夕餉

 ――八十一殿は疲れているだろう? 風呂にでも入ってくると良い。その、あの……つ、つつ、妻っ! 妻、として……私が、食事の準備をしておくから……


 真っ赤な顔を背けながら。純白のローブを皺に成程握りしめて。

 恥ずかしそうに言われたそのセリフに、色々と言いたい事は有った。自分に対する妙な呼び名とか、彼女が真っ赤になりながら叫んだ肩書きとか。

 色々と言いたい事は有った。

 でも、色々いっぱいいっぱいだった。

 八十一はいっぱいいっぱいだったのだ。


「……す、少し、かまどが……使いにくかったのだ……その、す、スチームキッチンなら! スチームキッチンならもう少し……もう少し、上手に造れるぞ……私でも……」


 雛菊が消え入りそうな声で俯いていた。


「……」


 いっぱいだったので、厄介事を見て見ないふり。何も考えずに風呂に向かったその結果、現実逃避に風呂に入って出て来たところを出迎えたのがコレである。墨料理である。アマナの中央部にある王国料理店。そこのランチで出て来たイカ墨パスタ並に黒い。火行に属し、色々なモノを燃やした事がある八十一だが、ここまで駄目にされた食材は初めて見る。


「だが、ほら、八十一殿、ほら! 味噌汁は焦げてない!」

「……」


 八十一のカテゴリーで、味噌汁は焦げるモノでは無い。

 いや、それも汁は焦げていないが、具は鍋にこびり付き、焦げている。

 頭が痛くなった。白ま――……茶黒米に、魚(?)と味噌汁(失敗)。真竜相手よりもやべぇかもしれねぇ。そんな事を八十一は思った。出来れば食べたくない。いや、出来ればでは無く、普通に食べたくない。だが――


「さぁ、座ってくれ――と、家主である八十一殿に言うのも変な話だな。だが、まぁ、早く座って欲しい。こんな事を言うのは恥ずかしいのだが、私は未だあまり料理が得意ではないのだ。それでも暖かい内に食べてくれると多少は……その……美味しいと、思うのだが?」

「……」


 これである。頭が痛い。

 満面の笑みで、傷が増えた手を隠しながら、そわそわそわ。

 目的が分からない以上、どう対処したら良いのかが分からない。雛菊が、教会からの引き抜き工作を為すためのエージェントであると言うのなら楽だ。蹴り飛ばせば良い。


「どうした? 八十一ど……――あ、。そ、そうだよな、こんなモノ食べたく無――」

「――……いや、食う」


 茶黒米の内の黒をほとんど引き受けた茶碗を握って泣きそうなってる少女を蹴り飛ばす事など出来ない。嬉しそうに焦げの少ない部分を集めた茶碗を差し出されたら尚更だ。


「つーか、客が焦げ食うっておかしいだろうがよ。そっち寄越せ」

「わ、私は妻だ!」


 喰い付くような、『吠える』と言う表現が似合いそうな返し。剥き出しの感情。触れて、彼女が本気で言っている事が分かって――……本格的に頭が痛ぇ。雛菊に見えない角度で小さく八十一は溜め息を吐き出した。


「……その辺は飯の後にでも詰めようぜ。ほれ、寄越せ」

「だ、だが、八十一殿、その、焦げは身体に良くないぞ?」

「なら、ヤチにやるから寄越せ。俺達は食える所を食おうぜ」

「!」


 ぴん、と立つヤチの耳。それは名前を呼ばれたからだけでは無い。その証拠に、八十一に向けられるヤチの視線には抗議の色。え? 僕ですか? 僕も嫌なんですけど? 何気ない所作で、立ち上がり、外へ向かうヤチ。その尻尾が掴まれる。「逃げんな」。命令。ぴー。鳴いた。


「……その竜狼が、ヤチか?」

「あぁ、焦げが大好物なヤチだ」

「――」

「……全力で嫌がっている様に私には見える」

「気のせいだ。気にするな」


 言って自身の茶碗と雛菊の茶碗から焦げた部分を取り出し、ヤチの餌皿に入れる。


「ヤチ、良いぞ」


 さぁ、食え! と、八十一。


「――――」


 良く無いよ! 何もかも! と、ヤチ。

 そんな抗議の視線を見て見ぬふり、八十一は早々とちゃぶ台の一角に戻る。

 向かい側でそんなヤチと八十一のやり取りを見ていた雛菊は何故か笑顔だった。


「仲が良いのだな?」

「ヤチとか? そりゃ良いだろうよ。竜狩人と対竜獣の仲が悪けりゃ終いだ」

「そう言う意味では無いのだが……」


 どこか困った様に、それでもどこか嬉しそうに笑う雛菊。

 そんな彼女の態度に内心で『?』を一つ。とりあえず箸を手に取り『いただきます』。そうして唯一、まともな漬物に手を伸ばし――


「――?」

「――!」


 視線を感じたので、顔を上げる。目が合いそうになり、相手が慌てて顔を下げた。何だ? 不思議に思いながらも、やはり、唯一まともな漬物に――


「――――?」

「――――!」


 また視線を感じた。また顔を起こした。また凄い勢いで伏せられた。


「……」


 ちらちらとこちら窺う視線。ここまで露骨なら八十一にだってわかる。


(……食えと?)


 自分が作った味噌汁か、魚を食べて欲しい。そういう事だろう。出来れば嫌だ。普通に嫌だ。


「……ぐ」

「――」


 だからその期待に満ちた目で見るのは止めて欲しい。味噌汁に視線を向けると、手を伸ばすと、キラキラが増すのを止めて欲しい。……それ以上に、背中のヤチ。僕も食ったんだからお前も行けよ、お? とガンつけるのを止めて欲しい。


「――はぁ」


 だが、四つの瞳に行けと言われたら、行くしかない。

 木製の椀に手を伸ばし、大豆と米こうじで造られた赤味噌の味噌汁を一口。


「ッ!」


 衝撃が、奔った。

 とても、とても、懐かしい味がした。

 それはセピア色の思い出だ。

 今から十二年前、五歳の時、祖父の元に預けられた八十一が『食事の用意はお前の仕事だ』と言われ、悪戦苦闘して夕飯を用意したあの日、口にした味だ。


 ――じっちゃ、これうめぐね。わぁ、いらね

 ――まいね。おめがわやにしたもんだ。しゃんとめ、やち坊

 ――ぶー

 ――『ぶー』じゃね


 その時の祖父との会話まで思い出せる程、同じ味。こいつ、こいつ――


(……出汁とってねぇのかよっ!)


 思わず項垂れた。味噌汁と言うか、味噌の汁だった。スカスカだ。


「ど、どうだろうか、八十一殿? あまり料理は得意ではないが、『料理は愛情』ともいうだろう? わ、私の、その、あの、えと――あ、愛情の味はっ!」


 真っ赤。恥ずかしいらしい。恥ずかしいなら言わなければ良いのに。八十一はそんな事を思いながら漬物を齧った。これは美味い。流石は俺が漬けただけはある、と自画自賛。

 と、言うか愛情よりも煮干しや、鰹節を入れて出汁を取って欲しかった。……が、期待に目を輝かせている美少女にそんな率直な感想は言えない。言えないから――


「まぁ、それ程、悪くねぇと俺は思うぜ? ……所で、そこの棚に煮干しや鰹節が有るか――」


 さり気無く、棚の位置を伝え、さり気無く『出汁』と言う存在を伝えようとした。


「煮干し? ! あっ!」


 が、それは失敗。言葉の途中で何かに気が付き、勢い良く立ち上がる雛菊。彼女が向かう先には、今、八十一が指差した棚。彼女はそこから煮干しを少し皿に盛り付ける。そしてそれを八十一の前へ。


「竜狩人は、身体が資本だと九十九殿に聞いた。カルシウムだ、八十一殿!」

「……」


 良い笑顔だ。でもそうじゃねぇ。

 言わずに煮干しを齧る八十一の後ろでヤチが「オン!」と吠えた。見れば、楽しげに尻尾を振り回している。何だか『ざまあみろ!』と言っている様に八十一には見えた。

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