再会

 ゆれる小さな寝具に赤子が寝かされている。アッシュは今にもとろけそうな笑顔を浮かべ、グラインと名づけたその子を見つめていた。

 そっと指で小さなグラインの手にふれる。眠っているはずなのにグラインはその指を優しく握りしめてくれた。

「可愛いよ……。可愛いよ……」

 ふるふると震えながら、アッシュは床に蹲る。

「おいアッシュ。お前、いつからロリコンになった?」

 そんなアッシュに冷たく声をかける少年がいる。灰色の三つ編みを靡かせアッシュがそちらへと振り向くと、赤髪を無造作に束ねた少年が金の眼で自分を見つめていた。

「ダルク……。僕はパパになるんだ。ロリコンじゃないよ。娘を愛する父親になるんだから……」

 寝台に眠るグラインをうっとりと見つめながら、アッシュは立ちあがる。

「僕は、ウィッシュみたいにこの子を育てる親になる。この子をちゃんと育てるんだ」

 そっとアッシュは前方へと顔を向ける。アッシュの前方には硝子の結晶に閉じ込められた女性がいた。金髪の髪で裸体を覆う彼女は、うっすらと蒼い眼に微笑を浮かべている。

「これは、僕の償いなんだ……」

 人柱となった育ての母を見あげながら、アッシュは呟く。ダルクは金の眼を曇らせ、そんなアッシュへと近づいてきた。

「女の子だっけ? ウィッシュみたいな奴にならなきゃいいけどな」

 寝台を覗き込みながら、ダルクは笑う。

「ちょっと、本人ここにいるから……」

 ダルクの言葉にアッシュは思わず苦笑を浮かべていた。顔を見合わせ2人は笑い合う。そんな2人の笑いを遮るように、グラインのむずがる声が聴こえた。

「グラインっ」

 慌ててアッシュがグラインの顔を覗き込む。グラインは鳶色の眼を歪ませ、今にも泣きそうな顔をしていた。そんなグラインをアッシュは慌てて抱き上げる。

「ごめんね。起こしちゃって……。もう、煩くないから……」

 アッシュの胸の中でグラインは不満そうに声をあげる。アッシュは困り果ててダルクを見つめた。

「いや、お前のお姫さまなんだしなんとかしろよ」

 にやっと口角を歪め、ダルクは笑う。アッシュはそんなダルクを睨みつけ、グラインへと向き直った。

「あとで君の大好な雪狐の乳煮を作ってあげるから、今は許して……」

「あうっ!」

 アッシュの言葉にグラインは嬉しそうに声をあげる。雪狐の牛乳煮はグラインの大好きな離乳食だ。アッシュも育ての母であるウィッシュから雪狐の乳煮をよく食べさせてもらった。

 硝子細工の外で繁殖する雪狐は、貴重なタンパク源だ。問題は、その雪狐を氷点下の中捕りに行かなくてはいけないことだが。

「まぁ、お姫様のために何とか頑張ってみようか……」

 笑うグラインを見つめながら、アッシュは苦笑してみせた。

「きゃい!!」

 そのときだ。満面の微笑みを浮かべるグラインの手から、炎が迸ったのだ。ぎょっとしてアッシュはグラインが放った炎を避けていた。

「世界樹の加護を祝詞もなしに……」

 驚愕するダルクの声が聴こえる。

「あ……」

 目の前の少女の思わぬ力に、アッシュは言葉を失う。

 もしかしたら、彼女は自分たちとは比べ物にならないほどの世界樹の力を秘めているかもしれないのだ。

 それは、彼女が将来自分の跡取りとなり、育ての母ウィッシュのような人柱になることを物語っていた。




 朦朧とした意識が晴れ渡ると、いつも見る灰の空が広がっている。胸の痛みを感じながら、グラインは起き上がっていた。

 周囲を見渡すと、壊れた壁に窓がつているのが認められる。窓の外には瓶の形をした歪な白亜の建物が建ち並んでいた。

 ここはグラインが滅ぼした硝子細工の建物の中だ。幸いにして少女から受けた傷は浅く、致命傷には至らなかった。

 いや、気がついたら深い傷が浅くなっていたと表現した方がいいかもしれない。

自分を襲った少女は、八つ裂きにされてグラインの周囲に散乱していた。

 きいっとトネリコで出来た扉が開かれる。

「あぁ、帰ってたのね……」

 扉を開けた青年にグラインは声をかける。灰色の三つ編みをゆらす彼は何も言わず手に持った狐の死骸を部屋の中央へと放った。

「ありがとう。これで死なずにすむ……」

 笑顔を青年に向けても、彼は無感動な眼をグラインに向けるばかりだ。

「ねえ、覚えてるかしら? あなたが、私にその雪狐の牛乳煮をよくたべさせてくれたこと」

 グラインの問いかけに、青年は応えない。そっと彼は部屋に入り込み、窓の側に置かれている子供の寝台へと歩み寄っていく。

 そっと彼が手を触れれば、橇のついた寝台は振り子のように揺れる。そんな寝台の様子を見つめながら、彼は光のない眼に笑みを浮かべてみせた。

 グラインは窓辺に佇む彼の元へと歩んでいく。揺り篭をゆらす彼の三つ編みをそっとなでて、グラインは背後から彼に抱きついてみせた。

 廃人形である彼の体は冷たく、心臓の音も聴こえない。それでもグラインは彼を強く抱きしめる。

「お帰りなさい……。お父さん……」

 自分を育てくれた青年が、死に別れた姿のまま自分の元に表れた。廃人形という変わり果てた姿になって。自分を救うために常世の国に殺された彼がなぜ廃人形になっているのか、グラインは理由を知らない。

 自分を育てた夜の王は、ただ彼の体は朽ちたとしか告げなかった。骨すらも残らなかったから、墓も建てていないと。

「どういうことなの……」

 義父であるアッシュは、根の国の輸送船から落ちてきた。それは、彼が根の国からやってきた可能性を示唆している。夜の王は何らかの理由で彼を廃人形にし、それを義理の娘であるグラインに伝えていないかもしれないのだ。

 とにかく今のままでは埒があかない。自分が気を失っているあいだに配下の廃人形たちはすべて自分を襲った少女に壊されてしまったらしいし、その混乱で他の人形遣いの子供たちともはぐれてしまった。

 グラインに残された道は一つ。

 戦乱の只中にある常世の国を抜け根の国に亡命することだ。運が良ければ、はぐれてしまった仲間たちと合流できるかもしれない。

「ぅあ……」

 アッシュの呻き声がグラインの耳朶を叩く。やわらかな新緑の髪をゆらし、グラインは彼から離れる。彼は頭を抱えながら体を震わせ始めた。

「アッシュ……」

 彼を呼び、グラインは胸元をはだける。自分の胸を覆っていた包帯を解いて、まだ血の滲む傷を露にする。アッシュは苦悶に歪んだ眼をグラインに向け、彼女に駆け寄っていた。グラインの体を抱き寄せ、アッシュは血の滲む豊かなグラインの胸に舌を這わせる。

「ア……シュ……。義父さん……」

 舌が自分の胸を這うたびにグラインは甘い声を吐き、彼を呼んだ。

 死んでいる廃人形の魂を体に繋ぎとめているのは、人形遣いたちの血だ。人形遣いたちは血を触媒として、自身に宿る世界樹の力を廃人形たちに与えている。その力は死した体に魂を繋ぎとめ、廃人形たちを操るために行使される。

 廃人形に与えられた血が足りなくなれば、彼らの魂は世界樹の元へと還り彼らはただの屍に戻ってしまう。

「そんなの嫌……」

 自分の胸を吸う義父の頭を抱き寄せ、グラインはそっと眼を瞑る。冷たい彼の体からは命の鼓動は聞こえない。

 けれど、グラインは幼い日に亡くした温もりをもう二度と失いたくはなかった。

 





 そこは硝子の結晶でできた大きな聖堂だった。聖堂に並ぶ支柱には、優しい微笑みを讃える吟遊詩人たちが閉じ込められてる。そんな吟遊詩人たちを見あげる、赤髪の男がいた。

 ダルクと人々に呼ばれる彼は、この常世の国を治める吟遊詩人たちの一人だ。ダルクは常世の国に散らばる硝子細工を地区ごとに統括している長の一人である。根の国の強襲を受け、この国を治める十二の長たちは、自分たちを纏め上げる中央聖堂の招集に応じ、常世の国の中心へと集っていた。

「古の昔に、世界樹は歌った。硝子の繭が人々を包み込むと。そうして人々は冬を越し、新しい世界へと誘われるのだと」

 この国に伝わる聖句の一説が、澄んだ声で読み上げられる。ダルクの金の眼は、その聖句を読む一人の少年へと向けられていた。

 雪のような銀の髪を肩まで伸ばした彼は、歪な人柱の結晶の一つに腰かけている。彼は蒼い眼をすっと細めて、自分を睨みつけるダルクに微笑みかけてみせた。

 彼はこの中央聖堂を統べる吟遊詩人たちの長だ。その見かけとは裏腹に、彼の年齢はダルクの遥か上をいく。

 時を止め少年の姿のままである自身の支配者を、ダルクはあまり好いていない。

「一向に話し合いが進まないのはどういうことだ? 俺はこんな場所にいるよりも線上にいる民たちを一人でも多く救いたいのだが?」

「救いが舞い下りたよ。ダルク。だから君は戦場にいく必要はない」

 少年は澄んだ声でダルクを嗜める。ダルクは機嫌の悪さを顔を歪めて表現すると、彼に言葉を返した。

「アン。世迷言はどうでもいい。俺はお前の夢想家めいた発言にはほとほと嫌気がさしているんだ。俺は――」

「灰の王が舞い戻った」

 書架を閉じ、少年はダルクの声を遮る。彼は嬉しそうに眼を細めて、言葉を続けた。

「彼の娘も一緒にいる。信じられるかい。僕らの救いが戻ってきたんだ」

「アッシュが生きているとでもいうのか?」

「さぁ、どうだろう?」

 灰色の三つ編みがダルクの脳裏を掠める。自身の後継者として育てていた義理の娘を救うため、この国を去っていった青年の姿が。

 驚くダルクに、アンは意味深な笑みを浮かべるばかりだ。そんなダルクにアンは告げる。

「だから、彼らを迎えに行って欲しい。彼らは世界樹から遣わされた僕らの救い人なんだから」



 暖かな狐の牛乳煮がトネリコの器に盛られている。木の匙で狐の肉を救い出したグラインは、それを壁に寄りかかるアッシュの口へと向けていた。

「食べて……」

 褐色の眼を細めて優しく問いかければ、アッシュはそっと口を開けて狐の肉をほうばる。だが、彼は激しく咽ながら、狐の肉を吐き出してしまった。

「あぁ……」

 だらりと白い唇から涎を垂らし、アッシュは呻く。灰人形になった彼はもはや人ではない。その身は人形遣いの血によってのみ生かされ、生前のように食物をとることはできなくなる。

「ごめんなさい……。お父さん……」

 それを分かっていながら、グラインはアッシュに狐の肉を食べさせた。父が自分のもとに戻ってきたという嬉しさから、ありもしない幻想を抱いたのだ。父が、昔のように自分と一緒にいてくれるという幻想を。

「そんなの……叶うわけないのに……」

「あう……」

 不思議そうに蒼い眼が自分を見つめてくる。無垢な幼子のように首を傾げる父親を、グラインはぎゅっと抱きしめていた。


 

 

 

 

 

 


 

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