父と娘

 その異変に気がついたのは、エリジンだった。鋼の竜から身を乗り出し、彼女は中央聖堂をじっと凝視する。

「おかしい。静かすぎる……」

 姉の言葉に、グラインは中央聖堂を見つめていた。竜を閉じ込めた硝子の結晶が眩く明滅を繰り返し、爆発と共に崩れていく。その赤い爆発の中に、グラインは二つの人影を見つけた。

 一つは銀糸の髪をゆらめかせる少年。もう一方は灰の三つ編みを夜空に躍らせる青年だ。二人は氷でできた得物をかち合わせながら、祝詞を唱え続ける。その度に周囲で爆発が起き、中央聖堂を破壊していく。

「お父さん……?」

 眼の前に広がる光景にグラインは眼を見開いていた。それは、紛れもない父アッシュだったからだ。廃人形であるはずの彼は、蒼い眼に凛とした意志の強い力を宿し、自分に向かってくる少年と対峙している。

 アッシュと対峙している少年にグラインは見覚えがあった。

 中央聖堂の長アンだ。幼い頃、彼の前で舞を披露したことがある。その舞があったあと、アッシュは自分を連れて根の国へと亡命した。

「何が、起こってるの?」

 なぜ、アッシュが意思を取り戻し、アンと対峙しているのかグラインには分からない。そんなグラインの両肩をそっと包み込む手があった。

 グラインが振り向くと、エリジンが優しい微笑みを自分に向けている。

「行ってみよう。あそこに」

「えぇ、やっと会えたんですもの」

 エリジンの言葉に応え、グラインは頷いてみせる。二人の少女はお互いに微笑みあい、鋼の竜から跳び下りた。

「Yobe, Yobe, vindur.《呼べ、呼べ。風》」

 グラインの祝詞が、グラインのエリジンの体を優しく包み込む。風は二人を中央聖堂の頂へと運んでくれた。

「グライン!」

 エリジンが叫ぶ。着陸した側で光が煌めく、グラインを抱きかかえエリジンは爆発するその光から退いた。逃げたその場所もまた、光りに覆われる。二人の少女は素早く体を放し、空へと逃れた。

「何なのこれ……?」

「お父さんの、光地雷……?」

 祝詞で宙に浮くグラインは、唖然と言葉をはっする。爆発で砕けた硝子片が中央聖堂にぶつかるたび、中央聖堂の結晶は光を放って新たな爆発を生み出す。

 アッシュが幼いグラインに教えてくれた祝詞の一つだ。対象そのものを地雷原とし、そこに接触したすべてのものを吹き飛ばす荒業。

 もとはアッシュの母ウィッシュが考案したというそれを使うのは、アッシュとウィッシュの弟子であったグラムぐらいだ。

「こんな……。中央聖堂を丸ごと地雷原にしちゃってるの? グラインのお父さん、本当に何者?」

「これじゃ、聖堂に近づけない……」

「そのつもり、なんでしょうね……」

 エリジンの言葉に、グラインは彼女を見つめていた。エリジンの視線の先には、中央聖堂に佇むアッシュの姿がある。白き竜の頭部を踏みしめる彼は、さながら鬼神のようだ。

 そんな彼の蒼い眼光が、こちらを捉えている。来るなと言わんばかりに、アッシュはグラインたちを睨みつけていた。

「邪魔だってさ。まぁ、あのアンさまと互角に渡り合うんだもん。中途半端な私たちがいっても、足手まといか」

 エリジンがため息をつく。そんなエリジンの視線の先では、宙を跳ぶアンと得物をかち合わせる。アッシュの姿があった。その眼はもうグラインたちには向けられていない。

「なによ、それ……」

 グラインの口から言葉が漏れる。胸の内からふつふつと湧いてくる小さな怒りは、瞬く間にグラインの中で大きくなっていく。

「ふざけるなっ! このくそ親父!!」

「グライン!?」

 グラインの怒りは大声となって、下界のアッシュへと放たれる。得物をかち合っていたアッシュとアンはぎょっと眼を見開き、上空のグラインを見つめた。

「ばか!! お父さんの馬鹿!! 勝手に死んで、勝手に蘇って、今度は邪魔ってどういうことよ!!」

「グライン!!」

 エリジンがグラインの両肩を掴み諫めようとするが、グラインは叫ぶことをやめようとしない。そんなグラインに向け、アンが掌を向ける。

「lann mé, lann, Tsuranuke《刃よ、刃、貫け》」

 嗤う祝詞をはっする。アンの周囲には氷の刃が無数に生じ、それがグラインめがけて放たれた。

「グライン」

「ふざけるな!!」

 だが、その氷の刃はグラインの一喝と共に弾け飛ぶ。その光景にグライン自身が言葉を失った。グラインだけではない。この場にいる誰もが、そのありえない光景に言葉を失っている。

 祝詞なしで世界樹の力を行使する。それができたのは、灰のようと呼ばれたアッシュだけだ。それを、年端も行かない少女が、激情とともにやってのけた。

「グライン……」

 中央聖堂に立つアッシュが、唖然と声をはなつ。その言葉と共に彼は膝を折り、座り込んでしまう。アッシュは苦悶に顔を歪め、自身の胸を握りしめた。

「お父さん!」

「ヤバい! 血の契約が解けかけてるんだ! あのままじゃ、アッシュのお父さん、やられちゃう」

 父に与えた血が足りなくなっている。このままでは彼の魂は肉体を離れ、世界樹のもとへと向かってしまう。

 だが、アッシュは顔をあげ上空のグラインたちを睨みつけてきた。こちらへ来るなと言わんばかりに。そんなアッシュの顔をアンがしたたかに蹴り上げる。彼は嗤いながら、アッシュの頭に自身の片足を乗せた。

「いいところに来たねぇ、グライン! 君のお父さんがここにいる。どうすればいいのか、君がよく分かっているだろうっ!?」

「セコ、グラインに血を与えろってあの小物言ってるんだけど……」

「あの人も、父さんが必要って事ね」

 エリジンとグラインが話をしているあいだにも、アンは嗤いながらアッシュの顔を蹴り続けている。だが、中央聖堂に着地すれば、たちどころに自分たちは爆発に巻き込まれてしまうのだ。

 どう考えても八方塞がりだ。グラインは苛立ちに唇を噛む。そんなグラインにエリジンが声をかけた。

「あ、竜がいた……」

「えっ?」

 ぽんっと両手を鳴らすエリジンは、グラインににっと微笑みかけてみせる。瞬間、グラインの背後を巨大な影が覆った。

「おうっ! 竜だったらここにもいるぞ!」

「ダルムさん!?」

 壮観な男の声が背後から聞こえて、グラインは驚きに眼を見開く。グラインの後方には、氷の竜に乗った赤髪の男がいた。

「俺も、あの老害には一杯食わせてやりたいからな」

 竜の背に立つダルムは、豪快に笑ってみせる。



 自分の魂がここから抜けてしまえば、アンの思惑は崩れる。自分の頭を踏む彼が焦燥に爪を噛むのを見て、アッシュは確信していた。

「くそ、君が張ってくれた地雷のお陰で、君に血を分け与えていたグラインがこっちに降りられないじゃないか? どうしてくれるんだ」

「かといって、グラインを連れにいけば、あなたの背中を俺の祝詞が貫く……っ!」

 頭を蹴られ、アッシュは痛みに言葉を失う。死んでもなお自分が痛みを感じることが妙におかしくて、アッシュは嗤っていた。アンは祝詞の力によって少しばかり地上から浮き上がった状態でいる。それ故に、アッシュの地雷にふれることはない。

 それを悔しく思いながらも、アッシュはこれでいいとすら思い始めていた。

 もともとグラインを救うために夜の王に差し出した命だ。そのグラインのために朽ちることができればそれでいい。

 ただ、あの子の悲しむ姿だけは、見たくなかった。

「怒らせちゃったな」

 

 ――ふざけるなっ! このくそ親父!!

 

 自分に懐いていたグラインがあんな言葉を吐くなんて思いもよらなかった。グラインはずっと自分に対して怒っていたのかもしれない。

 あの子を置いて、また独り逝くことになる。

「ごめんね、グライン……」

 そっと眼を瞑りアッシュは囁く。

「アッシュ!」

 そのアッシュの耳朶に、愛しい娘の声が響き渡った。

「な、何を考えているっ!?」

 アンの足が頭から退かされる。なにやら焦っている彼の様子が気になり、アッシュは朦朧とする眼を上空へと向けていた。

 氷の竜が透明な翼をはためかせ、夜の空に舞っている。そこから落ちていく一人の少女がいた。世界樹を想わせる新緑の髪を翻し、少女はこちらへと落ちてくる。

「私、死んじゃうから。ちゃんと受け止めて!」

「むこうから来る――」

 アンのおかしげな声は、竜の放った氷の息によって遮られる。

「オラオラオラ! 貴方の相手は俺ですよ! 長様!!」

 竜から飛びおりたダラムが、槌を振り回しながらアンに襲いかかる。アンは、すかさず彼の強襲を後方へと避けた。中央聖堂の結晶に降りたったダルムは、爆発が起きる寸前にそこから跳び退き、体を捻って槌をアンにお見舞いする。アンはとっさに祝詞を唱え、自分の前に薄い氷の膜を張った。

 氷の膜を破壊しながら、ダラムは真紅の髪を月光に輝かせアンに疾駆する。ダラムが駆けるたびに爆発が彼の足元で起きるが、それは彼を傷つけることはない。

 アンはちっと舌打ちをしながら祝詞を連続して唱え、ダラムに氷の刃を放ち続ける。ダラムはそれを槌で叩き割りながら、アンを追いかけ続ける。

 爆発に照らされては、また闇に消えていく二人の姿をアッシュは唖然と見つめることしかできない。

「お父さんっ!」

 そんなアッシュを呼ぶ声があった。アッシュは慌てて上空へと顔を戻す。自分めがけて落ちてくるグラインを、アッシュは衝撃と共に抱きしめていた。

 父の腕に抱かれたグラインは、自分の指を噛み切りそこから流れる血を口に含んでみせる。

「グラっ」

 アッシュの言葉は、グラインの唇によって塞がれていた。彼女の温かな血が喉を伝って自分の中に流れ込んでくる。失われていた力が体にみなぎり、アッシュは陶然とその感触に酔いしれていた。

「グライン……」

 甘やかなグラインの香りに惹きつけられ、彼女を抱き寄せる。アッシュは血に濡れた犬歯を剥き出しにして、グラインの白い首筋にそれを突き立てた。

「あぁ……!」

 グラインの嬌声が耳朶をくすぐる。アッシュが血を飲み干すたび、グラインは体を震わせ、恍惚とした喘ぎ声をその唇から漏らしていく。 

 それは、魔性としか言いようのない感覚だった。幼く純真だったグラインが、父であるはずの自分によって穢されていく。。

 その背徳感に強い罪悪感を覚えながらも、アッシュは潤んだ眼を自身に向けるグラインから視線を逸らすことができない。

 グラインの首筋から唇を離す。大きく息を吐いて、グラインはアッシュの体に凭れかかた。

「グライン……」

 成長した我が子の妖艶な姿に、アッシュは眼を見開くことしかできない。その彼女の色香に呑み込まれてしまいそうだ。

「父さん……」

 グラインの甘い声がアッシュを呼ぶ。彼女は潤んだ鳶色の眼をアッシュに向け、アッシュの頬を叩いてみせた。

「グ、グライン……?」

 叩かれた頬をアッシュは庇うように手で覆ってみせる。彼女はそんなことにはお構いなしに、もう片方の頬を掌で叩いてみせた。

「痛い……」

「煩いわよ。クソ親父……」

 グラインの上擦った声が耳朶を叩く。今にも泣くそうな顔をした彼女は、自分の肩に顔を埋めていた。

「やっと会えたのに、こんなところでお別れなんて嫌だから……。もう一回、死んだりなんかさせないから」

「いや、もう死んでるんだけど」

「死んでてもいいのっ!」

 顔をあげたグラインは、鳶色の眼から涙を流していた。その涙は夜風に乗ってアッシュの頬を濡らしていく。

「もう、お父さんと離れたくない。ずっと、一緒がいい! 死ぬんだったら、私もいっしょに行くっ!」

「グライン……」

 アッシュの体をグラインが抱きしめる。冷たい自分の体にあたたかなグラインの体温が沁み込んでいく。それはアッシュに、遠い昔の出来事を思い起こさせた。

 ウィッシュを殺し、再び修羅となった自分をグラインが血の通う人間に戻してくれた。柔らかだったグラインの小さなぬくもりを思い出して、アッシュは眼を瞑る。

「なくさないよ、絶対に……」

 グラインを力いっぱい抱きしめ返し、アッシュは彼女に囁いていた。グラインは弾かれたようにアッシュの顔を見つめ、鳶色の眼に笑みを描く。

「グラインっ!」

 少女の声が耳朶に突き刺さる。アッシュが上空を仰げは、赤い胴体を月光に蒼く照らす鋼の竜がこちらへと迫って来ていた。

「エリジン、お父さん! あれに乗って!」

 娘の言葉にアッシュは頷くと、自分たちの横すれすれを滑空する竜へと飛び乗った。竜の前方には、捻じれた三つ編みを二つ、頭から生やす少女が乗っている。その少女がこちらを振り向き、夜色の眼に笑みを浮かべてみせた。

「うっしゃ! お父さんの回収完了! このままトンずらするよ!」 

 弾んだ声を上げエリジンと呼ばれた少女は竜に上昇するよう命令を下す。竜は低く嘶き、赤銅色に輝く翼をひらめかしながら上空へと躍り出た。

 白き竜を閉じ込めた中央聖堂が、アッシュの眼前で見る間に小さくなっていく。その聖堂からこちらへと登ってくる氷の竜の姿もあった。

「よし、ダルムのおっさんも上手く長を巻けたみたいね。このまま根の国まで――」

「待ってくれっ!」

 エリジンの言葉をアッシュは遮る。驚いたエリジンが自分を見つめてくる。

「お父さん」

 腕の中にいるグラインも不安そうに自分を見あげている。そんなグラインをそっと離し、アッシュは彼女に微笑んでいた。

「あそこに助けなきゃならない人がいる。ここでちょっとお留守番できるかな? グライン……」

「お父さんっ!」

 縋るようにグラインが自分を見つめてくる。アッシュはそんな彼女に背を向け、竜を跳び下りようとしたところでグラインに背中を蹴られた。

「グラインっ!?」

「私がいないあいだ、誰とどんなふうにそんな関係になったの?」

 淡々と問いかけるグラインの眼は冷たい光を宿している。アッシュはグラインの中に得体の知れない恐怖を感じ取り、体を震わせていた。

「その、そういうんじゃなくて、僕の最愛の――」

「お父さんの最愛の人って、誰っ?」

 冷たいグラインの言葉にアッシュは何も言えない。グラインは不満そうに柳眉を寄せて言葉を続ける。

「もう、なくさないんでしょ。だったら、どうやったらなくさないですむのか、周りを頼ってもいいんじゃないの?」

 ぷうっと幼子のように頬を膨らませ、グラインは父である自分に不満を述べる。アッシュはグラインのその様子に呆気にとられて、苦笑を顔に浮かべていた。

「私だってもう子供じゃない。お父さんの大切な人ぐらい守ってるわ!」

 グラインはきっとアッシュを睨みつけて、言葉を放つ。アッシュはそんな娘を抱きしめていた。

「ちょ、お父さん」

「うん、グラインの言う通りだ。僕はもう、独りぼっちじゃない。こんなに頼りになる娘がいる」

「だったら、その娘に頼らなきゃ」

 愛娘の鳶色の眼が優しい光を放つ。アッシュは嬉しくなって、そんな娘を強く抱き寄せていた。

 

 

 

 





 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る