彼女が生きられる世界 2

 いま冷静さを保てるのは自分しかいない。そんな使命感で自分を落ち着かせた俺は、意を決してミレーヌさんの眠る寝室へと顔を出した。

 そこには、ミレーヌさんの亡骸に縋り付いて嗚咽を洩らすティーネの姿があった。

 死んでいることを受け入れられなくて、必死に愛する者の名前を呼び続ける。その姿を見ていると、言いようのないほどに胸が苦しくなる。


 慰めるべきだ。

 そう思うけど言葉が見つからない。大丈夫か? なんて、聞くまでもない。母を、唯一の家族を失って大丈夫のはずがない。

 俺ならどうして欲しいだろう?

 どれだけ泣いたって、納得出来るとは思わないけど……少なくとも、母の死を受け入れる時間は必要だろう。俺なら、その時間を邪魔されたくない。

 俺はティーネに上着を掛けて、そっと寝室を後にした。それから、ティーネが助けを求めてきたときに答えられるよう、リビングのソファで仮眠を取った。

 そして――


 窓から差し込む日の光のまぶしさに目を覚ました。

 俺は手の甲で目元を覆いながら目を開く。どうやら、仮眠のつもりで朝まで眠っていたらしい。とはいえ、昨日は深夜まで起きていたので、それほど眠ったわけじゃない。

 ティーネはどうだろうと、俺は様子をうかがう。


 ティーネは、ミレーヌさんに縋り付いて眠っていた。おそらくは泣きつかれたのだろう。

 まだ十一歳の女の子で、ミレーヌさんは唯一残っていた肉親だ。たった数時間では、気持ちの競りなんて出来るはずもない……か。

 俺は肩から滑り落ちている上着を掛け直し、寝室をあとにする。

 リビングのソファで寝直そうとすると、今度は玄関から話し声と控えめなノックが聞こえてきた。誰だと玄関を空けると、そこにはアリスとユイの姿があった。


「あ、アルくんだ」

「ホントにいたわね」

 二人は俺がいることを予想していたらしい。


「……どうしたんだ、こんな朝に」

「アルくんの部屋に行ったらいなくて、宿屋のおばさんに聞いたら昨夜に出掛けたって言うから、もしかしてと思って見に来たんだよ」

「あぁ……昨日の夜、ティーネが来たんだ」

 昨日のティーネの顔を思い出し、俺は憂鬱な気持ちになった。


「……ティ、ティーネちゃんと家に泊まったの?」

「あぁ……まぁな」

 ユイの問いに答えると、アリスが目を丸くして声を上げそうになったので、俺はシーッとジェスチャーで声を落とさせた。


「昨夜、ミレーヌさんの容態が悪化して、ティーネが助けを求めてきたんだ」

「あぁ、そうだったんだ。それじゃ、治癒魔術、使った方が良いね」

 アリスの無邪気な善意が胸に突き刺さる。俺は歯を食いしばって「もう必要ない」と、静かに首を横に振った。


「……え? 治癒魔術じゃ病気は治せなくても、体力は回復できるんでしょ?」

「ミレーヌさんは、容態が悪化して……夜明けを待たずに」

 亡くなった――とは、声に出さずに呟く。


「え、嘘、死んじゃった? じゃあ、どうしたら生き返るの?」

「昨日あたし達がいた頃は、普通に歩いていたわよね。それが急に亡くなるなんて……どこかでクエストの条件を見過ごしたのかしら……?」

 人差し指を頬に当てて、首を傾げるアリスとユイ。心ない言葉に声を荒げそうになるが、寸前でこの二人は死んでも生き返るのだという事実を思い出した。

 死者の魔石を使ってその魂を呼び戻す――なんて伝説はあるが、実現させた者はいない。この世界の人間にとっての死は永遠の終わりだ。


「アリス、ユイ。俺達は死んだら生き返らない。ミレーヌさんは……死んだんだ」

 二人が揃って息を呑んだ。その瞳にみるみる罪悪感が滲んでいく。


「あ、その……私、ごめんなさい。死んでもなんとかなるんだって、思い込んでた」

「あたしも、ごめんなさい。まだゲームだからって感覚が消えてなかったみたい」

 昨日、死んだはずのアリスが生き返った。

 その事実を見ていなければ、二人に対して声を荒げていたかもしれない。だけど、昨日のあれを見たら仕方ないとは思う。


「……ティーネと話すときは気を付けてくれよ?」

「そうね、気を付けるわ」

 ユイとアリスは揃って神妙な顔で頷き、唇をきゅっと噛んだ。心ない言葉を口にしたが、それによって抱いた罪悪感は人並み以上に見える。

 やっぱり、常識は俺達と違うだけで、気遣いとか思い遣りは俺達と同じかそれ以上にあるんだよな。ホント、プレイヤー一族って変わってる。


「ねえアルくん、ティーネちゃんは大丈夫なの?」

「泣きじゃくって、いまは疲れて眠ってる。ミレーヌさんに縋ってたから、そっとしておいた方が良いと思って、まだ亡くなってから話してないんだ。だから、大丈夫かどうかは……」

 分からないと口にしようとしたとき、背後から物音がして振り返った。そこには、目を真っ赤に泣き腫らしたティーネの姿があった。


「アルベルトさん、誰か来たの?」

「あぁ、アリスとユイが来てる」

「ティーネちゃん、アルくんから話は聞いたよ。大変、だったね」

「……うん。お母さんが、亡くなったの。お母さんが……亡く、なった……っ」

「……うん、辛いよね。悲しいよね。良いんだよ、泣いて。今はお姉ちゃんが側にいてあげるから。ほら、こっちにおいで」

 涙を堪えるティーネを、アリスが優しく抱きしめた。


「アリステーゼさん、お母さんが、お母さんが死んじゃったの。私、お母さんを助けたくて、がんばってポーションを作ろうと。でも、間に合わなくてっ。それで、それでっ、私が工房にいるあいだに死んじゃって、わ、私――っ。うああああああああああああああっ!」

 堰をきったかのように、ティーネがアリスの腕の中で泣きじゃくった。


 ……俺のせいだ。

 ティーネみたいな子供に希望の可能性を示せば、それに飛びつくのは分かってた。なのに可能性があるなんて口にしたから、ティーネは母親の死に目に会えなかった。

 俺が無理だって断言していれば、ちゃんとお別れをさせてあげられた。

 俺のせいで、ティーネはミレーヌさんにお別れを言えなかった。あのとき、ティーネに現実を突きつけていれば、少なくともティーネは踏ん切りをつけることが出来たはずだ。


 ……だけど、その過去は取り消せない。なら、いまの俺には後悔よりも先にやることがある。せめて、ミレーヌさんの遺言、ちゃんと伝えてあげないとな。

 アリスにここはしばらく任せると目配せをして、ミレーヌさんの眠る部屋へと移動。枕元に置きっぱなしにしていた、ネックレスの入った木箱を手に取った。

 そして、ミレーヌさんへと視線を向ける。

 俺に両親の記憶はない。母親がどんなものかは知らない。だけど、だからこそ、死ぬ瞬間までティーネに愛情を注ぎ続けたミレーヌさんに尊敬の念を抱いた。


「……ミレーヌさん。あなたの遺言はちゃんと伝えます。そして、ティーネが自分の生きたいように生きられるよう手伝います。だから……どうか心配しないでください」

 安らかな顔で眠っているミレーヌさんに誓い立てて黙祷を捧げる。

 それから玄関へと戻ると、そこには少し落ち着いた様子のティーネ。それにアリスとユイの他に、見覚えのあるおばさんが加わっていた。


「あなたは、たしか隣の……」

「カルラだよ。聞いたよ、ミレーヌが亡くなったんだってね」

 気遣うようにティーネの肩を抱き、カルラは痛ましげな顔をした。その顔はティーネを気遣っているだけでなく、ミレーヌさんの死を悼んでいるようだ。


「ティーネ。ミレーヌさんが亡くなる寸前、このペンダントをキミに渡して欲しいと」

 木箱から意匠の凝った銀色のペンダントを取り出して、ティーネの手のひらに乗せる。


「……これ、お母さんのペンダント、なんですか?」

「ああ。ミレーヌさんは、お母さんからもらった思い出の品だって言ってた。そして、これをキミに渡して欲しい……と」

「……そう、ですか。ありがとうございます」

 ペンダントを握り締め、ティーネはまた泣きそうになる。

 続けて遺言を伝えるつもりだったけど、いまのティーネにそんな余裕はないだろう。遺言はまた日をあらためて伝えることにしよう。


「これからだけど……」

 ミレーヌさんの遺体をそのままにしておく訳にはいかない。そんな俺の心の声を察してくれたのか、カルラさんがこくりと頷いた。

「ミレーヌを弔ってあげないとね。今日……いや、明日の昼、墓地に埋めてあげようね」

 ティーネが肩をふるわせた直後、カルラさんは明日と言い直した。


「それじゃ、明日までは……」

「私が一緒にいてあげるよ。彼女のことは私がなんとかするから、あんた達は明日一緒にお見送りをしてやっておくれ」

 本当にカルラさんに任せて良い物かどうか、少し悩んだ俺は、ティーネがカルラさんの服の裾を握っていることに気付いた。

 俺はアリス達と顔を見合わせ、こくりと頷きあう。

「それじゃ……お願いします。ティーネ、また明日来るからな」

 それぞれティーネに再会の約束をして、俺達はその場を離れた。

 

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