雛菊
ヒトの領域に三国あり。
蒸気文明花開き、発展目覚ましい蒸気王の膝元、王国。
盲目の《竜》、優しき《竜》。世界で唯一ヒトの味方である真竜、盲目のセリアーナが治める帝国。
そして、皇国。
蒸気の息吹きは未だに僅か、見守る《竜》もそこにはいない。
西域都市群を別にすれば三つの国の中で最も《竜》に侵された国。
朽ちた国。落ちかけの国。それでも――勝ち続けている国。
――異端の地、異端の血、芽吹くや、芽吹く、皇の国。
謳われる通り、壊れたヒトが産まれ易く、それ故、《竜》に勝ち続ける事が出来た国。
アマナと言う都市はそんな皇国らしい都市だった。
古来より西に青の山脈、近年では南に大森林。蒸気文明が花開き、森が異常増殖するよりも前から《竜》の住処に隣り合う様にしてその都市は続いてきた。
三国共通通貨。その単位にアイズ、瞳と言う名が使われている事からも明らかな様に、竜眼、《竜》の瞳は価値を持つ。
それ故成り立つ竜眼産地。《竜》の脅威に晒される代わりに《竜》の恩恵を受ける地。常に脅威に晒され、常にヒトが竜害で死ぬ狂った地、皇の国に芽吹いた異端の地。
それが、アマナ。
そんなアマナの西部壁街区画。正しく、古来よりの都市戦線部。農地は無く、幾つかの見張り台が、迎撃用のバリスタが、或は砲が並ぶ場所。
そこに住めるヒトは限られていた。
例えば、兵。そこの見張りに、《竜》の襲来に備えて国から派遣された者。
例えば、金の無い者。壁の外に住むほど貧しくは無く、かと言って東部、北部、中央部に住める程裕福で無い者。《竜》の脅威に目を瞑って市民権を得る為に家賃の安い場所に住む者。
そして、最後に――竜狩人。個として《竜》の上を行った者。
歩いていた。
中央部から西部に繋がる橋を、一人の竜狩人が歩いていた。
纏う赤備えに少しの汚れ、背中に仕事の成果。彼は仕事を終え、家に帰る最中だった。そう、その竜狩人は西部に居を構えていた。
赤い髪だ。赤い瞳だ。鋭く、吊り上がり、素の状態で周囲を睨んでいる様に見える竜狩人だ。
鬼灯八十一。それが彼の名前。
背中に翅蜥蜴の、それなりに脅威だと認識されている《竜》の竜眼を背負った八十一はソレなりに軽い足取りで歩いていた。彼主観でだが、上手く物事を納めることが出来たのがうれしかったのだ。何と言っても、一人しか血を流していない。それが良い。
「――!」
と、そんな八十一、群れのリーダーの上機嫌につられる様に尻尾をゆっくりと左右に揺らしていたヤチの動きが止まる。
その瞳は家、八十一とヤチの住む家の方向を捉え、その耳ピン、と張って周囲の音を拾っていた。パッと見で伝わる警戒心。竜狼の鋭敏な感覚は未だ目視も出来ない自身のテリトリーの異変を拾っていた。
(……またかよ)
言葉にも出さずに、嘆く八十一。
国からの有難い有難い御呼びたてか、単なる賊か、祖父の勇名を、或は自身の悪名を聞きつけてやって来た手合せ願いの葬竜拳士か。どれであっても厄介で、どれであっても現状の八十一には歓迎できない者。
だったら、賊が楽でいい。思わず浮かんだその思考に、八十一は少し戸惑う。自分では平和的な方だと思っていたが、そうでも無いらしい。殺せば良いだけだから、賊が一番楽で良いと言う思考は拙い気がする。
と、そこまで考えて、やはりその考え方で大丈夫だと思い直す。
命に価値は無い。どうしても価値を見出したければそれは無価値であるべきだ。
そうで無ければ竜狩人なんてやれない。
無価値だから命を捨てる様に戦える。
無価値だから命を狩れる。
だからやっぱり賊が良い。八十一は疲れているのだ。それなりに。
お国の使者に茶を出してやって『仕える気はねぇ』と言ったり、葬竜拳士同士の決闘を行うよりは、賊の首を切って終わりにする方が良く分か楽で良い。
「は、」
吐き棄てる様な笑い。持ち上げた口角はどこか自嘲気味にしながらも、赤の架空元素をゆらりと纏う。実に滑らかに整う臨戦態勢。どうやら自分は殺しが好きらしい。酷い奴だ。八十一はそんな事を思った。
「――」
「あ? どうした、ヤチ?」
そこまで行った所で、先を歩く竜狼が立ち止り、くんくんと空の匂いを嗅ぐ。耳を立てて、視線を家の方角に向けて、くい、っと首を傾け四十五度。『何か変だなー?』。対竜獣は言葉でなくて態度でそう主人に告げる。
(……役人でも、賊でも、葬竜拳士でもねぇってことか?)
だとしたら、一体、何だろうか?
祖父と別れて二年。祖父ほど社交的で無い八十一が鬼灯邸を預かる様になってから訪ねて来たのはその三種類の人種のみ。
何にしろ、対応が楽な相手で有ってくれよ。
欠伸を噛み殺す事無く、くぁぅ、と大口開けてそんな事を祈ってみた。
少し、いや、かなり予想外だった。
家の前にヒトの壁が出来上がっていた。
八十一と同じ額に角持つ戦闘種族、鬼種が居た。鉛色の髪と瞳を持つもう一つの戦闘種族、鋼種が居た。全身を鱗に覆われた準戦闘種族、鱗種が居た。身体に呪印を刻んだ獣種が居た。背に羽持つ空の種、翼種が居た。そしてそれら五種のベース、先祖である人間種が居た。
老若男女問わずに、ヒト六種が入り混じり、鬼灯邸の庭を覗いていた。
ただ、どいつもこいつも知った顔だった。
都市戦線の最前線である、ここ西部に居を構える兵士や、住人、そして竜狩人達。つまりは、それなりに付き合いが有る連中が揃っていた。
「……」
何してんだ、こいつら?
そんな事を考え、思わずジト目になる八十一放置し、駄犬ならぬ駄狼であるヤチはテコてこテコ。集まったヒトの中に居た住人の一人――何かと食べ物をくれる人間種の女学生の元に歩いて行く。
「ひゃう! あ、あれ、ヤチちゃん――……って、ことは……――げっ」
ただいまー。そんな感じで濡れた鼻を押し付け、自己主張するヤチ。そんな彼に気が付き、驚きながらも撫で様とした所で、顔を上げ、必然の様に八十一を見つける。
「『げっ』って何だよ、『げっ』って」
「わたしの生まれ故郷で『おかえり、無事に帰ってきて嬉しいよ』の意味デスヨ?」
「……」
ソウデスカー。
それは少し無理があるだろう。そう言いたくなったが、言っても仕方が無いので、言わない。代わりに抜いていた槍の柄で器用に頭を掻いて、これ見よがしに溜め息を吐く事で八十一はその言い訳に対する評価を伝える。訳せば、それは無理があるだろう、だ。
「……うぅ」
その態度は中々に堪えるモノが有るのか、帝国水軍の服をモデルにしたという制服を纏った女学生は居心地悪そうに身じろぎをする。
「……んで、こりゃ何だよ? 俺んちに何が――」
「さぁさぁ! 張った張った! 早くしないと締め切るぞーっ!」
そのまま居心地が悪そうな女学生に現状の説明を求め様とする八十一。そんな彼の声が遮られる。遮ったのは一人の男。嫌味に成らない程度に小奇麗にした明るい髪色と声の男。猫っぽいな。そんな事を思って見ていると、左頬に入れ墨の様な呪印が見て取れ、彼が獣種である事が分かった。
(……あぁ、情報屋とか言うお調子もんか)
利用をした事は無いが、噂には聞いている。
その程度の関わりしかない奴が、一体、家になんの用だ? 不思議に思い見つめる八十一の横で女学生があうあう。言葉に成らない言葉を発し、どうにか情報屋を黙らせようとしていた。が、そんな彼女の願いは拾われる事は無い。
「第一回、鬼灯家にいる謎の美少女の正体は何だ! 賭けくじ、締め切るぞー」
ご丁寧にも大音量で叫ばれる内容。
「……」
「あぁ~」
何だ、ソレは。色んな意味で。
憮然と立ち竦む八十一の横で女学生が崩れ落ちる。呟き。『終わった、わたしの一週間分の昼食代が終わった……』。賭けてたのかよ、てめぇ。睨みつけた。
「八十一の妹だ! 間違いねぇ! 十口買うぜ!」――一口幾らだよ。
「いやいや、姉だろう? 駄目な弟の世話しに来たんだ!」――誰が駄目だ。
「普通に友達――……は無いか。アイツ、友達いないからな……」――うるせぇ。
「アレは鬼灯の本当の姿だって! アイツは本当は美少女なんだ」――何言ってんだ、てめぇ?
「はいはい! 押さないで押さないでー! あ、ちなみに俺は、あの鬼畜が何処かから攫ってきた可哀想な美少女に賭けてますよーっ!」
情報屋の冗談めかした言葉に、沸き起こる爆笑。『女に興味なさそうにしてると思ったらそう言う趣味かよ!』『鬼畜だなー』『ムッツリだなー』『いやいや、あー言う奴ほど危ないと俺は前から思ってたぜ!』。盛り上がる空気。
「……」
対して、八十一の隣はお通夜状態で、あうあー。状況が分かっていないヤチが、どうしたのー? と小首を傾げているのが妙に和む。
一息。騒ぎがそれなりに盛り上がった所で――
「じゃあ俺は――この賭け自体が不成立に終わり、掛け金が迷惑料として俺に徴収される――に賭けるぜ」
八十一も賭けに参加する事にした。
「はいはいっ! この賭け自体が不成立に終わり、掛け金が迷惑料として俺に――……ん?」
「……」
「よぉ、鬼畜な俺だ」
にやにや笑う八十一に視線が集まり、空気が固まる。視線が集まったので、八十一は挨拶をした。右手を軽く上げて、笑みを深くした。ひぃ。悲鳴が上がった。それが面白くて更に笑みが深くなる。
「鬼灯、八十一……?」
「あぁ、鬼畜で、ムッツリで、危ない奴な鬼灯八十一だ」
誰かの呟き、それを拾い上げ、ご丁寧にも言葉を補足する八十一。
構え。肩幅に両足広げ。槍。ゆっくり持ち上がり、穂先が前へ。バリっ、鋭い八重歯覗かせ、虎の笑み。架空元素、赤に染まり漂う。
「んで、鬼畜で、ムッツリで、危ねぇ俺の家の前で随分と楽しそうだな、てめぇら? あァ?」
――俺も交ぜてくれよ、なァ?
あうあー。老若男女に、人種を問わずに、あうあー。
明らかに怒っている竜狩人、葬竜拳士、城塞鬼種。一つだけでもお腹一杯になりそうな所を、まさかの三段重ね。それは、八十一の想像以上に相手に恐怖を与えるらしい。
(……いや、良く考えたらじっちゃが怒った様なもんか……)
成程。それは怖い。妙に納得出来たら少し楽しくなった。
「……で、情報屋。賭けは俺の勝ちで良いな?」
「……はい、よろしいでございますです。はい」
殺してしまうのが楽で良い。が、それは賊の場合だ。流石に近所の住人を皆殺しにする気は無いので、それで話は終わり。先の宣言通りに迷惑料を徴収する。思ったよりも重い。どんだけ賭けてんだよ。溜め息が零れた。
そうして目線で周囲に解散を促し、歩き出す。
疲れた。疲れてる所に、更に疲れた。今日は厄日かもしれねぇな。八十一はそんな事を思った。だってまだ、一仕事残っている。
「っは、」
笑う。成程、確かに美少女だ。
アレだけ騒げば誰でも気付く。
向かった先、住処である平屋造りの見慣れた我が家の庭からこちらを伺うヒトが一人。
鉛色の瞳と神を持つ鋼種。長い髪は一本に結い上げられ、強気そうな目も相まってどこか凛々しさを感じる少女。
纏うのは、白のローブ。
金糸の詩集は、確か教会の聖女である事を示す文様を描いている。つまりは特大の厄介事だ。
さっきの街でのやり取りか? 聖女、教会のキーワードから反射的に先程の揉め事を思い出し、即座に否定。それは流石に無いだろう。早すぎるし、そも、それだったら聖女が来るのはおかしい。
「……貴方が鬼灯八十一殿か?」
凛々しい雰囲気に合う、凛とした響きを持った声音だった。
「確かに俺は鬼灯八十一だが」
二秒。見て、思い返すも、恐らくは初対面で間違いなさそうだと結論。口ぶりからするに、自分に用が有る様だが、教会の聖女様が自分に何の用だ? 思い当たる節が無いので、八十一は軽く内心で首を捻る。
「そうか。失礼かとは思ったが庭先で待たせて頂いた。非礼を先ずは詫びよう」
一息。目の前の少女が落ち着こうと深呼吸をするのを見る八十一。
「私は
「――……」
そのまま内心と同じ様に首を傾げるのが八十一に唯一出来た行動だった。
その隣でヤチが、楽しそうに舌を出している。笑っている様に見えるが、馬鹿っぽくも見えるな。そんな事を考えて現実から逃げてみた。
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