竜眼病
何かを得る為には何かを失わなければならない。
等価交換という原則に従うのなら、ヒトが差し出したものは余りに大きいんじゃないだろうか? ――灰色に染まる空を見る度に八十一はそんな思いに捕らわれる。
技術革新。皇都に花咲く蒸気の文明。偉大なり、偉大なり、蒸気王。彼が生み出したスチームエンジンは遥か彼方の王国からやってきて今日も皇国の空を灰色に染めている。
生活は――豊かになった。
だが、空は見えなくなった。
大森林などに行けば見る事が出来るが、少なくともヒトの街から青空は失われていた。
空を知らない世代。本来ならそこに位置し、この空に疑問を持つことなど無かった八十一だが、幸か不幸か竜狩人となり青い空の下を歩く事を知ってしまった以上、どうにもヒトが手放したモノが大きく感じられた。
(……じっちゃがギャアギャ騒ぐ気持ちも分からなくもねーな)
遠く彼方の王国の文明取り入れた煉瓦造りの舗装道路。そこを駆けて行く蒸気機関式四輪駆動車、ガーニー。鋼の駿馬が吐き出す排煙に敏感な粘膜刺激されて、ぷしゅぷしゅと情けないくしゃみをしているヤチを庇う様に車道側に踊り出て溜め息一つ。
そのまま肩に食い込む重さ、竜眼を背負い直し、八十一は歩く。そうして八十一が、額に角持つ鬼種の少年が、赤備えの若武者が道を歩けば――ヒトは注目する。
「……へ」
思わず口の形が笑みを造る。
空の色が変わっても、ヒトの街が豊かになっても、変わらないものはある。
その一つにヒトの生き方がある。
蒸気文明ですら飲み込むことが出来なかった生き方がある。
それはヒトが《竜》に抗う事が出来ていた一つの要因。ヒトの世界を生き延びさせる為に確立された生き方。――城塞鬼種と言う生き方。
城持ち、山住み、戦狂い。
揃いの赤を身に纏い、《竜》に向かう者。
猛きや、猛き、
愚かや、愚か、
紡ぐ様に謳われる猛き愚か者。それが城塞鬼種。戦場の法度にて生きるヒト。
故に赤備えの鬼種が街を歩けば否応なく視線が集まる。良し悪し。どちらの感情がその視線に籠っているかは別として視線が集まる。
「……そういや、何時からだったっけか?」
「?」
何がー? 先をちょこちょこ歩きながらも、律儀に呟き拾って振り返るヤチ。そんな相棒に『何でも無い』と手を振ってやりながら、八十一は思い返す。
自分がその視線に押される事無く胸を張って歩けるようになったのは何時だったか、と。
葬竜拳士として一人前と認められ、二つ名を名乗る様になった時からか――
初めて一人で《竜》を狩り、竜狩人としての責務を果たした時からか――
それとも初めて城塞鬼種の、祖父の生き方を見た時からか――
(……ちげぇな。そうじゃねぇ)
先の考えを追い出す様に軽く首を振る。
そんなものではない。その程度では先代から、先々代から積み上げられてきた生き方に向けられる視線に耐える事は出来ない。
葬竜術を納めただけでは葬竜拳士ではない様に、赤を纏っただけの鬼種は城塞鬼種ではない。
受け継いで来た生き方の上に、自分で更に積み上げる事が出来るモノが有ってその視線を受けることが出来る。向けられる自分を許すことが出来る。
だから。だから、先の問いへ答えは至って単純だ。何時から? 決まっている。
自分の中に確かなルールが出来た時からだ。
視界の中に映る日常の街並みに少しの非日常が混じる。
恐怖に顔を引き攣らせて、縺れて転びそうになる足を如何にか動かす二人の子供だ。兄妹だろう? 身体が小さく、足の遅い女の子の手をしっかりと男の子が握り、半場引き摺る様に走っている。
「……あぁ」
そういう事か。納得をする。
八十一はその非日常の光景を造り出している元凶、女の子の《竜》の様な瞳を見つめる。
竜害病。ヒトを《竜》へと変じさせる奇病。
偉大なる蒸気王が生み出してしまった最新の病。
蒸気文明を支える為に日々工場でくべられる竜眼。そこから生み出される灰色の雲の素。ソレにより発症する不治の病。
真竜は愚か、亜竜にも遠く及ばない《竜》モドキへの変質。
それでもヒトの世から拒絶されるには十分で十二分な変質。
故に。彼女は、兄妹は逃げているのだろう。
故に。彼等の背中からランスを掲げた者が見えるのだろう。
それでも。それでも、その程度の変質故に八十一は躊躇わずに行動が出来る。
「はッ、」
口角。嗜虐の愉悦に持ち上がって。
一歩。庇う様に前へ。それで、石畳、軋んで。
テイクバック。振り被った腕、勢いよく。
きしり。拳、強く握って。
一撃/同時/破砕音
ひしゃげて砕けたのはスチームアーマー、蒸気式機械外骨格。蒸気文明が生み出したヒトの武器、鋼の塊。その頭部装甲部に八十一の、葬竜拳士の鍛えられた拳が叩き込まれ、水蒸気。内部を廻り、ヒトに人外の力を与えていた原動力、蒸気が噴き出す。
皇国製のモノではなさそうだ。何枚もの金属板を重ねた武者鎧では無く、分厚いプレート用いた騎士鎧を思わせる造りのスチームアーマー。
「……ちっ、教会かよ」
王国製か、帝国製か、その辺は分からないが、磨かれた鉛色のそこに刻まれた聖十字に視線を向けて八十一が舌打ち一つ、その舌打ちが誰かに拾われるよりも早く、更に一歩。
形を変えた装甲により漏れる呻きと赤い液体。それを見なかった様に振る舞い、追の一撃。横たわる金属塊に蹴り足一つくれてやり、金属塊の同僚共に返してやる。
「き、貴様ッ!」
「……落としもんだぜ聖騎士殿?」
叫ぶ鎧を煽る様に笑う。
手に馴染んだ槍はそれだけで緩やかに構えられ、未熟な対竜獣はそこで漸く戦いの匂いを嗅ぎつけて唸っていた。グルル。遅ぇよ。それが勇猛に牙を剥くヤチの姿を見た八十一の感想。
「っ? え? あ?」
「呆けてんじゃねぇ。直ぐに路地に潜れ」
「! あ、あぁ、ありがとよ、兄ちゃん」
「……良い。行け」
ヤチへの小言を飲み込む代わりに背中で固まりかけていた兄妹に言葉を投げる。目では無く、耳で彼等の安全が確保されたことを確認し、目で捉えて続けていたモノに意識を向ける。
「すまねぇ。悪気は無かった。手が滑っちまった」
悪びれもせず、八十一。
「きさっ、貴様! 自分が何をしたか分かっているのかッ!」
無論、そんな言葉が信じて貰える分けも無く、帰って来たのは激昂。
「? あぁ、分かってるつもりだぜ?」
「――ッ!」
八十一の言葉に聖騎士の何人かが歯を軋ませる。それは怒鳴りそうなるのを堪えている様に見えたし、実際そうなのだろう。
視線に込められた明らかな殺気。八十一が同僚を問答無用で叩きのめした事もそうだが――
「貴様が逃がしたのは《竜》だぞッ!」
それこそが、原因だった。
子供を襲う大人。その構図だけを見ればどちらが悪いかが一目瞭然である様に――《竜》を討つ騎士と言う構図もまた、どちらが悪いかは一目瞭然だ。
竜害病はヒトを《竜》へと変える。――そう、《竜》だ。《竜》なのだ。
亜竜にも及ばぬとは言え、ヒトを超えた力を得るのだ。
故に、無法地帯である西域都市群は勿論、皇国、帝国、王国のヒトの国では竜害病に罹患した者を殺しても殺人罪には問われない。寧ろ教会などは率先してソレを行っている。
全ては無辜の民を守る為に。
事実、竜害病に侵された者が犯罪を起こす事は少なくない。
ヒトを超えた力で、ヒトの輪から外れてしまったので、ヒトを害する。実に単純な図式だ。
「被害が出るのだぞ! ヒトが、力の無い者が傷つくのだぞ! 貴様が逃がした《竜》によってッ!」
故に、騎士は叫ぶ。八十一を断罪すべく、過ちを自覚させるべく、叫ぶ。
「……」
うるせぇ。それがそんな騎士に対する八十一の感情。
だが、先程からそうして煩く喚いているのは一人だけ。他は全員八十一に恐れ、ただ、ただ、睨むだけ。喚く騎士とて気付いているのだろう。自身と、自身達と八十一の間にある力の差を。それでも彼は喚く。煩く喚く。
それは、きっと、自分が正しいと思っているからだ。
「……は、」
その結論に達したので、八十一はその騎士の事が少しだけ好きになった。
良く声を聴いてみると、年若い騎士だ。恐らくは同年代の騎士だ。それ程強くは無く、それでも自分の正義を信じられる騎士らしい騎士だ。
「……ちげぇ」
だから否定の言葉を口にする事にした。
『八十一が《竜》を逃がした』と叫ぶ彼に否定の言葉を口にする事にした。
「俺は《竜》を逃がしたんじゃねぇ」
槍。向けていた槍を肩に担ぎ直し。
「俺が逃がしたのは《竜》じゃねぇ――」
眼光。先の槍の代わりに、否、それ以上に鋭く相手を見据えて。
「俺は、子供を逃がしたんだ」
否定の、言葉を、口にした。
「――ッッっ!」
八十一の言葉に衝撃を受けた様に仰け反る若騎士。
その反応に何故か得意気に胸を逸らすのは八十一――では無く、その足元のヤチ。その姿は自身の群れのリーダーを誇っている様にも見えた。
「……その逃がした子供が別の子供を殺したら貴様はどうするのだ?」
ヤチの様子になど視線を向けず、絞り出されたような言葉。
葛藤を含んだソレは、悩み、考え続けた問題の答えを求めている様だった。
その様子に八十一は内心で首を傾げる。何でそんな事を聞くのかが分からなかった。
「そりゃ――殺すだろう?」
分かり切った事だ。
「――……え?」
だと言うのに目の前の騎士は八十一の言葉が分からないと言う様な反応をする。
「殺すだろ。うん。そりゃ殺す」
何か変な事を言ったか?
そう思い、もう一度考えてみるが、結論は同じ。
「こ、子供だぞ?」
「ヒト殺しだろ?」
「き、貴様が助けた子供……だぞ?」
「でもヒト殺しなんだろ?」
「だ、だがそれで殺したらお前も……ヒト殺しだぞ?」
「? 正当なら復讐を諦めんのは恥で、その復讐の手助けをしねぇのも恥だろうがよ? それにヒト殺しはヒトじゃねぇ」
「そ、の……その理論で行けばお前も――」
「まぁ、復讐されるわな。抵抗はするし、ヒトは何時か死ぬんだから構わねぇだろ?」
言葉は、ぶっきらぼうに。何でも無い様に。
「……」
絶句。先程よりも開いた距離。
騎士団はまるでバケモノを見る様な目で不思議そうに首を傾げる八十一を見る。
空気が先程までのモノとは明らかに別種のモノに変わっていた。
「……騎士様、騎士様」
と、そんな八十一達の様子を見かねたのか、道端で屋台を開いていた男が騎士に話しかける。
「な、何だ?」
視線は八十一から切らず、怯えた様に、理解出来ないモノを目にした様に震える声で応じる。
そんな騎士に店主は語る。
曰く。そこの旦那――八十一は本気で言っている、と。
曰く。事実として盗みを働いた子供を『犯罪者だろ?』の一言で斬っている、と。
曰く。それが城塞鬼種としては当たり前の考え方だ、と。
子供は、兵になる。力になる。共に戦う者に成るかもしれない。故に守る。だから保護する。
対して、ヒト殺しはヒトの数を、戦力を減らす。物取りは物資を減らす。戦力が減って、物資が減れば味方が窮地に一歩近づく。戦う者に迷惑をかける行為は、恥である。恥であるのならば死ぬべきだ。
それが城塞鬼種。ヒトの為に《竜》と戦う事を選んだ彼等の思考回路。
「城塞、鬼種……」
店主の話を聞いた騎士達から八十一に向けられるのは、畏怖の視線。自分達には理解できないバケモノを見る目。
「……」
それを受けて、そう言やぁ――、と八十一が思い出す。
城塞鬼種への視線を受け止める事が出来る様になったのとほぼ同時、こう言った視線に晒される様になったな、と。
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