最終話 そうして世界は続くらしい

 昼下がり。もうかなりの生徒が面談を終えて帰ったようだったが、控え室はそれでも大賑わいだった。長机がたくさん出ているが、席はほぼ埋まっている。その中でも、伴の茶色いピン留めの頭はやはりよく目立った。目印にして椅子の方へと歩いていく。


「長瀬と細野は?」

「女子の方でなんか騒いでて、さっき出てっちゃったな」


 僕の分の椅子は空いていないので、立ったまま話す。周りはがやがやとうるさくて、大きめの声を出す必要があった。


「正月にバグの話、したろ」

「何?」

「バ、グ、の、話!」


 伴はちょっと目線を上に向け、やがて、ああ、と思い出したようだった。


「あれって結局どうなんかなって思い出して」

「神様に報告してたやつ?」

「夢でさ。ご報告ありがとうございましたーって言われた」


 前にも伴と話したけど、まさか本当にここがゲームで、なんて話ではないと思う。何かを倒してクリア、とかハイスコアを目指す、とか、そういう目標は僕らには与えられていない。そんなものがあったら僕らはこんなに悩まないし、だからこそ良かったこともある。


 ただもしかして、世界に存在するかもしれない何らかのシステム、それこそ神様とかを僕が僕なりに見た時にああいうイメージになった、ということは考えられるのではないか。それが僕の出した結論だった。もちろん、ただの夢である可能性の方が高い。


「マジか。パッチ当てられんのかな」

「今日は別に変化なかったみたいだし、神様感覚だとずっと先かもな」


 この世のどこかで人の姿に耐えきれず、何かに変わって生きている人が今もいるかもしれない。それはとてもしんどいことだ。同時に、どうにかして変身がその人にとっての小さな光に変わればいいとも思う。僕が長瀬夜子を連れ戻した時のように。いつか、世界の不具合に修正が加えられるその日まで。


「あのさ。話変わるんだけど」


 突然、伴が何かを切り出そうとして、周りを見て下を向く。そうして何やらスマホをいじり出した。


泉歩夢いずみあゆむに告られた』


 振動と共に送られてきた文面に、僕はぱちぱちと目を瞬かせる。泉歩夢というのは、わりと個性的なファッションをしたグループの勝気な女子で、ショートカットと凝ったネイルが特徴の子だった。一時は全部の爪に別の色を塗っていたりもしたくらいだ。


『何何何。いつ』

『バレンタインにチョコ貰ってたんだけど、手紙とかなかったからマジのやつって気がつかなくて』

『全部断ったんじゃなかったっけ?』

『知らない子のは。で、ホワイトデーん時に返事をくれって言われて初めて気がついて、やべーって』


 お前は本当に贅沢なのんびり屋だよ、と思った。まあ、僕は今とても幸せなので特に羨ましくはないのだが。


『そんで平謝りして今日まで待ってもらってて、さっき返事をした』


 僕は伴の顔を見た。相談とかしないで大丈夫か、と少しだけ思った。前の時も、こいつは知らない間に彼女を作って知らない間に別れていたのだ。


「前はすぐ飛びついて、それで悪いことしちゃったからさ。今回はちょっと期間を置くことにした」


 伴は今度は声に出して、ゆっくりとそう言った。


「知らない子ではないけど、一対一で遊んだこととかはないし。春休みに何回か会って、それでちゃんと気持ちを決めようかなと」


 僕は秋頃、泉が男子と真っ向からやり合っていた時のことを思い出した。確かモテるために服を選ぶわけではないとか、そういう言い合いをしていたのだ。伴とは興味の対象は近いようだが、性格は合うのか合わないのか、まるで見当がつかなかった。


「ただあの子さ。俺のマフラー、褒めてくれたんだよ」


 三月も後半になって、もうマフラーの季節は過ぎた。伴が制服に合わせていた、赤地に白の花が飛んでいるニットのマフラーは、今は家に置いてあるのだろう。王子様みたいないつもの姿でも、小さなかわいい女の子の姿でも、あの花柄はこいつによく似合っていた。


「……なら、ちょっとはうまくいくんじゃないか」

「だといいなあ」


 一度失敗をしたから今度は絶対上手くいく、なんて保証はない。でも、こいつがたくさん悩んだり泣いたりして、少しずつ前に進んでいったことを僕は知っている。


「お前はいい奴だから、幸せになるといいよな」


 僕がそう言うと、伴は茶色い目を細めて、三田村もな、と柔らかく笑った。




 長瀬と細野は、他の女子たちと一緒に近くのファミレスに行っていたらしい。先ほど連絡が来たので、僕らはゆっくりと下校することにした。


『三田村くんのことすごい聞かれる』

『たすけて!』


 送られてきていた長瀬のメッセージは悲鳴を上げながらもどこか楽しげで、良かったな、と思う。僕はどうにか長瀬の彼氏というポジションに滑り込めたが、彼女にはどんどん友達が増えてほしいと思う。できれば男は近寄って欲しくないが、まあでも友達なら……いや、どうなんだろうな……。


「そういや長瀬さん、遠くに行くかもって言ってたのはどうなったのかな」


 歩きながら伴は少し心配そうに言う。彼女の進路については、あの夜の後に軽く話していた。


「結局、お母さんの件がきつかったのと……まあ、僕とのあれこれが重荷だったみたいでさ。僕の方の話は一応解消したから、あえて他所に行こうというつもりはなくなったって」


 そっかあ、良かったなあ、と伴は嬉しそうだ。結局あの後ちゃんと付き合おうという話をして、それを伴と細野に報告した時も、ありとあらゆる種類のスタンプで『おめでとう』をたくさん送られた。僕の友達はみんないい奴だ。


 経済的にあれこれと遠慮をしていたらしい長瀬は呉さんとたくさん話をしたり、叱られたりしたそうだ。奨学金も視野に入れて、進学のことも考えたい、とそう言っていた。文学部、本当は行きたかったの。ぽつりとそう教えてくれたことが嬉しかった。


 僕がその話の続きをしようとしたところで、三田村、礼央ぽん、と声が聞こえた。


「細野じゃん。早いな」


 駅前通りに差し掛かったところで、細野みかげがにまにまと笑っていた。鞄は持っていないので、ファミレスに置いてきたのだろう。


「今長瀬ちゃんが質問責めに遭ってるから、彼氏の方も連れてこよーってあたしが派遣された」

「勘弁しろよー」


 頭を抱える。接近のきっかけは、とか聞かれたらどう答えればいいんだ。僕が猫になってフラフラしてたら偶然遭遇して、とか馬鹿正直に答えても、まるで信じてもらえる気がしない。


「結構いっぱい来てるよ。5ファイブの子はもちろんだし、泉ちゃん達とか、もろみーとか。男子もはるはる辺りとか」


 泉歩夢の名を聞いて、伴は少し口をもごもごさせたが細野は特に気づいてはいないようだった。


「なんでそんな盛り上がってんの」

「あたしが文クラ最後だからねー」


 ああ、そうか、と思った。文系の僕らは来年も三分の一の確率で同じクラスになれるが、理系に移る細野は確実にそこにはいないのだ。


 細野がいない教室。伴には彼女ができるかもしれない。僕と長瀬は付き合い始めたが、絶対にこの先ずっと上手くいく保証なんてない、とまで考えてふと気がつく。


「ちょっと待て、お前主賓じゃん。なに人の送り迎えしてんだよ」

「今は長瀬ちゃんがセンターだし、それにちょっと寂しくなっちゃってさ」


 みんながいるからこそいろいろ考えてしまった、ということらしい。わからないではない。そんな寂しさを全部振り切って、やりたいこと、学びたいことに邁進する彼女を、僕はやっぱり偉い奴だと思う。


「結局何研究するんだっけ」

「まだ別に決めてはないよ。まず合格しなきゃだし、大学でなんか面白いこと見つかるかもだし。んー、でも地球のことかなあ。きっかけが石だったしね」


 なるほどな、と思う。僕も伴も細野も長瀬も、自分のことをよく考えて、そして別々のアプローチをしたらしい。それ自体がとても面白いことだと思う。僕らはみんなバラバラで、別の方角に進んでいく。でも、今ここには確かに、細くキラキラ光る糸みたいな繋がりがあるとそう感じた。


 あそこの二階、と指さされた窓際には、確かに長瀬の白い横顔と黒く長い髪の毛が見えた。何か恥ずかしそうに、でも楽しそうにクスクスと笑っているようだった。


 じゃあ尋問されに行くか、と目線を下げたその時、足元に黒い小さな影が横切った。


 黒猫だ。


 猫はするりと僕の足元をすり抜け、道路側の植え込みのところで立ち止まる。僕の顔を見上げて、にゃあ、と鳴いた。


 よく見ればそれは鉢割れというのか、顔の下の部分が白くて、足にも短い白靴下を履いているタイプの猫だった。顔は真っ黒ではないし、逆に尻尾は全部黒々つやつやとしている。当たり前だが、僕ではない。


 僕ではない黒猫は、そのままダッシュで歩道を行き、やがて建物と建物の間に消えてしまった。猫には猫の道があるのだ。僕はそれをよく知っている。


 三田村、何やってんだ、と伴が呼ぶ。僕はくるりと猫に背を向け人の道を、ビルの階段向けて駆けていく。そのまま競走のように駆け上がる。


 二階のドアを開けると、クラスの奴らの席はすぐそこだった。テーブルを三つくらいくっつけた大所帯だ。さすがに声がやかましい。窓際の長瀬夜子がこちらに手を振る。


 そうして僕は大好きな僕の彼女に向けて手を振り返し、冷やかしの声と笑顔の咲くテーブルに向け、ゆっくりと歩き出した。


 長瀬夜子はもう欠片も『謎の転校生』ではないし、僕の進路調査用紙もどうにか白紙を免れた。町はいずれ日が暮れて夜に沈み、また朝へと還る。世界は続く。悩みとか、希望とか、いろんなものを引きずったまんま、どんどん前へ進んでいく。


 これはたまたま高校二年生だった僕らの、そういう物語であった、ということらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜猫ジュブナイル 佐々木匙 @sasasa3396

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ