揺らぎ

「たっく、アッシュの奴正気かよ」

 ダルムは氷の竜を操りながら聖堂の周囲を旋回していた。聖堂でアッシュが別れ際に放った言葉を思い出す。

  ――ウィッシュの気配がすると。

 ダルムたちが育った硝子細工には、人柱になったウィッシュが安置されていた。

 だが、アッシュがこの地を去ったあと、その硝子細工は根の国に襲われ、人柱だったウィッシュも灰にされたこと聞く。

 自信を育てた師の喪失を信じられず、ダルムはウィッシュの行方を探した。だが、彼女が見つかることはなかった。

 そのウィッシュが、中央聖堂に秘匿されているとアッシュはダルムに告げたのだ。それならば、ウィッシュが見つからなかったことにも、合点がいく。

「それにしても、なんで長さまは師匠を隠すような真似を 」

「それを、これから確かめに行くんだろ!?」

 上空から声が聞こえる。ダルムが顔をあげると、鋼の竜に乗ったアッシュが自分を見上げていた。アッシュの腕にはしっかりと、グラインが抱き締められている。

「親子というより、すっかり恋人同士だな、お前たち」

 そんな二人をダルムは笑ってみせる。すると、顔を恥ずかしそうに逸らたアッシュの頭を、グラインがぽかりと殴りつけた。

「ちょ、グライン」

「いやー、もういい加減離してよ! 子供じゃないんだから!」

「ごめん……」

 気まずそうにアッシュはグラインに謝り、彼女を自分の脇に下ろす。グラインはそそくさとアッシュから離れ、こちらに苦笑を向けているエリジンの側にしゃがみこんだ。

 エリジンはすねるグラインの頭をぽんと叩いて慰めてやる。そんなエリジンにグラインはぽすりと寄りかかっていた。

「グライン……」

「はは、いっちょ前に拗ねてやがる……」

 先程までの危機感はどこへやら、グラインとアッシュはすっかり昔のようにお互いに心を許している。その上、グラインは父親に反抗期まっさかりの態度までとっているのだ。

「これは、先が思いやられるな」

 二人の乗る鋼の竜から顔を逸らし、ダルムは中央聖堂を見つめる。先程まで相手をしていたアンは、姿を眩ませていまった。

 恐らく彼は、ウィッシュの側にいるのだろう。ダルムが小さな頃から、彼は何かとウィッシュに執着していた。

「何が長さまをそこまで……」

「ダルム」

 上空から声がする。アッシュが鋼の竜から自分のことを不安そうに見おろしていた。ダルムは考えを巡らせるのをやめ、アッシュに言葉を放った。

「おう、すまなかったな! 行くか、アッシュ!」

「うん……」

 にかっとかつての相棒に笑ってやる。アッシュは幾分か気持ちを持ち直した様子で、ダラムに微笑みを返してくれた。

「よぉーし! お師匠様奪還と行くか!」

 肩に担いだ槌を振り回し、ダラムは氷の竜から跳び下りてみせる。

「はぁあああ!!」

 腰を捻り、乾坤の一擲を中央聖堂にお見舞いする。ダラムの渾身の攻撃に、中央聖堂は大きな爆音をたてて、その一部を吹き飛ばした。そこにぽっかりと、中へと続く穴ができる。

 深く奥底の見えない穴にダラムの体が落ちていく。ダラムが口笛を吹くと、上空で旋回していた氷の竜がダラムに近づき、その背にダラムを受け止めた。

「行くぞ! 弟分!!」

 上空でこちらを窺う鋼の竜の一向に、ダラムは快活な声をかける。



 

 ダラムが開けた穴は縦に広がり、中央聖堂の地下にまで届いているらしかった。その穴を竜に乗った一行は警戒しながら降りていく。グラインが周囲を見渡すと、月光が穴の壁を照らし、その中に閉じ込められた人々を青白く浮かびあがらせていた。

 アッシュの母であるウィッシュは、中央聖堂の地下にいるという。硝子の柱の中に安置された彼女を、アンは愛おしむように眺めていたそうだ。

「本当によかったの? ダラム」

 父の声がして、鋼の竜に乗るグラインは隣を飛ぶ氷の竜を見つめる。ダラムと共に氷の竜に乗るアッシュは、彼と何やら話しているようだった。

「なに、俺が裏切ったといって民たちが罰せられる訳ではない。むしろ、根の国の侵略は長が一枚かんでいるような気がしてならないんだ。それに、お前とお師匠様の件もあるしな」

「でも――」

「なーに、お父さんのお母様を助けたらみんなして根の国に亡命しちゃえばいいよ。敵国の私がいうのも何だけど、案外いいところだよ。詩人が神様みたいに崇められることもないし、王様だろうが民だろうがみんなバカして笑い合える国だから」

 力なく首を垂れるアッシュに、エリジンは快活な声をかえる。アッシュは顔をあげ、エリジンに優しく微笑んでみせた。

「君が言うと、説得力があるな」

「そりゃ、姫ですから!」

 エッヘンと胸を張り、エリジンは捻じれた三つ編みをみょんと動かしてみせた。その三つ編みを見て、アッシュがおかしそうに笑う。

「うぁん、何がおかしいんですか」

「いや、君の三つ編みは可愛いなって」

 ふんわりと蒼い眼を細め、アッシュがエリジンに微笑んでみせる。エリジンの顔がぶわっと赤くなって、彼女は三つ編みをいじくりながらアッシュから視線を逸らした。

「あれ?」

「相変わらずの、魔性っぷりだな……」

 その様子を見ていたダラムが、乾いた笑みを顔に貼りつけている。

「え、なに? 僕、なにかした?」

「娘の前で女を口説くのはやめろ……」

 慌てるアッシュの髪を、ダラムはぐしゃぐらと乱暴になでる。むーとアッシュは声をあげながら、そんなダラムの手をどけていた。

「別に口説いてなんか。そんなことしてないよね? グライン」

 父が縋るように自分に声をかけてくる。なんだか気まずくなって、グラインは彼から顔を逸らしていた。

「グラインー!!」

 アッシュの悲壮な声が聴こえるが、グラインは振り向くことはしない。ダルムの言う通り、この人は無自覚に色香を振りまく人なのだ。幼い自分が父である彼の踊りに見入られていただなんて、口が裂けても言えない。

 アッシュがなにか喚いているが、グラインはそれに応えることなく竜の降りていく穴を見つめた。

 瞬間、グラインの視界が蒼白い閃光を捉える。

「来るっ!」

 グラインの叫びに、その場の空気が変わる。竜たちは軌道を変え、急いで蒼の閃光を避けた。閃光は穴の壁にあたり、蒼い爆発となって暗い周囲を照らす。

 それを合図に、次々と光の矢と化した閃光がグラインたちに襲いかかってきた。

「くそっ!」

 アッシュが掌を穴の下へと掲げると、金色の障壁が蒼い矢を防いでくれる。それでも障壁を壊し、グラインたちの乗る竜へと迫るものもあった。グラムは槌を振り回して、その矢を壁に打ち当て、グラインとエリジンは祝詞を唱えて鋼の竜を守る。

「なかなかにやってくれるねぇ……」 

 穴の底から軽快な少年の笑い声が響き渡る。グラムが穿った穴は、巨大な縦穴へと通じていた。吟遊詩人たちを閉じ込めた結晶の壁を持つそこは、月明かりを受けて底に敷き詰められた硝子の結晶を蒼く浮かびあがらせている。

 その中央に柱のように聳え立つ硝子の結晶があった。濡れ羽の髪を纏った夜色の女が月光に照らされ、その硝子の中に閉じ込められている。彼女の閉じ込められた柱の直ぐそばに、光り輝く弓を持つアンの姿があった。

 嗤うアンは光り輝く弓矢を番え、弓を引いてそれを打ち出してくる。次々と打ち出される光る弓の雨を、アッシュの掌から顕現した光の魔法陣が弾いていく。

「うらぁ!」

 氷の竜からダルムが跳び下りる。アンは彼に狙いを定め弓を引くが、ダルムの見事な槌裁きがそれを華麗にいなしていく。そんなアンめがけ、アッシュが掌を翳す。アッシュの周囲に氷の刃が並び、それはアンめがけて飛んで行く。

 ちっとアンは舌打ちして、体を後方へと跳躍させながら氷の刃を防いだ。そんなアンに追い打ちをかけるように、演唱を終えたグラインの氷の刃が彼に襲いかかる。アンはとっさに祝詞を唱え、障壁で氷の刃を防ぐ。そんな彼の前に、槌を振り被ったダルムが襲いかかる。

「うらぁ!!」

 ダルムの力強いひと振りが、アンを襲う。だが、彼は短く祝詞を唱え障壁でそれを弾き返していく。

 ダルムが穿つ。その攻撃をアンが障壁で迎え撃つ。防戦一方のアンに、グラインたちの放つ氷の刃が襲いかかる。

 アンは前転しながらその刃をかいくぐると、素早く立ちあがり大きく口を開いた。

「Bán, Bán, inis Dia.《白き白き、神に告げる》」

 凛としたアンの祝詞が縦穴に響き渡る。その祝詞を聴いて、グラインは肌が粟立つ感覚を覚えていた。何かがおかしい。

「あぁあああ!」

 そのときだ。氷の竜に乗るアッシュが苦悶に叫んだのは。グラインは急いでアッシュへと顔をむけていた。アッシュは苦悶に顔を歪ませながら、竜の上で膝をついている。

「お父さん!?」

「グライン!」

 祝詞を乱発したせいで、血の契約が解けそうになっているのかもしれない。そう懸念し、グラインは氷の竜へと跳んでいた。祝詞を唱え、突風に乗るグラインは父の元へと赴く。

「Clé go éirí de thalamh an chuma bréagach, tá go bhfuil comhlacht fíor anseo. Bán, Bán, inis Dia《偽りの姿を脱ぎ去り、真の体がここにある。白き、白き、神に告げる》」

 竜の下ではグラムの槌が弾かれる音と、淡々としたアンの祝詞が響くばかりだ。その祝詞が唱えられるたび、アッシュは苦しげに呻き荒く呼吸を繰り返す。

「ちょ、アッシュさんっ?」

 アッシュの異変を察したエリジンも、氷の竜の元へとやってきた。グラインと共に彼女はアッシュの顔を覗き込む。

「お父さん……」 

 グラインが氷の刃で指を傷つけ、アッシュの口元へと宛がう。だが、アッシュはそんなグラインの指を退け、首を横に振ってみせた。

「どうしたの? 何が」

 アッシュは蒼白な顔をやっとの思い出あげ、グラインに告げる。

「逃げろ……彼女が来る……」

「彼女?」

 アッシュが言葉を放った瞬間、中央聖堂に巨大な咆哮が響き渡った。それは硝子の結晶を共鳴させ、高い音を周囲に放っていく。

「なにっ?」

 グラインが顔をあげると、大聖堂が大きくゆれ、今にも崩れんとしていた。崩れた縦穴の硝子片が月光を浴びながら降りそそぎ、凶器となってグラインたちに襲いかかる。

「グライン! 逃げろ!!」

 叫ぶアッシュが、掌を空に翳す。唖然とするグラインの前でアッシュの掌から黄金の魔法陣が生じ、グラインたちを硝子の雨から護る。

 巨大な衝撃音が中央聖堂を一際大きくゆらす。アッシュは苦痛に顔を歪めながらも、眼下でダラムと対決するアンを睨みつけていた。

「お父さん?」

「行けっ! 行くんだ!!」

 アッシュが叫びながら氷の竜から落ちていく。グラインがその後を慌てて追おうとすると、氷の竜がひとりでに上昇を始めた。

「なに?」

「ちょ、ダラムさん!!」

「お前たちは逃げろ! なんかやべぇのが来る!!」

「ヤバイのってっ」

「いいから行け!」

 グラインの言葉をアッシュが遮る。彼は自分達を睨みつけながら、言葉を続けた。

「すぐにいく。だから、早く」

 轟音がする。中央聖堂が一層激しくゆれ、竜は上昇する速度を速めていく。一際大きな硝子片が縦穴に降り注ぎ、巨大な土煙と共にアッシュたちの姿を覆った。

「アッシュ!」

 グラインは竜から降りようとする。そんなグラインをエリジンが押さえた。

「離してよ! お姉ちゃん!」

「冷静になりなさい!」

 暴れるグラインをエリジンが怒鳴り付ける。驚いたグラインは後方の姉を見つめた。

「ダルムのおっちゃんだっている。だから、大丈夫だよ」

 今にも泣きそうな夜色の眼を細め、エリジンは笑っている。そんなエリジンを見てグラインは何も言えなかった。

 

 

 


 



 


 


  

 

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