灰の王

猫目 青

雪の中で

 雪が降る、はらはらと。

 その白い世界の中に、一人の少年が佇んでいた。

 たった独り生き残った状態で。

 少年の周囲には、血肉の塊が散乱する。かつて人だったそれらは、人体から切り離されておおよそ生き物とは言いがたい肉の塊に変貌していた。

 白い雪の上に散らばる、赤い命の残像たち。少年は銀の眼を自分の足元に広がるそれらにやった。

 少年の眼が蒼い光を帯びる。けれど、氷河の輝きににたそれは、氷のように冷ややかでおおよそ感情というものを読み取ることは出来ない。

 殺せと命令されたから殺した。ただそれだけだ。少年――アッシューという名だ――は物心つく頃からそうしていたし、これからもそうなのだろう。

 だから別に何とも思わない。思うことさえ、遠い昔にやめてしまった。

 肉塊を踏みしめ、アッシュは歩む。アッシュの歩調に合わせ、その名の由来となった銀灰色の三つ編みがゆれた。お前の髪はまるで灰のようだとアッシュの名付け親は言っていた。

 焼かれた死人の灰をお前の髪色は想わせると。だからアッシュの育ての親である彼女は、その名をアッシュに授けた。

 人殺しのお前に相応しい名だと、自分を殺人鬼に仕立てあげた魔女は笑った。その魔女すらもアッシュは手にかけたのだ。そうしろと、彼女に言われたから。

 それからアッシュは、悲しみを知らない。悲しみも喜びも怒りすらもアッシュは感じなくなった。

 たがらいつも、アッシュの心のなかは真っ白だ。雪のように白く、そこには何の色もない。

 何にもアッシュは感じない。

 だから、その泣き声に耳を傾けたのは、ほんの彼の気まぐれだった。気まぐれかそうかすらも、アッシュには分からなかった。

 雪の中、飛び散る肉塊の中に辛うじて人の形をしたものがある。

 人の女だ。その、うつ伏せになった女の胸のあたりから、泣き声は聞こえていた。ローブを纏った敵のそれと違い、女は紺のコートを纏っている。そのコートが引き裂かれ、大きく傷ついた背中が露になっていた。

 巻き添えになった避難民かもしれない。居住区である硝子細工から逃げ遅れたのだろう。

「ごめんなさい……」

 小さな声がアッシュの唇から漏れる。自分の役目は、隣国に襲われたこの硝子細工の住人を救うことだった。侵入してきた吟遊詩人たちと屍を葬り、居住区にいる住人を守ることが魔女たる自分の役割のはずだったのに。

「ウィッシュみたいには、なれないな……」

 育ての親のことを思いアッシュは色のない眼に苦笑を浮かべていた。自分は偉大なる魔女だった彼女の足元にすら及ばない。そういて今も、自分たちは彼女に生かされているのだ。

 生きる屍となった彼女に。

 自分もいつか彼女のように、硝子細工を守る守護神になるのだろうか。

 それもいいとアッシュは思う。誰かを殺すことしか出来ないより、死んで生かす方がずっといい。

「殺す僕が、人を助けるのか……」

 皮肉混じりの声は静かに降る雪に溶ける。アッシュは持っていた世界樹の杖を、そっと女に宛がっていた。

「」

 言葉を紡ぐ。世界樹を祝福する言葉を。女の周囲の雪が溶け、死後硬直のとけた彼女の体はしなやかに伸びていく。丸まっていた彼女の体は真っ直ぐになり、その腕には小さな赤子が抱かれていた。

 固く眼を閉じ沈黙した母親とは対照的に、赤子は大きな声をあげて泣いている。寒い雪の中で、生きようと必死に声をあげている。

「僕みたい……」

 そんな赤子を見て、アッシュは微笑んでいた。遠い昔、自分も育ての親であった魔女にこうやって救われたらしい。自分も彼女と同じように赤子を助けることになるになるなんて、なんて巡りあわせだろうか。

 白い母親の腕を静かに解いて、アッシュは赤子を抱き上げる。冷たい自分の手に抱かれた赤子は、驚くほど温かくて、小さかった。

「こんなに小さいのに、生きてるんだ……」

 アッシュは赤子を胸に抱き、そっと顔を覗き込んでみる。赤子は顔をくしゃくしゃにして、酷く怯えた様子で泣き声をあげる。

「恐い? 僕のこと」

 泣きじゃくる赤子を見て、アッシュは苦笑していた。それもそうだ。自分は、赤子の庇護者である母親を殺した。そんな自分に怯えない人間はいないだろう。

 赤子が泣き止む。赤子は驚いた様子で鳶色の眼を見開いて、アッシュを見つめてきた。その眼に映るアッシュの眼も驚きに見開かれる。

「僕が、恐くないの?」

 その問いかけに、赤子は笑ってみせた。

 ふっと、真っ白だったアッシュの心に色が宿る。それは温かな灯の色。アッシュが忘れていた人のぬくもりの色だった。

 きゃ、きゃっと声をあげて笑う赤子をぎゅっとアッシュは抱き寄せる。小さな心音がとくとくとアッシュのじだに響き渡る。そっと眼を瞑って、アッシュはその音を聞いた。静かに耳を澄ませると、自身の心音の音も微かに聴こえてきた。

とく、とく、とく……。

「僕も、生きてるんだ……」

アッシュの唇に笑みが刻まれる。そっと彼は眼を開いて、赤子を見つめた。

「生きててくれてよかった……」

アッシュの言葉を受け、赤子の顔に笑みが浮かぶ。なんだか無性に嬉しくなって、アッシュは世界樹の杖を放り投げ、赤子を頭上にかかげていた。

「きゃい。きゃいっ!」

赤子が弾んだ声をあげる。その声を受けて、アッシュはくるくると体を回していた。

アッシュの口から笑い声が漏れる。それは、赤子の声と重なって周囲の静寂を明るい声で塗り替えていく。

そっとアッシュはとまり、空を仰いだ。白い雪の合間から、青空が顔を覗かせている。雪の降るこの終末の大地において、空が晴れるのは何ヵ月のことだろうか?

青い空から視線を逸らすと、遠く氷の大地に聳える巨大な樹が生えている。雲よりもなお高く聳えるそれは、巨大な体躯に無数の小さな樹木を生やした森のようだ。

そこに人々は神々が住まうという。大地に降り続く雪は、神々の戦火からでる灰なのだと育ての母は言っていた。

 その神々の代理人として私たち吟遊詩人は人形遣いたちと戦っているのだと。

ウィッシュはこうもいっていた。空が晴れた日は神々が戦を休んでいるときだと。そのときばかりは、私たち神々の代理人も戦を休む習わしになっていると。

「ずっと、空が晴れてくれていればいいのに……」

 ぽつりと思いが呟くになる。アッシュは腕の中にいる赤子を見つめた。とび色の眼をまん丸にして、赤子は不思議そうにアッシュを見つめている。

「君の名前、なんていうの?」

 アッシュが訪ねても、彼女は不思議そうに瞬きを繰り返すばかりだ。アッシュは困ったと空を見て、赤子に向き直る。

「グラインって読んでもいいかな。青って意味。吟遊詩人たちが使う神々の古い言葉だよ」

 アッシュの言葉に赤子は大きく眼を見開く。アッシュが不安そうに蒼い眼を歪めると、赤子は嬉しそうに笑みを浮かべてみせた。

「グラインよろしく」

 アッシュはグラインに話しかける。グラインは嬉しげにきゃいっと返事をしてくれた。

 

 


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