しそうに笑う雛菊。何となく、八十一は唸りたくなった。
「それで、だ」
「うむ、今後の話だな。私は見ての通り教会所属の聖女なので、出来れば式は教会式が良い。ウェディングドレスも着てみたいのだ。……だが、まぁ、八十一殿が皇国式が良いと、言うなら……がまん、する……ぞ……?」
「……」
言葉での妥協だけで既に半泣きだ。
何時か雛菊と結婚する奴に出会ったら、式は教会式にする様にアドバイスしてやろう。八十一はそんな事を思った。
「……ちげぇ。何でてめぇが俺の妻なんだ? って事だ。正直、分けが分からねぇんだよ」
「? 八十一殿、それは今後の話では無く、過去の話だ」
「……じゃぁ、過去の話をしようぜ」
心底不思議そうに首を、こてん、と倒す雛菊。仔犬の様なその所作に八十一は頭が痛くなった。何だか、根本的に雛菊との間に意見の隔たりが有る様に感じる。そこで不思議そうな顔は止めて欲しかった。
「しかし、八十一ど――……」
「あと、それも止めてくれ。『殿』ってやつ。背中が痒くなる」
「私が掻いてやろう!」
「……」
八十一は全力のジト目で雛菊を見た。
「――……と、言うのは冗談で」
絶対嘘だ。
「では、どう呼べば良いのだろう?」
「そもそも、親しくねぇ相手に名前呼びはされたくねぇ。苗字で頼む」
「……では、どう呼べば良いのだろう?」
「……だから、苗字で呼べ。鬼灯だ、鬼灯」
「…………では、どう呼べば良いのだろう?」
「……」
「では! どう! 呼べば! 良いのだろう!」
何となくヤチを見る。後ろ脚で顎の下をカリカリ掻いていた。気持ち良さそうだ。
「…………好きに呼べよ」
「そうか! それは有り難い! 実は私も夫を『殿』付けはどうかと思っていたのだ。何だか距離が有る様に感じるからな!」
「……そうかよ。距離感じてたんならそのままにしといてくれ」
「だから、ちゃんと考えておいたのだ。『やそさん』! 私は、やそさんの事をそう呼ぼうと思う。どうだろうか、やそさん?」
八十一の呟きは無視され、新たな呼び名が進呈される。『どうだろうか?』に八十一が回答するなら『どうでも良い』だ。敢えて言うなら早期のご帰宅を願いたい。
「私の事は『雛』と呼んでくれ。親しいヒトは皆そう呼ぶのだ」
「親しくない異性を名前呼びはどうかと思う。苗字を教えてくれ」
「鬼灯だ」
「……」
八十一は何となく先の展開が予想できたので、ヤチを見てみる。ペロペロと丁寧に毛繕いしている。やはり、気持ち良さそうだ。そしてやはり自分は諦めた方が良さそうだ。
「……雛菊」
「ッ! 何だ、やそさん!」
「……何でもねぇ」
「『呼んでみただけ』と言う奴だな!」
何だか雛菊が楽しそうだ。その空気に釣られてヤチも楽しそうに尻尾を振っている。何でそんな中、俺は一人憮然としなきゃいけねぇんだ? そんな事を考えながら、八十一は本日何度目かの溜め息を吐き出した。
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