灰人形

 自分の名は空の蒼を見て思いついたのだと義父であった人は言った。けれど、グラインは蒼い空というものをあまり見たことがない。それはここ数日のあいだとても顕著で、頭上を仰いでも灰色の色彩が広がるばかりだ。

 息をふっと吐くと、周囲に舞う粉雪が白い吐息によって舞い乱れる。前方へと顔を向けると、白亜の漆喰に覆われた居住区が広がる。まるで酒瓶のような形をしたそれらの建物は幾つもの塔を持ち、灰色の空へと伸びていた。

 塔の頂から先には、半壊した硝子のドームが広がっている。

 隣国の常世に攻めいって、何日目になるだろう。グラインは常世のかなり奥深くにまで入り込んでいる。

 そっとグラインは周囲を眺める。住人を狩りつくした硝子細工の中は静まり返り、グラインの操る灰人形たちが、ぼうっと佇んでいるだけだ。眼に精気のない彼らは人の屍そのものである。それをグラインが動かしているのだ。

 グラインの前方には、人を閉じ込めた硝子の結晶が鎮座していた。

 終わらない冬がこの終焉の大地を蝕んで幾創成が過ぎただろうか。神々の戦いがもたらしたとされるそれは、この地に生きるもの全てを蝕み、死に追いやった。

 それは神を崇める人も例外ではない。だから人々は世界樹と強い結び付きを持つ人間たちを人柱にして、硝子細工と呼ばれる居住区をこの地に生み出した。

 人の魂は世界樹から生まれ、世界樹へ還るとされている。人々の魂は世界樹と深く結び付き、この結び付きが深い者たちは世界樹の持つ創成の力を操ることができるとされている。

 吟遊詩人と呼ばれるこれらの人々を触媒にして、冷たい冬の大地から人々を守る硝子細工は造られる。人々は生き残るために世界樹と語らうことの出来る者たちを欲した。彼らはその言葉でもって世界樹に語りかけ、様々な奇跡を引き起こす。

 その奇跡はやがて争いに使われるようになり、異なる神を信奉する二つの民族の争いへと発展していった。

「白き神は、本当に崇められるのが好きね」

 硝子の中で眠る吟遊詩人に、グラインは呼びかける。白い裸体に白銀の髪を纏った少女は、目を瞑ったまま、顔に微笑を張り付けている。

 世界樹の頂には白い神と黒い神がいる。その神の眷属たちが絶えず争いを起こし、世界に戦火の灰たる雪を降らせ続けているのだという。

 常世の国を治める白き民たちは白い神を崇め、その使いとされる吟遊詩人を神の化身として畏れる。一方、グラインのいる根の国では黒き神を崇め、吟遊詩人を黒き神の使者として信頼を寄せる。

 常世の国に君臨するのは吟遊詩人。吟遊詩人が常世の国のすべてを取り仕切っている。だが、根の国に君臨するのは夜の王と呼ばれる、硝子細工に棲む人々から選定された優れた指導者だ。根の国で吟遊詩人は民に仕える神の使いでしかない。

 そう、私たちはただの人なのだとグラインは思う。だから、硝子細工の人柱を神として崇める常世の国の者たちには、異常さしか感じられない。

 そっとグラインは鳶色の眼を細める。

「Kaere, fara til baka, til upprunalegu fugla Tree《還れ、還れ。世界樹の元へ》」

 薄い唇から祝詞を唱える。ふぁりとグラインの纏う夜色の法衣がはためき、深緑を想わせる彼女の長い髪をゆらす。グラインの周囲で陽炎がゆらめき、それは白き少女を閉じ込めた硝子の結晶を溶かしていく。

 硝子の結晶が変形し、ぐにゃりと白亜の地面に落ちていく。結晶から解き放たれた少女は宙へと放り投げられる。そんな彼女をグラインは抱きとめていた。

「お疲れ様……。私と同じ悲しい人……」

 彼女は望んで人柱になったのだろうか。それとも、自分を育ててくれた義父のようにこの常世の国に利用され命を落としたのだろうか。

 呻き声をあげながら、グラインの周囲に灰人形たちが集う。大樹を図案化した灰色の服は、この常世の国の住人であることを示す証。グラインは、この硝子細工に棲んでいた人々を、自身の持ち駒としたのだ。

 すべては、白き神と黒き神が始めたこの戦いを終わらせるためのもの。世界樹から生まれ落ちた二柱の神々は、自身の代理人たる常世の民と根の民を造り、人の世界にも争いを持ち込んだ。

 そう、グラインは自身を人形遣いとして育てた夜の王から教わった。即ち、この戦いは聖戦なのだと王は言う。邪悪なる白き神を倒すため、その神を信奉する常世の国を亡ぼすことこそが世界を救う手立てなのだと。

 だからグラインはここにやってきた。

 自分を育てた義父の敵をとるために――

 自分の死んだ母は、根の国で生まれた人だったという。夜の王の命を受け、彼女はとあるガラス細工に密偵として潜んでいた。そこで硝子細工の長と結ばれ、自分が生まれたという。

 それに気がついた常世の国の者たちは、根の国の強襲に見せかけ硝子細工ごと母とそこに生きる民を殺した。赤子である自分を救ってくれた義父も、自分を守るために常世の国に命を奪われたという。

 そうしてグラインは根の国で夜の王に育てられた。他の吟遊詩人の子供たちと共にグラインは選ばれた黒の兵としてここにやってきたのだ。

 地面がゆれる。地響きがグラインの耳朶に轟いて、硝子細工の耳飾りをゆらす。グラインはそっとその耳飾りを外し、後方へと振り返った。振り向きざまに、手にもつ硝子細工を放り投げる。

 硝子の球体の中には赤い液体が入っていた。宙へと投げられた球体の中で液体はゆらゆらとゆらめいて、自身を閉じ込める硝子の容器を打ち破る。宙にぶちまけられた液体は緋色に煌めいてグラインの周囲にいる灰人形たちに吸い込まれていった。 

 グラインは抱きしめていた少女を放り投げる。床に投げ捨てられた彼女は、ゆらりと起き上がり、そっと眼を開いた。

 空を想わせる蒼い眼はひたとグラインに向けられている。彼女は白い唇を開いて、祝詞を唱えた。

「Messeyo《滅せよ》」

 少女の周囲で爆音がする。見えない爆発に巻き込まれ、グラインの灰人形が宙を舞った。

「drepa《殺せ》」

 グラインの祝詞に赤い液体を吸った廃人形たちの眼が輝く。彼らは犬歯を剥き出しにして吠えると、獣のごとく白き少女へと襲いかかっていった。

 爆音が少女の周囲で弾け、廃人形たちを吹き飛ばしていく。四肢を弾き飛ばされた彼らは、口から咆哮をあげながら地面へと倒れ伏していく。

 そんな廃人形たちを躱しながら、グラインは少女へと肉薄していく。鳶の眼を鋭く細め、グラインは髪に差した簪を片手で抜いていた。

 トネリコでできたそれは、瞬く間に形を変えて刃の歪曲した短刀となる。その短刀でグラインは少女の喉元を穿った。

 直後、グラインは眼を見開く。仕留めたはずの少女が自分の前方になおも佇んでいたからだ。代わりにグラインが仕留めたのは、廃人形となったこの町の住人だった。ちっと舌打ちをして、グラインは短刀を廃人形の首から抜き、邪魔なそれを蹴飛ばして横に倒す。

 泰然とした少女にグラインは肉薄する。彼女は逃げることもなく、グラインの放った一刀をその身に浴びた。頽れる少女の胸に刃によって赤い筋がつけられていく。少女の胸に穿たれた刀傷から赤い血が迸る。それは空中で球となってグラインの周囲へと肉薄した。

 赤い血がクラインの腕に触れて弾ける。グラインは腕の一部を吹き飛ばされ、大きく悲鳴をあげていた。もう片方の腕で傷ついた腕を庇いながら、クラインは少女を睨みつける。

『Messeyo《滅せよ》』

 祝詞を唱える。少女の周囲で爆音がし、長い彼女の髪が数本中に舞った。だが、少女は傷つくことなく色のない眼でグラインを見つめるばかりだ。

『Messeyo《滅せよ》』

 また、祝詞を唱える。結果は同じ。グラインは眼を細め、周囲の廃人形たちを見つめる。

『Maware Maware, rangar lífið《回れ回れ、偽りの命》』

 祝詞に反応して、廃人形たちの眼が煌めく。傷ついたグラインの腕から血が流れ、それは空中でいくつもの球体となって廃人形たちの元へと向かう。

 小さな血の球は廃人形たちの口へと入り込み、廃人形たちは雄叫びをあげながら祝詞を唱え始めた。

『Maware Maware, saol bréagach《回れ回れ、偽りの命》。Togirero agus chuaigh thart timpeall《巡って、回って、途切れろ》』

 地面が光り輝き、グラインを中心に光る魔法陣が描かれる。ローブをはためかせる風に乗りグラインは祝詞を唱える。

『Maware Maware, rangar lífið《回れ回れ、偽りの命》。Koma í kring í, um, Togirero《巡って、回って、途切れろ》』

 祝詞を唱えおえると同時に、魔法陣の光がグラインを包み込む。

『Þess er Taiki《祖は大樹》、Þess er lífið《祖は命》。Blý er okkur og við líf upprunalegu《その命の元へと我は導く》』

 グラインの祝詞と共に魔法陣の光が炸裂する。その光に共鳴して、廃人形たちは世界樹を祝福する祝詞を奏でていた。

『Mór an Crann Domhanda go dtí an bunaidh《偉大なる世界樹のもとへ》Mór an Crann Domhanda go dtí an bunaidh《偉大なる世界樹のもとへ》』

 その祝詞に合わせ、グラインは体を回す。刃の歪曲した短剣を空中で振り、眼前の少女へと流し目を送る。

 少女は蒼い眼を大きく見開き苦悶の表情を浮かべていた。グラインが唱えているのは、廃人形たちを鎮める祝詞だ。この祝詞を聴かせることで、廃人形に宿った魂を世界樹の元へと還すことができる。

 この硝子細工を支えていた人柱は、廃人形にされ人柱となったのだ。少女は自分の意思も確認されることなく殺され、この硝子細工を守る神として祀りあげられた。

 それがこの常世の国のやり方なのだとグラインは苦笑する。幼い自分を救ってくれた義父も、この国に殺されたとグラインは訊かされ育った。

 せめて、安らかに眠って欲しい。そんな願いを込めて、グラインは世界樹の元へ還るよう彼女に祝詞で語りかける。だが、少女は蒼い眼を歪め口から悲鳴をあげてみせた。

 少女の咆哮が周囲の空気を震わせる。澄んだ音と共に魔法陣の光が消え、犬歯を剥き出しにした少女がグラインへと襲いかかってきた。少女の手刀がグラインの頭を狙う。間一髪で横に逸れたグラインの頬に、赤い筋が浮かびあがる。

「どうしてっ!」

 なぜ、彼女は応えてくれないのだろう。無理やり殺されて人柱にされたのに。ぐりっと奥歯を噛みしめて、グラインはなおも少女に語りかける。

「あなたは、殺されたのよ! この硝子細工の常世の民たちが憎くないの!?」

 グラインの叫びに応じることなく、少女は手刀でグラインの首筋を狙う。グラインはその攻撃を避け、胸に違和感を覚えた。

 もう一方の少女の手が自分の胸に突き刺さっている。えっとグラインが声をはっすると、錆臭い匂いが鼻を突いて赤い鮮血が唇から漏れる。

 少女の手がグラインの胸から引き抜かれる。頽れるグラインを見つめる彼女は、色のない眼から涙を流していた。彼女はその眼で廃人形となった硝子細工の住人たちを見つめている。

「殺されたのに……愛してたの……?」

 仰向けに倒れたグラインは泣き続ける少女に、声をかけていた。少女は応えることなく涙を流すばかりだ。

 あぁ、この子はあの人に似ているとグラインは思った。自分を救うために、命を落とした義父と。

 アッシュと似ていると――

 轟音がグラインの耳朶に轟く。驚いてグラインは眼を見開いていた。倒壊した硝子ドームに覆われた空に浮かぶものがある。

 それは無数の歯車を組み合わせて作られた歪な形の輸送機だった。浮遊のための風船袋を背中に背負ったそれは、もっぱら根の国で廃人形を運ぶ輸送機として使われている。

 灰色の空で鈍く鉛色に輝く胴体を輝かせながら、輸送機の下部が開け放たれる。干し肉のようにぞんざいに吊るされた廃人形たちが、その内部でゆらゆらとゆれていた。

 その廃人形たちが雪と共に硝子ドームに落ちてくる。

「助け……?」 

 自分は助けなど呼んでいない。では、誰が応援を寄越したのだろうか。朦朧とする意識の中、グラインの前に降りたつ一人の廃人形がいた。

 少女とグラインのあいだに立った彼は、色ない蒼い眼でグラインを見つめる。銀倍色の三つ編みが風に嬲られ雪と共に空に舞う。

「お父さん……」

 亡くなったはずの義父を見つめながら、グラインは静かに意識を手放していった。

 


 

 

 

 

 

 



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